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大原千晴

名画の食卓を読み解く

大修館書店

絵画に秘められた食の歴史

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シオング
「コラージ」3月号

卓上のきら星たち

連載33回

英国スーパー業界の大変動

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第136回 略奪商人、ヴァイキング

 
 

2014/3/31 

  前回 の続きです。

 

 

 今も欧州各地で発掘され続ける大量のイスラーム銀貨。では具体的に、どれくらいの枚数が見つかっているのか。その量の多さで一番有名なのは、スウェーデンのゴットランド島です。

 

 

 バルト海に浮かぶこの大きな島は、中世ハンザ交易の拠点の一つとなる海上交通の要衝です。ここからは既に発掘されたものだけでも、総計で7万枚を超えるイスラーム銀貨が出土しています。発掘されるのは、一部に限定されるわけですから、島全体に眠る総数がどれほどになるのか、想像もできません。推計で「総数30万枚」という数字を挙げる学者もいるほどで、発掘作業は現在も続けられています。

 

 

 このゴットランド島、上の写真にあるような、ヴァイキング(バイキング)たちの舟の形をした墓石があるんですね。ほぼ実際の船の大きさに近い感じで、いかに彼らにとって舟が重要なものであったかが、わかります。ここから、はるかコンスタンチノープル(イスタンブール)まで、こんな小舟で往復した人間がいた。その雄姿は、次の絵の男たちのようであったのではないでしょうか。

 

 

 ところで、ロシアや北欧ほど数は多くありませんが、英国でもイスラーム銀貨はあちこちのヴァイキング遺跡から見つかっています。埋蔵品発掘に関する法制度が整備され、発見者に一定の報酬が保証されるようになったこともあって、金属探知機を使っての「地中の宝探し」はちょっとしたブームです。実際2007年には北ヨークシャーで、こうしたマニアの手で過去最大級のヴァイキング埋蔵銀が発見され、この発見者は50万ポンド(約9千万円)という大金を手にしています。宝探しがブームになるわけなのです。

 

 

 

 では、ヴァイキングたちは、壺にザクザク一杯になるほどのイスラーム銀貨や様々な銀の装身具を、いったいどこから、どうやって手に入れたのか。

 

 まずは「略奪」です。本拠地である現在のデンマークやスウェーデンから船団を組んで、欧州各地の海岸沿いや河筋の町や村を急襲し、有力者の館、修道院や教会を襲って財産を略奪する。襲われた地域は驚くほど広範囲に渡っていて、地理的に近いスコットランドやアイルランドは言うに及ばず、ブリテン島の東海岸も広範囲にわたって、繰り返し襲われています。特に865〜79年の長期侵攻では、イングランド北部の中心都市ヨークが制圧される事態に。今ではその当時の大規模な遺構が「ヴァイキングセンター」と呼ばれる楽しい歴史博物館となっています。

 

 上の図で茶色が、ヴァイキングが侵攻した経路と地域 

 

 フランス北部では、海岸沿いの集落が点々と襲われ、セーヌ河口からかなり入った所に位置するパリも、何度目かの襲撃の後、885年の冬から一年近くヴァイキングの支配下に。更に、大西洋岸のリスボン、セビリア、カディスが次々と襲われ、ここから地中海に入って、現在のモロッコ沿岸部も標的に。さらに南仏のナルボンヌからアルルへと、現在のコート・ダジュール沿いに侵攻を続けて、イタリアに到達。ローマに通ずるアルノ河を遡行して、860年頃ピサの街が制圧されています。

 

 こうした略奪に加えてもうひとつ、銀を獲得する方法がありました。それは、町や村を襲って脅し上げた上で、以後「襲わない」という約束のもとに、毎年一種の「みかじめ料」を上納させるというやり方。これをデーン人(デンマークの語源)ヴァイキングにちなんで「デーンゲルド」(Danegeld)と呼びます。その凄まじい戦闘破壊力と殺戮の恐ろしさを思えば、狙われた都市の住民は毎年「恐怖の上納銀」を納めるほかありませんでした。要するに、我々にとっての「税金」と同じで、これを支払わないと「痛い目」に会う。ヴァイキングの場合には、その「痛い目」にあわせる度合いが、半端じゃなかったということですね。

 

 

