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主婦の友社
「プラスワンリビング」

7月7日発売号

アンティークシルバーの思い出

人物中心で語る銀器の歴史

連載第19回(最終回)

ジュリアス・シーザーの遺産

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大修館書店
「英語教育」8月号

絵画の食卓を読み解く

連載第5回

英国ディナーパーティー

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第98回「出世頭のタネ」

 

2009/7/18 


  小学校からの同級生で中学高校まで一緒だったK君が、ある一部上場企業の社長になったという。単に同級生というだけではなく、彼の自宅に遊びに行ったこともあれば、また、中学時代には一時バンドを組んで一緒に歌ったりしたことがある、その程度の親密度はあった仲だ。

 正直言ってK君は、お勉強は得意な方ではなかった。大学だってすんなりとはいかなかったハズで、しかし、いつも人気者だった。小学校の頃から女の子にモテたし、ハンサムでスポーツマンで、そして何より、気持ちのいい奴だった。

 数年前に高校の同期会で会ったときには、韓国に長く駐在して帰国したばかりで、多少の苦労話を聞かされた。当時はまだ部長クラスだったと記憶する。彼が入社した当時、私はその会社の名前を初めて聞いたくらいで、世間では知る人も決して多いとは言えない、どちらかといえばマイナーなメーカーだったと思う(ただし、その後この会社は大きく伸びた)。

 それだけに、経済的に余裕のある家に育った我儘お坊ちゃん若大将タイプの彼が、大学を出て入社した地味な会社一筋にやっていくとは思ってもみなかった。たぶん途中で放り投げて家業を継ぐに決まっている、と思っていた。それがいつの間にか、子供の頃からの同級生の中で「一番の出世頭」だ。

 いわゆる「一流会社」に行った人間なら、何人も知っている。しかし、社長になったという男は、彼をおいて他に知らない。まったく、人間なんて分からないものだ。

 東大医学部を卒業して、都心のある大病院の某科部長という立場の同級生もいるけれど、小学校のころから抜群の優等生であったことを思えば、至極当然という感じで驚きはない。それに、社会的に比較するならば、一部上場企業の社長というポジションの方が、重く見られるだろう。

 いまどき「出世頭」なんて表現は死語に近いかもしれない。人々の価値観が多様化し、何が「出世」なのか判断しにくいところもあるからだ。でも、そうはいっても、一部上場企業のトップに就くことが「出世」であることは、多くの人が暗黙に了解する基準ではないだろうか。

 高校時代から一緒で、このK君とも仲の良かった男に、A君がいる。彼もまたお勉強はどうも、という口だった。この二人は揃って浪人し、しかも予備校が一緒で、あまり勉強しないで大いに楽しく遊んでいた、と後で聞いた。

 このA君とも私はバンドを組んでいたことがあり、タイプは全く違うのに、仲良くしてもらっていた。一緒にスキーにも行っていたくらいだ。彼もまた抜群のスポーツマンで、K君と同じく、本当の東京の下町っ子すなわち江戸っ子で、べらんめえ調の話し方が魅力的な奴だった。

 このA君、今は従業員が300人強で全国に支店網のある中規模の会社の社長を務めている。繰り返して言う。彼はお世辞にも「お勉強が得意」と言えるタイプではなかった。

 さて、そろそろ結論だ。

 勉強が多少できるなどということは、出世には、あまり関係しない。少なくとも私の周りを見る限り、そう言わざるを得ない。子供の頃からモテまくる彼らを見て、私は思っていた。スポーツマンだからモテるんだろうと。でも、そうじゃないんだと、今は思う。

 この二人に共通するのは、「男気がある」ということ。これが一番大切なことなのだ。

 これがあるからこそ、本能的に女性が引き付けられ、また、男をも引き付ける。そんな彼らが何かのきっかけで「統率力」を考えた始めたとき、彼らは自然にリーダーになる。そんな感じがする。

 では、その肝心の「男気」は、どうやったら身に付くのか。それは、幼児の頃から中学校くらいまでの間、思う存分仲間と遊び、喧嘩し、スポーツや音楽に熱中する中で育っていくのだと思う。

 だから、子供の頃から塾通いに明け暮れた、なんて奴は、頭脳の力で重役にはなるかもしれないけれど、まずリーダーになることはない、という気がする。

2009/7/18

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 2009年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。また、この4月号から新たに雑誌の連載エッセイがスタートしました。

大修館書店発行の月刊『英語教育』で連載タイトルが「絵画の食卓を読み解く」。絵に描かれた食卓を食文化史の視点から読み解きます。ぜひ、ご一読を。

 というわけで、エッセイもカルチャーでのお話も、

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。

 歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。

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