2008/8/16
きのう蝉の亡きがらを二回、手にしました。
どうやら夏も盛りを過ぎたようです。
朝澄み切った空の雲はもう、秋です。
「銀のつぶやき」も、
雰囲気を変えてみたくなりました。
人生の秋、という言葉があります。
これをテーマとする歌があちらの歌謡曲には珍しくなく、
大人の歌手が歌っています。
あるシャンソンが、聞こえてきます。
たとえば、こんな歌詞で。
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むかし昔の僕がまだ、若かったあの日々は
はたち(二十歳)という年だったあの頃は
舌に優しい雨のように、味わい甘く感じてた
あの頃僕は人生を、ちゃらちゃら浮かれて送ってた。
夕暮れ風がキャンドルの、炎を揺らす気まぐれで、
人生なんてゲームさと、気取って日々を遊んでた
夢は山ほどあったのに、輝く野心もあったのに
嗚呼、そのどれも皆、地道のかけら一つなく、
砂の上の蜃気楼
あの頃僕は、目の前の、真実照らす太陽の
光を避けて、夜こそは、ここぞ舞台と生きていた。
ふと気が付けば、今はただ、過ぎ去りし日の歳月が
古傷あけて、身に、沁みる。
むかし昔の僕がまだ、若かったあの頃は
飲んでは歌い、歌い飲み、尽きることなき宴の日々
今に思えば、あの日々は、誘惑池に溺れこみ、
馬鹿な騒ぎに目がくらみ、まことの困難見ぬふりで、
ただただ瞳を閉じていた
気が付けばもう今は、時は早くも流れ去り、
若さもすでに消えかけて、
なのに思慮分別も知らぬまま、
生きる道から逃げ続け
思い出してみるならば、誰と話しているときも、
いつも自己中、身勝手で、他人のことなど、知らぬふり
若かったあの頃は、青く輝く月影の、
下を狂遊し続けで、目新しさばかり追い求め、
あの大切な輝ける、月日を僕は、マジシャンが
杖の一振りするように、意味なく瞬時に消し去った
消えてしまった日々の果て、これほど怖い虚しさが
あると夢にも思わずに、
俺ほどもてる男など、そうはいないと高ぶって
自信満々傲慢で、恋愛ごっこの日々続け
ともした恋のゆれる火は、その場限りのものばかり
友達だっていたはずが、いつの間にか、もう誰も、
そばに残った人はなし
ふと気が付けば今はもう、舞台の上に、僕一人
間もなく幕が下りるのに
歌われなかった山ほどの、歌が心に残ってる
なのに僕には、声もなく、一つの歌も歌えない
そしてこうしてただ一人、涙の味が、ほろ苦い
若かったあの頃の、愚かさのつけ、今ここに
僕はこれから、払う番
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これは、シャルル・アズナブールの
"
Hier Encore"という曲の歌詞です。
邦題がたしか『帰り来ぬ青春』だったでしょうか。
英語曲名が"When I Was Young"
ユーチューブ、ここで聴くことが、見ることが出来ます。
そして、こちらでも。
これに下手な七五調で、素人訳をつけてみたわけです。
恥も外聞も、敢えて忘れて。
意味、通じますよね。どうですか。
ちょっと怖い歌詞だと思いませんか。
若い人ならいざ知らず、三十五歳以上の方ならば、
この歌詞の意味を把握して聴いていたなら、
ちょっと辛くなるんじゃないでしょうか。
この曲、中学生の頃から知っています。そして、ずっと、思ってました。あのアズナブールだもの、どうせ「甘い歌」に決まってる。彼の歌にそんな偏見を抱いていました。
だからこの歌も
「若い頃は良かった。あの頃が懐かしい。あの頃に戻りたい。」
そんな歌の一つに違いないとずっと思っていました。旋律の甘さといい、タイトルといい、歌い出しといい、そういう雰囲気が一杯ですから。
長らく忘れていたこの歌に、ふと再会したときには、言葉が分かるようになっていました。しかも、歌詞の意味が身にしみて理解できる年齢でした。それだけに、心にしみました。これは少しも「甘い歌」などでは、なかったのです。
「シャルル・アズナブールにジャック・ブレルのような深みは期待できない」
そんな軽々しい評価を信じて、音楽評論家を気取っていた若い時代を猛省するきっかけとなった歌です。
アズナブールの深さを解く鍵は、おそらく、
アルメニア、イスタンブール、そしてパリのアルメニア人街
に隠されていると感じます。もちろん、ピアフは別にして。
そして最後もう一度ユーチューブ
アズナブール80歳記念コンサート、リヌ・ルノーの歌の見事さ、すべてアドリブの歌詞が心の奥底から思いを伝えていて、泣かされる。
そして、これも、すごくいい。 こちらは、円熟の洗練。
そしてコレもわるくない。
(むしろパトリシア・カースに惹かれてしまうのが困りもの、そう思うあなたには→こちら。)
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2008/8/16

■講座のご案内
2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。
いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
詳しくは→こちらへ。
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