 ところで、これとはまた別のルートとして、バルト海から内陸の河川を南下して、最終的に黒海を経てコンスタンティノープル(現イスタンブール)に到達した一派のあったことは前回ご紹介したとおりです。

 

 このルートに関連して、現在までに、ロシア及びウクライナ領域で、銀ザクザクのヴァイキングの宝の壺が発見された場所は、およそ700ヶ所。イスラーム銀貨が見つかるのは、この「ロシアンルート」の中でも、ドニエプルやヴォルガなど大河沿いの要衝や、大河が黒海へと流れ出る河口付近の港町が中心です。

 

 注目すべきは、内陸部に奥深く入り込んだ中小河川沿いの遺跡からも、イスラーム銀貨が見つかっている点です。これは何を意味するかというと、イスラーム商人がそんな奥地にまで実際に訪れたかどうかは別にして、そうした地域までもが、広大なイスラーム経済圏の一部として組み込まれつつあった、ということを象徴しています。この点を探っていくと、「通貨とは何か」という、非常に深い問題に直結するところで、話はそう単純ではないんですけどね。

 

 このあたりの「感覚」に興味のある方は、「銀のつぶやき」第14回の「この部分」(シャンパーニュの銀貨の話)をちょっと読んでみてください。そして、更に興味がわいたら、黒田明伸さんの『貨幣システムの世界史 増補新版』(岩波書店, 2014年3月)をお読みになって下さい。ものすごーく、面白いですよ。私は十年少し前にこの黒田さんの著書を読んで、一発でファンになってしまいました。日本の象牙の塔の頂点に近いところにいらっしゃる方ですけれど、たまには「高い塔」から下界に降りて、一般向けに本を書いて頂きたいと願っています。→黒田さんへのインタビューに飛ぶ→ここでさらりと語られている中身の凄いこと! エンデの『モモ』の先が見えそうな...。

 

ヴァイキングに戻りましょう。

 

 興味深いのは、こうした場所でヴァイキングが、「交易」を行なっていたという事実です。では、いったい彼らはどのような品物を「商品」としたのか。まず、本拠地である北海・バルト海沿岸で多く採取される琥珀(こはく)、セイウチや一角(いっかく)の牙(象牙のようなもの)、スラブの住民から入手する貂(てん=セーブル)などの毛皮、蜂蜜と蜜蝋、内陸部への侵攻途上で「捕獲した」スラブ人奴隷等々、いずれもイスラーム圏で珍重され、高価に取引された品々(と人々)です。

 

 英語で奴隷をスレイヴ(slave)と呼びますが、その語源は、この当時のヴァイキングによるスラブ人の奴隷化に遡ります。ヴァイキングたちはこれらのものと交換に、銀貨や金銀製の装身具など、イスラーム圏で作られた優れた工芸品の数々を入手していたわけです。

 

  独特の意匠で造られたチェスの駒

 

 こうした歴史があるからこそ、スラブ系のロシア人の学者は、前回触れたように、ロシアの建国神話である『過ぎ去りし日の物語』の解釈に敏感にならざるをえないのです。ごく当然のことのように、よそ者であるヴァイキングが支配者として君臨することを認めるような神話解釈は、絶対認めたくない。「歴史的事実」がどうあれ、民族的な感情として、これを認めたくない。ヴァイキングによって奴隷化され売り飛ばされた人々の子孫、という立場に立てば、その感覚は、よく理解できます。ちょっと話が硬くなっちゃいましたね。

 

 要するに、ヴァイキングをはるか異国の彼方へとつき動かした原動力、それは「銀の獲得」にあった! 骨董銀器商の勝手な仮説、皆様いかが思われますでしょうか。

 

 ヴァイキングの退蔵銀とイスラーム文明&経済圏の深い関係。この原点を抜きに、現在の欧州銀器の歴史を語ることはできません。そして、この両者の接触の歴史は、現在にまで続く英国の銀の基準「スターリング」(sterling)という言葉の語源経路にも、思いもかけない痕跡を残しています。過去は今に直結しているんですよね。

 

    きょうのお話は、ここまで。

  面白いお話、出てこい。
    もっと早く、もっとたくさん。

2014/3/31

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
  主婦の友社     定価 \2,100-

  イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝

  

  

ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。

本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。

私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

■講座のご案内

 2011年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。

 歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。

詳しくは→こちらへ。