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主婦の友社

「プラスワンリビング」

3月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載11回

今回の主人公は

ロンドンにある百貨店

「リバティ」の創業者
レイゼンビー・リバティー

日本に旅した男は

なぜ、女性たちの心を

捉えることが出来たのか。

百貨店「リバティ」

成功の秘密を探ります。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第73回「悲しきヴヴレ」

2008/4/10

 
 「私には故郷と呼べる場所がないんです。今回の旅で、身にしみてそのことを思い知らされた気がします。父の故郷であるギリシアの山村を訪ね、先祖の墓に詣で、遠い親戚たちにも会うことで、改めて自分のルーツを確認するつもりだったのに…」

 白髪交じりのカーリーヘア、肩幅広く胸板厚く、まるで逞しいギリシア彫刻のような体つきの彼は、目にうっすらと涙を浮かべながら、そう言うのだった。今思えばあれで四十代半ばくらいだったろうか。奥さんは両手で彼の手を握りしめ、しっかりと彼の目を見つめながら「ノー、ダーリン、ノー。プリーズ…」と囁やき続けている。彼女も半分泣いていた。

 二日前に初めて出会ったばかりの夫婦が、目の前で突然そんなふうになってしまったことに、まだ若かった私は驚いてしまって何も言葉を発することが出来なかった。「移民」という問題を身近に感じたのは、この出来事が最初だったと思う。もう四半世紀以上も昔のことだ。

 学生時代パリからバスに乗ってロワール河畔の城巡りに出かけた。三泊四日の小旅行だった。マイクロバスよりも一回り大きなバスで、ガイドは小太りの中年フランス人おばさん。この人がフランスなまりの英語で引率してくれる旅で、パリの観光バス会社シティラマ社のツアーだったと思う。

 参加者は欧米各地域から来ていて、大半は六十歳以上の、リタイア組の年配者が中心だった。全部で15〜6人だったろうか、オランダ、ドイツ、オーストラリア、カナダ、アメリカ、イタリアそれにスペインからという人もいた。季節は十月で学校が休みのシーズンではなかったからだろう、若者のツアー参加者は私だけだった。

 日本人は私一人。さすがに、ちょっと気後れしなくもなかったけれど、一人旅には慣れていた。中学生の頃から京都奈良に一人で旅をしていたし、フランスにたどり着く前にすでに、オランダからイギリスへと二ヶ月ほども一人で旅を続けてきた後だったから。

 バスツアー最初の訪問先がどこであったかよく覚えていないが、お城の庭をぞろぞろと歩いているとき、彼の方から私に話しかけてきた。「お爺さんとお婆さん」中心の参加者の中で、彼と奥さんだけが中年夫婦であり、私は大学生。「若い者同士仲良くしよう」というような冗談がきっかけだったと思う。今にして思えば彼はあの時、他のヨーロッパ人たちとは、話を交わしたくなかったのかもしれない。

 「オーストラリアから来ました。初めてのヨーロッパ旅行です。妻です。パリが旅の最後。この城巡りツアーを終えたら、パリからオーストラリアに戻ります。」

 「仕事は歯医者。父母がギリシアからの移民で、私はオーストラリア生まれです。妻は生粋のイングランド系オーストラリア人です。今回の旅は、父の故郷であるギリシアの山村を訪ねるついでに、妻の先祖の地であるイングランドも訪ねることでした。」

 亡くなった俳優で「大草原の小さな家」の父親役マイケル・ランドンに似た雰囲気、奥さんはジュリー・アンドリュースを茶髪にしたような感じだった。

 真面目そうで、適度に快活で、以後私は彼ら夫婦にくっついて回ることにした。そして互いにうち解けてきたツアー二日目のホテル、夕食の席での出来事だった。白ワインを頼んだ彼は、かなりの勢いで飲み始めた。昼間のツアーで巨大なカーヴ(ワイン貯蔵庫)を見学をしてきたばかりのヴヴレ(白)だった。この冷えた白が美味しかったことは今もはっきりと舌が覚えている。

 彼らにとっては長い旅の最終ステージ。ギリシアでの先祖訪問も了え、奥さんの先祖の地も訪ね、少し解放された雰囲気。「旅の終わり」という感傷が、酔いを深めたのかもしれない。メインディッシュを食べている途中だったと思う。話がギリシアのことになり、あれこれ説明してくれていた彼が突然、黙りこくってしまったのだ。不自然な沈黙がしばらく続く。

やがて何か重大なことを思い出したかのように彼が口にしたのが、 「私には故郷と呼べる場所がないんです…」という冒頭のセリフだった。あとは押さえ込んでいた感情が一気にほとばしり出る、まさにそういう感じだった。

 「オーストラリアでは、子供の頃から、ギリシア人ギリシア人と言われて差別され続けてきました。だから人一倍努力して勉強して歯医者になりました。」

 「そして、お金に余裕も出来て、ようやく父の故郷であるギリシアの山村を訪ねることが出来る日がやってきたわけです。長い間私は、自分のルーツである父のふるさとを訪れたいと思っていました。ギリシア、それが私の心のふる里だと、ずっと思ってきましたから。父も私にそう言い聞かせ続けてきましたから。」

 「それがどうでしょう。実際に父の故郷を訪ねてみれば、私は完全によそ者扱い。オーストラリア人、オーストラリア人と言われて、村人から親戚という扱いはしてもらえませんでした。遠い親戚たちは私たちに、むしろクールな感じで接してきました。もっと暖かく迎え入れてもらえるものと思っていたのに。長い間夢見てきた心の故郷に裏切られた。今はその思いで一杯です。」

 「一体私は何なのでしょうか。ギリシア人でもなければ、オーストラリア人でもない。どこにも属することの出来ない、宙ぶらりんな人間。二度とギリシアを訪ねようとは思いません。だけど、オーストラリアに帰れば、おまえはギリシア人だと言われます。だとするならば、私はこれから一体何を心の拠り所に生きていけばいいのか…」

 彼の目からは涙がこぼれ始めていた。奥さんは両手で彼の手をしっかりと握りしめたまま何も言わなくなっていた。私はただただ驚いて冷えた白を飲み続けるばかりだった。

今もヴヴレを手にするたびに、この時のことを思い出す。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2008/4/10

■講座のご案内

2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。

いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

 

詳しくは→こちらへ。