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主婦の友社

「プラスワンリビング」

7月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第7回


今回の主人公はイタリア・ルネサンス期の激動を生き抜いた
マントヴァ候妃

イザベラ・デステ
極めて魅力的な女性です。


彼女の宮廷の面白さ、興味深い宴席の様子など、銀器文化の奥深い背景を訪ねます。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第60回「島田以遠不通」

2007/7/17


 あれこれものを調べていると、思いもかけない言葉に出くわして、ハッとさせられることがある。つい最近「島田以遠不通」という言葉に出会った。漢字で僅か6文字。しかし、これがなんとも「重い」背景を背負った6文字であることを知って、ここに記してみたいと思った。

私がこの6文字に出会ったのは少し古い新聞記事であって、そこには次のように書かれていた。

東海道線運転状況
三十一日十四時現在 東海道線の運転状況次の通り
  下り線 東京―島田折返し運転、島田以遠不通
  右の為 島田以遠行乗車券の発売は停止している

ここで「島田」とは、静岡県の島田のことであって、東京側から見れば焼津の少し先、大井川手前の、あの島田である。東海道線が、そこから先は「不通」。島田から先への乗車券の発売も停止。東京から名古屋はおろか、浜松にさえ行くことが出来ない、という事態だ。

この新聞記事には、運転再開の目途や、なぜ「島田以遠不通」になってしまったのか、という基本的な情報は何一つ、書かれていない。なぜかと言えば、この新聞が発行された当時、読者にとってそんなことは自明のことであったのだ。

「島田以遠不通」この事実さえ分かれば、それで充分。「あっ、そうか。今日は、島田までは行けるんだな。先週は浜松まで行けたのになあ。」という感じだったろう。

「不通」の原因? 運転再開の目途? そんなもん、誰が知るか。こっちが教えて欲しいよと、駅員さんは答えたに違いない。

もったいぶっても仕方がないから、はっきりさせておこう。これは昭和20年8月1日(水曜日)の朝日新聞第2面第7段に掲載されている記事である。従って、上の記事で「三十一日」とあるのは、昭和20年7月31日のことであって、それは言うまでもなく1945年、終戦の夏である。

私はこのとき初めて知ったのだが、当時の朝日新聞は僅か2ページしかなかったらしい。要するに、1枚の新聞紙の表と裏だけ、ということになるのだろう。

新聞が一日にたった2頁分しか記事を掲載できないとき、果たして、如何なる情報を読者に届けるべきか。今もし、こうした事態を迎えたとするならば、新聞社内では、記事の優先順位をめぐって殴り合いのケンカになるに違いない。新聞記者とは、そういう人たちであって欲しい、と私は密かに思っている。

そして、そうした過程を経て僅かなスペースに掲載される記事は、厳選の上にも厳選を重ね、文字通り一字一句もゆるがせに出来ない重みを持った言葉が続くことになるだろう。

この列車運行状況の記事の左上には、次のような3行の見出しが書かれている。

残留校長も地方へ
疎開学寮中心に
学童集団疎開を恒久化

「学童集団疎開を恒久化」

この言葉も、重い。記事を読むまでもなく、見出しを見るだけでも、心が痛む。そして次には、こんな記事が出ている(記事は全て私なりの現代漢字仮名遣いに変えて表記している)。今で言えば「読者質問箱」というところだろうか。

戦災相談
殉職警防団員と保険
問:三月十日の戦災で官設特別警防団員であった甥は老母と子供二人を残して一家全滅しました。団員として保険がかけてあったと思いますが、何の通知もありません(埼玉、秋森)

「一家全滅しました」
今、こんな言葉を新聞社が投書欄に載せることは、多分、ないだろう。「三月十日の戦災」とは、東京大空襲のことに違いない。そして質問は「…何の通知もありません」で終わっている。その言葉の、あまりの重さに、今「消えた年金情報」で大騒ぎをしている我々は、自身の言葉の軽さについて、これを恥じ入るほかはない。

当時、極めて厳しい言論統制が行われていたことは、誰もが知っている。しかし、私はこのわずか2頁しかない新聞を読んでみて、意外なことに気が付いた。新聞社は、ひねりを利かせた形で、統制をすり抜ける形で、読者に対していろいろなことを伝えようと努力していたように見受けられるのだ。

ニュース素材の選択から「凝った表現」まで、思いもかけない仕掛けが、あちらこちらに隠されているのだ。おそらく、統制していた側だって、そんなことは完全に見抜いていたはずだ。暗黙の了解、というところだろう。両者の間には無言の合意が形成されていたように思われる、などと言ったらキツイお叱りを受けそうだが、しかし…。

そのことが分かったとき私は、このたった2頁の新聞は、ひょっとしたら、今の新聞の20頁分、いや、200頁分にさえ値するほどの重みがある、と思われはじめてきた。

自由が弛緩(しかん)を招き、制約が緊張を生む。これもまた真であるらしい。ゆるみ切った頭で私は、そんなふうに感じた。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/7/17

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