2007/1/28
高校生の頃の話だ。なぜか突然タイプライターがちょっとしたブームになったことがある。受験雑誌にブラザーやオリベッティのポータブルタイプライターの宣伝がよく掲載されるようになり、テレビのコマーシャルさえ流されるほどだった。
「タイプライターで英文を打つ」それがまるで夢のように格好いいことに思われて。きっとアメリカ映画の影響だったのだ。新聞記者がバリバリとタイプライターで原稿を打つ。くわえタバコの作家がボロボロのタイプライターで、昔の女を忘れられずに小説を打つ。かっこいい男たち。ああ、タイプライターが打てさえすれば…。
今考えてみると、ほんとうに不思議だ。どうしてあんなものが流行したのか。ろくに英語もできないくせに、英文タイプだなんて。モノを売る側はよくしたもので、「指先で覚える英語!」「タイプされた文書は知性の証(あかし)」なんてコピーも見た記憶がある。そんな雑誌広告を穴のあくほど見つめ、デパートでパンフレットをもらい、寝ても覚めても「タイプライターが欲しい」。
たしか高校2年生のときだったと思う。「英語の勉強=受験勉強に役に立つ」という強力なおふだを使って、タイプライターを買ってもらったのは。うれしくて、うれしくて。おもちゃを買ってもらった子供のように、そのタイプライターをなでたりさすったりしていたものだ。そういえばあの頃、大学受験のことなんて本当は、これっぽっちも真剣に考えた覚えが、ない。
頭の中にあったのは、タイプライターやクルマ、フルートやギター、ラジオやテープレコーダー、あこがれのミュージシャン、そして、ある女生徒。そんなことしか考えていなかったタコ頭の高校生。
買ってきたタイプライターを前にして、さっそく部屋でタイプを打ってみる。ボブ・ディランの歌詞カードを脇に置いて、一生懸命にそれをタイプで打ってみる。ところが、これが、できない。たしかホームポジションと言っただろうか。鍵盤に両手を置き、それぞれの指先に決まった幾つかのキーがあって。それを参考にしながら、両手で打ってみる。でも、ぜんぜん、できない。
あたりまえだ。ブラインドタッチでキーが打てるようになるには、かなりの練習が必要だ。私は夢のタイプライターを買ってもらうまで、そのことに気がついていなかったのだ。タコ頭。当時タイプライターは、そんなに安くはなかった。親とすれば「少しでも英語の勉強=受験に役立つなら…」そんなワラをもすがる気持ちで買ってくれたに違いない。
「少しは打てるようになった?」この言葉を聞くたびに、憂鬱になったものだ。タイプライターさえあれば英語がバリバリ打てる。タコ頭は、そう思っていたのに、現実は違った。最初の一ヶ月ほどは、一生懸命にやってみたけれど、まるで進歩しない。最初はあんなにうれしかったのに、やがてタイプライターに向かうたびに、だんだんそれが憎らしくなってきて。結局三ヶ月と続かなかったと思う。そのまま部屋の隅にケースに入って立てかけられたままに。
ところが、これが、無駄にはならなかったのだ。受験が終わって大学入学前の春「タイプライターさえ打てれば…」という思いが復活してきた。何としてでもブラインドタッチでタイプライターを打ちたい。「じゃあ、学校に行ってみれば。タイピスト学校行きなさいよ。ちゃんと習わなきゃ、出来ないわよ。」そこで、当時一番有名だった虎ノ門タイピスト学校に通うことになった。
私が行ったのは渋谷校で、東急文化会館のそばにあった小さなビルの3階だったと思う。行ってみて驚いたのは、教室の机に並んだタイプライターの古さだった。ずいぶんと大きな、ひょっとして第二次世界大戦前から使っているんじゃないかと思われるような、古めかしいタイプライターがそこには並んでいた。
教室は私以外は全員、女性だった。今の私なら「…全員、若い女性たちだった。」と書くところだ。でも、高校卒業後で大学入学直前の18歳から見れば、大お姉様方がズラリと並んでいる、そんな雰囲気だった。実際、教室に通ってきていたのは、だいたいが会社勤めのOLさんたちで、仕事で必要なので来ているという人が大半だった。だから、多少なりとも会社から「補助金」が出ているような人と、そうでない小さな会社勤めの人が入り交じっていて、授業の前後に「ウチの会社はほんと、ケチなのよ」なんて愚痴が交わされたりしていたことを思い出す。
先生もとうぜん女性で、だいたい三十前後でいらしたと思う。ずいぶんと古めかしい授業で、配付された資料の中には、ガリ版刷りみたいなものも混ざっていた。しかし、これが役に立った。わずか二週間くらい通っただけで、一応ブラインドタッチの基礎が出来たのだから。それからのひと月ほどは、見栄一筋で、家で練習。大学に入る頃には、スピードは速くないけれど、ほぼ完全にブラインドタッチで打てるようになっていた。「タイプライターさえ打てれば…」そんなミーハーな見栄の力だ。
当時、男でタイピスト学校に通うなんて、貿易関連の仕事でもなければ、まず考えられなかった。まして18歳でタイピスト学校に通う男の子なんて、他にそんな奴には一度も会わなかったから、かなりの変わり者だったと言っていい。「映画の男達のように両手でタイプを打ちたい」「カッコつけたい」ただそれだけの、誠にもって底の浅い発想だった。
ところが、これが幸いした。もしこのとき、ブラインドタッチを身につけていなければ、その後登場するワープロやPCに対して、私は距離を置くことになったに違いない。その意味で虎ノ門タイピスト学校での2週間は、後に計り知れないほどの力を私に与えてくれるきっかけになった。
渋谷の古いビルの3階の教室で覚えたブラインドタッチ。今ブログで大きな力を発揮し始めている中高年の女性達は、あのとき「ウチの会社はほんと、ケチなのよ」と愚痴りながら、僅かなお給料の中から自分のお金で、あの学校に通っていた彼女のような女性達なのではないだろうか。
その後PCが流行し始めたとき、PC言語「ベーシック」を教える教室におじさん達が殺到した時期がある。しかし、その大半は、なんの役にも立たなかったハズだ。
人生、何が役に立つか、わからない。だから、面白い。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2007/1/28

■講座のご案内
2007年も、いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
詳しくは→こちらへ。
|