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「プラスワンリビング」

5月7日発売号

「アンティークシルバーの思い出」連載第6回


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第6回。
フランスでの弾圧を逃れて

英国に逃げたユグノーの

銀職人たちが、苦労の末に

ロンドンで活躍を始めるまでの

苦難の足跡をたどります。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第56回「襲名披露とご祝儀、そして旦那」

2007/5/29


落語家の林家正蔵と歌舞伎役者の中村勘三郎が相次いで、税務署からお目玉を喰らった。伝統芸能の世界で大切な儀式である「襲名披露」でのお金のやり取りをめぐる「不透明さ」を特に衝かれた形だ。

二人とも「襲名披露でもらったお金、申告してませんね」と税務署から指摘されたわけだ。しかし、なぜ、税務署からこのことを指摘されたのだろうか。

こういう指摘をする以上、税務署は証拠を掴んでいるのだ。まさか正蔵さんや勘三郎さんのそばにいる人が税務署にチクる、なんてことは、ないはずだ。

税務署の側はきっと、こんな感じじゃないだろうか。
「正蔵さん、勘三郎さん、ご祝儀を頂いていますよね、襲名披露の時に。例えば、○○さんから。ちゃんとこっちには証拠があるんですよ、支払った側の。おたくの事務所の方ですか、領収書にハンコ押してますよ、ほら。後援会への入金という形になってますよねえ…」というような感じではないだろうか。

税務署側には証拠がある。この二人の芸人にあてて「確かにお金を支払いました」という「支払った側」から提出された書類があるに違いない。多分それは一般的には「領収書」と呼ばれるものだろう。

例えば仮の話、私が勘三郎さんの襲名披露にご祝儀として5万円をお出ししたとする。個人で出せばいいものを、「節税対策」として、会社の「交際費」ということで、私が社長を務める零細会社名義で、これを支払うことにする。支払先は勘三郎さんの後援会名義、ここでは仮に「勘三郎後援会」としておこう。本当の名前を出すのはちょっと憚られるから。

会社の交際費として支払った以上、私は勘三郎後援会に対して5万円の「領収書」を求める。後援会も、ごく当たり前のこととして、これを発行してくれるだろう。これを私は納税期に会社の交際費として税務署に申告する。勘三郎後援会発行の領収書は添付書類の一部となる。これが税務署側の証拠になる。

そんなこと誰だって知ってるよ!と言われそうだ。

しかし、私がここで言いたいのは、芸人の納税申告のいい加減さ、なんて問題ではなく、このことをめぐって少し忘れられているのではないかと思われることについてだ。

昔から芸能の世界は、旦那が芸人を贔屓(ひいき)にすることで成り立ってきた。基本的には個人が個人を贔屓にする。「黒門町はいいねえっ」「俺は六代目が好きでさ」そんな感じだった。私の子供時代にはまだ、こういう雰囲気の大人がたくさん私の回りに残っていた。

江戸時代には、歌舞伎役者の贔屓が徒党を組むということも珍しくなかったようで、それぞれの贔屓筋が互いに競うように派手な贔屓合戦を繰り広げるということも珍しくなかったらしい。それこそ贔屓を引き倒すほどの凄さで。

その当時、贔屓(ひいき)の芸人にお金を払って「受け取りをくれ」なんて、誰も言わなかった。当たり前だ。

「おおはら屋の旦那が高麗屋に暖簾代にって十両を贈ったなぁいいが、受け取りを出してくれって言ったてえじゃねえか。なんとも呆れた話だぜ。あの旦那たぁ二度と口をききたくねえなぁ、江戸っ子がすたれらぁな」である。

それともうひとつ大切なこと。

贔屓にするということは「芸人にお金を支払うこと」だということ。たとえ料理屋に招いてご馳走する場合でも、ちゃんとお小遣いをたっぷりと支払う。それが気っ風というものだ。単に「好きです」というのでは、贔屓にならない。自分の身銭を切る、これが贔屓の原点だ。そして、この気持ちが、芸と文化を支えてきた。

なぜ、自分の贔屓(ひいき)の芸人にお金を支払うのに、「領収書」を要求するのか。会社の費用でこれを支払うようになってきたからだ。時に交際費という名目のこともあるだろう。とにかく何らかの会社経費の名目で、芸人やアートに金を支払う。そしてこれが現在の芸とアートの世界を大きく歪めていると感じる。

芸能やアートは、個人が身銭を切って贔屓にすること。それしか、ない。以前こういう悲しい経験をしたことがある。日本を代表する保険会社が、ピアニストである内田光子さんのコンサートのスポンサーになったことがある。会場はサントリーホール。

彼女の大ファンである私は数ヶ月前に予約を入れ、一番高い席を購入して出かけてみた。そしたら、私の前2列分、全部で二十数人分の席がコンサートが終わるまで空席のままだった。間違いない、スポンサー様へのご招待席である。当日の会場で最高の席だったと断言できる。これがズラリと空席のまま。これほど失礼な話は、ない。

内田光子さんに対しても、当日やっとの思いで切符を入手して聴きに来たファンに対しても、失礼極まりないことだ。なぜ、こんなことになるのか。個人が愛するものに、個人が個人としてお金を払うという、贔屓の心意気が忘れ去られつつあるからだ。

スポンサーたる保険会社に、間に立った広告会社から回された招待券の束。それが何らかの手違いで、きちんと配布されなかった、ということだろう。自分で身銭を切っているならば、絶対にあり得ない事態だ。どうせ人の金、会社の金、誰かが決めた企画。たしか内田光子とかって、広告会社が持ち込んだ企画だし…配るの忘れちゃったなあ…。

本は一切買わずに、すべて図書館で読む。音楽や映画も、そして落語さえも、CDやDVDを買わず、ダウンロードにも金を払わず、すべてネット上で「無料」で入手する。たまに「見に行く」芝居やコンサートは、企業のご招待か、新聞屋さんがくれるタダ券。あとはテレビとラジオ。「私アート大好きですけど、お金ないから…。」

一銭も支払わずに、他人の創り上げた芸とアートを消費する。なんとも干からびた、悲しい話だ。こんな人ばかりでは、芸やアートは育たない。旦那の不在。情熱の不在と言い換えても、いい。

今必要なのは「ちょい悪おやじ」じゃなくて、おしゃれな旦那。芸とアートを心から愛し、身銭を切って遊ぶ、旦那です。芸人に支払ったお金に「領収書」なんて求めない、そういう旦那が、遊びの世界を豊かにする。

「近頃はロクな芸人がいなくなった」という声は、ずいぶん前から耳にする。しかし、どうだろうか、芸人の側から言わせれば「近頃はロクな旦那がいなくなった」ということではないのだろうか。

忘れないで頂きたい。芸人が旦那を育てるんじゃない、いい旦那が、いい芸人を育てるのだと。

たまたま、イタリア・ルネサンス期の希有なパトロン(旦那)の一人であるイザベラ・デステについて調べていたとき、この二人の「脱税事件」を知って、こんな事が頭に浮かんだ。ちなみに、このイザベラ、ちょっとアーティストいじめ的な側面もあったようだけれど、それでも極めて魅力的な人物だ。大昔から、オシャレな旦那は何も、男と限ったわけじゃない。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/5/29

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歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

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