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不定期連載『銀のつぶやき』
第22回「みちくさ」

2005/04/26

初めて見かけたとき、彼女はおそらく小学校一年生だったと思う。

ピカピカのランドセル背負って、私立女子校のつばのある帽子をかぶり、濃紺に鈍い朱色の線が入ったセーラー服の上下。

後ろ姿はまるで、手足の付いたランドセルが帽子をかぶって歩いているかのようだった。出会うのは、だいたい、朝の七時十五分前後。通学時間としては、かなり早い。

なぜ、その子のことが印象に残っているかというと、彼女がちょっと変わった子だったからだ。出会うときは、きまって、歩道脇の植え込みやら、ビルの入口などにしゃがみ込んで、何かを見ている。

それは、散った花びらであったり、アリの行列であったり、街路樹の保護柵につながれている子犬であったりする。ある晴れた秋の日に、珍しく彼女が上を見上げていたことがある。何を見ているのかと思ったら、そこにたくさん、モズのような鳥がとまっていて、ぎーぎーという声で啼いていた。

私にとっても、子供の頃から歩いている道だ。しかし、その街路樹にあんなにたくさん鳥がとまっているのは、初めて見た。不思議な光景だったので、私もまた、彼女から少し離れた場所で、同じように上を見上げて、その様子を眺めた。

青空を背景に、影絵のように黒く浮かび上がった木の枝と葉。そこにとまったモズたちが、それぞれ勝手な動きをしながらぎーぎーと啼いている。面白い。ずっとそこで見ていたい。そう思った。

モズの群れがついばんだためだろう、木の実の殻のようなものが、歩道にたくさん落ちていた。おそらく彼女は、その殻を見つけて不思議に思い、じーっと観察しているうちに、頭上の鳴き声に気づいたのだ思う。通勤を急ぐ大人たちは、何も知らずに、通り過ぎていく。姫君の姿を見つけなければ、私も気づかぬまま通り過ぎたに違いない。

彼女の制服は、地域ではよく知られた女子校のものだ。そこに通学するには、電車に乗る必要がある。とはいっても、ここまで早い時間に出る必要のある場所ではない。しかし、姫君のように道草を重ねていけば、遅刻する。たぶん何度も、遅刻したに違いない。そのたびに、先生とお母さんから叱られて。だから、早い時間に家を出るようになったのだろう。

学校帰りの姿を見かけることも、何度かあった。登校時とまったく同じ調子だ。どこかにしゃがみ込んで、何かを観察している。歩道の植え込みで、アゼリアの花を摘んでいたこともある。スキップを踏んでしばらく行ったかと思うと、突然何かを見つけて、しゃがみ込む。それが雨上がりの水たまりだったりする。

彼女を見ていて、子供の頃の自分を思い出した。おもしろいと思うものが見つかると、それに引き込まれて、我を忘れる。道草をする。興味につられて、回り道をする。そして、本来やるべきことを、忘れてしまう。持って生まれた性格で、これは今もまったく変わらない。

たとえば、英国でアンティークフェアの会場を訪れるとする。朝一番に入ることも珍しくない。一応、私も業者のはしくれだ。自分の仕事の対象となる品々を素早く見て判断し、購入すべきは購入する。ここまでは、他のプロと変わるところはない、と思う。問題は、その先だ。

フェアというのは、同じ日に複数開催されることが珍しくない。だからプロはふつう、出来る限り短時間で購入し、別のフェア会場へと向かう。ところが私には、なかなか、これができない。一端、仕事の購入が済んだ後で、またぞろ同じ会場を歩き出すことになる。

なぜか。
あれもこれも、おもしろくて仕方がないからだ。
そして、仕事を忘れてしまう。

気が付くと、足は棒のようになっている。それでも、おもしろくて止められない。会場に人の姿が減ってきて、品物を片づけ始める業者を見て、はじめて我に返る。

もう、帰らなきゃ。その日行く予定だった、別のフェアには当然、行かれない。

道草そして回り道。だから滞在期間が長くなる。

この仕事を始めて十七年にもなる。なのに、今もって何も変わらず、こんなことを繰り返している。三つ子の魂百まで。決して飽きることがない。

みちくさは多ければ多いほど、やがて心を豊かにしてくれる糧となる。ただ、それが「糧」となるまでには、長い発酵と熟成の年月が必要だ。ときに数十年という長さで。

姫君は、もう中学生になっただろうか。あの好奇心の強さは、並大抵のものではない。強い個性と共に生まれた彼女は、その人生の道筋も、普通の人とは少し、違ったものになっていくことだろう。

大人になるまでには、大部分のクラスメートと違っていることに、あれこれ悩むことがあるかもしれない。何をするにも、普通の人よりも時間が掛かるかもしれない。

でもいつか、みちくさと回り道の果てに、きっと何かを見つけるはずだ。自分だけの、個性的な何かを。

今思う。

そんな風にして、人と違う道を歩くのも、わるくない。

「最近のつぶやき、内容が難しい上に、長すぎる。だから、読む気がシナーイ。」

よく存じ上げている編集者の方から、笑顔で直言された。文章のプロは、いつだって厳しい。確かにそうだと、「少し」反省する。今回は、その反省を形にしてみたつもりだ。

でも、三つ子の魂百まで。
だから、いつかまた元に…。

タンジールのみかんに、まだ戻れない。

まだ戻る気は大いにある。

さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。


 

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今年は五月以降に、ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷について、これまでにない視点から、あれこれお話をする機会ができました。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。詳しくは→こちらへ。

2005/04/26