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不定期連載『銀のつぶやき』
第5回「赤ちゃんにウィスキー」









 「昔は、生まれたばかりの赤ん坊に、銀のスプーンでウィスキーをしゃぶらせて、皆でその児の誕生を祝ったもんだよ。村の男が集まって、飲んで騒いで。」 

スコットランドの風習を集めた本を読んでいたら、銀器にまつわる、こんな話に出くわしました。

1920年に、ジョン・ファースという名前のおじいさんが、自分の生まれて育った島の風習を思い出して、語っている話です。当時82歳のおじいさんは、記憶が良く、いろいろな思い出を語り残したようです。面白い話ですから、まあ、読んでみて下さい。

スコットランドの北の端れに、オークニー(Orkney)諸島と呼ばれる一群の島々があります。大小合わせて七十もの島が集まっていて、人口は二万人弱。モスクワよりも緯度が高く、夏は白夜。冬は、ひたすら寒く、夜が長い。それが、おじいさんの島です。

上:新石器時代の墳丘墓:内部に石造りの墓所がある

下:昔の漁船の漁の様子

どちらも、北の島の寂しさが伝わってくる景色です。

この島には昔から、悪さをする妖精、というか、小悪魔が住んでいます。ちょっと油断をするとこいつが、生まれる子供の命を奪ってしまう。そこで妊婦は、子供ができたことを小悪魔には秘密にする。「妊娠なんてしてないよ」というそぶりで、これを隠します。

やがて出産の時期が近づく。ここで、赤ちゃんと母の身を護るために、ナイフ(鉄製)と聖書をベッドに置く。これが慣わしです。鉄の力と聖書が、小悪魔を退けてくれるのです。

冬の寒さが厳しい島です。だから寝床は扉付きで、カプセルホテルのベッドのような造りです。それも暖炉のそばが一番。大きな暖炉(調理と暖房を兼ねる)のある台所の一隅に、壁の厚みを利用して、畳一畳ほどの寝床がしつらえてある。押入れの中で寝る、そんな感じです。

私(つぶやき)もデンマークで、こうした造りの古い民家を何軒か見たことがあります。ベッドの扉にきれいな色で、様々な花が描かれていて。これがランプの灯火に照らされたなら、なかなかいい雰囲気だろうなあ、と思いました。

農家の中心、台所兼食堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になってベッドに入り、扉を閉める。狭い寝床は漆黒の闇。暖かな夜具に包まれた未来の母にとって、その中はまるで、胎内のように感じられたのではないでしょうか。闇の中で母は、赤ちゃんの鼓動を受けとめます。聖書とナイフに護られながら、やがて生まれ出る子供の命に耳をそばだてます。外から聞こえてくるのは、風の音だけ。どこかで窓がカタカタと鳴る。「あっ小悪魔に違いない」。そっとお腹に手をあてて、我が子の無事を確かめます。

赤ちゃんが生まれるときには、親戚や隣近所の女たちが手伝いにやって来ます。やがて無事、出産。ナイフと聖書はすぐに、妊婦のベッドから赤ちゃんのゆり籠へと移されます。女たちは、出産後も数日間、その家で過ごすのが慣わしです。夜になったら、箱のように造られたゆり籠に鍵をかける。小悪魔が赤ちゃんの命をさらって行かないように、代わり番こに皆で見守る。こうして、母と赤ちゃんにとって大切なこの時期を、お互いに助け合ってきました。

出産の知らせを聞いて、人々が祝いに駆けつけます。そして口々に、こう言います。「神様、この児をお守り下さい」(”Guid save hid"="God save it")。この一言がないと、縁起が良くない。

出産は女の特権。男はいつも、脇役です。生まれるまではひたすら祈り、生まれた後は、ひたすら祝う。というわけで、親戚や近所の男どもが祝いに集まります。新たに父となった男を囲んで、祝儀の酒宴が始まる。できるだけ早くウィスキーのボトルを空けること。その勢いがあればあるほど、赤ちゃんに幸運がやってくる。さあ、祝いの宴だ。まあ、なんとも勝手な飲兵衛たちの言い草です。

この集まりを「赤ちゃんの頭を濡らす集い」と呼んで、いわばウィスキーによる洗礼式です。ともすれば度が過ぎて、一同泥酔。それがもとで、赤ちゃんの命が危うくなることも、よくあったといいますから、呆れてしまいます。


そしてこのとき、銀のスプーンが登場します。

母乳以外に、新生児が最初に口にするもの。それは、銀のスプーンでなければいけない。銀が、赤ちゃんの将来に繁栄をもたらす。そう信じられてきました。だからこれは、大切な「儀式」なのです。

使われるのは、銀のティースプーン。それで何を飲ませるのか。これが何と、祝儀のウィスキー!数滴落として、赤ちゃんの口に含ませる。それが当たり前だった、といいます。ちなみに島では、幼児が病気になったら、ウィスキーが一番の薬、本気でそう、信じられていたとのこと。

でも、銀のスプーンのある家なんて、島では数の少ないお金持ち。北の外れの島の暮らしは、決して楽ではありません。ほとんどの住民にとって、銀のティースプーンは、高嶺の花です。たとえ一本でも、これを用意できる家は、限られていました。

では、多くの農家や漁師の家では、どうしたのでしょうか。羊の助けを借りました。農家では羊毛から糸を紡ぐのが当たり前という暮らしです。羊は、暮らしの糧です。その羊の角(つの)を削って、スプーンを作ります。この羊の角のスプーンに、銀貨を一枚乗せる。これを銀のスプーンに見立てて、赤ちゃんの口に含ませました。

銀貨を用意できる家は、それでもまだ、恵まれていました。一枚の銀貨さえ用意できない、貧しい家が珍しくなかった。でも、大切な赤ちゃんの、一生に一度の晴れの儀式。何としてでも、銀が必要です。そんな家では、余裕のある親戚や隣人に頭を下げて、ようやく一枚の銀貨を借りました。切ない思いをしながらも、それで何とか「儀式」を済ませました。

「せめてこの児にだけは、豊かな未来を授けて下さい」
親の精一杯の、祈りの気持ちが伝わってきます。様々な人間の思いを載せて、天に橋渡しをする。大昔から西欧社会で銀器が果たしてきた、象徴的な役割の一面です。

ここまでが、おじいさんが語った昔の話です。所々私が説明的な文章を挿入していますが、話の本意は外していないと思います。

オークニー諸島は、地の果ての辺鄙な場所にある島です。なのに、ストーンヘンジを思わせる巨石サークルや、新石器時代の平石造りの見事な住居跡など豊かな歴史的遺産に恵まれています。そして、古くからその名が知られています。なぜなのでしょうか。

その秘密の一つが、この島の位置にあります。北欧とりわけノルウェー西岸からスコットランドに向かうとき、この島々は航路上、便利な場所に位置します。そうです、ヴァイキングのたどった航路です。彼らの来襲で、9世紀末迄に島は、ほぼノルウェーからのヴァイキングたちの世界となったようです。

ノルウェー南部の遺跡から発掘された、820年頃のヴァイキング船の復元図。 全長約21m、幅5m、オール片側15本。中央に高さ13m程の一本マストを備え、大きな四角い帆をかけた。先端の装飾に注目。

こうして、13世紀初めまではノルウェー系の領主が支配。その後、一時デンマーク王の領有を経て、1470年頃に北隣りのシェットランド諸島と共に、スコットランドに併合されます。住民は、北からやって来たヴァイキングの子孫が大部分です。先住民ピクトの人々との混血も語られますが、何といっても鍵は、ヴァイキングにあります。

言語や風習、それにヴァイキングとしての誇りと伝統を伝える英雄物語(サガ)。島の歴史は、ノルウェーやデンマークとの深いつながりの中で創り上げられてきました。おじいさんの話に出てくる、この島の人々の、銀に対する強いこだわり。その背景には、こうした島の歴史が大いに関係していると思います。

銀の大好きなヴァイキング。彼らが未知の大海原へと飛び出していったのは実は、銀を求めてのことではなかったのか。ずいぶん以前から私は、そう考えています。彼らと銀の関係を辿っていくと、とても興味深い世界が見えてきます。オークニー諸島もまた、その面白さを描くモザイクの一コマです。いつか訪ねてみたい場所です。

 

「これからは、ちゃんと更新します!」

平成十六年の鬼が、すぐそこで笑っています。

すでに師走も半ば過ぎ。

寒風の夜空に、いろいろな約束が飛び交う季節です。

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さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。
                                 (2003/12/17)