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大原千晴

名画の食卓を読み解く

大修館書店

絵画に秘められた食の歴史

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シオング
「コラージ」9月号

卓上のきら星たち

連載27回

ムラノ島ビザンツの幻影

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第128回 影の帝王 フッガー一族

 
 

2013/9/19 
 

  フッガー家、その昔ヨーロッパで有数のリッチさを誇った一族です。知れば知るほど、興味が湧いてくる一族です。欧州の銀器の歴史に金融の面から興味深い足跡を残しています。一族のかつての本拠地、南ドイツの古都アウクスブルクで、今も一族のご子孫は健在です。そのご先祖様たちが、如何にして、欧州指折りのスーパー・リッチへと変身していったのか、銀との意外な関係を追いながらお話してみましょう。オリジナルは、『プラスワンリビング』(主婦の友社)2007年10月号に掲載されたものです。なお、この「銀のつぶやき」第114回115回の2回に渡って、アウクスブルク探訪記を掲載しています。併せてご一読下さい。

 

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  今回の主人公は16世紀ヨーロッパ銀器世界の「影の帝王」フッガー一族です。最盛期にはフィレンツェのメディチ家を遙かに凌駕したといわれる超大金持ちで、本拠地は南ドイツ、アウクスブルク。五百年前の欧州一のスーパーリッチは、一体どうやってお金を貯めることができたのか。その秘密を探ってみましょう。

 

 

 一族飛躍の一番の功労者はヤーコプ・フッガー2世(1459-1525)です。この人が偉かった。最初は綿麻混紡の織物の製造販売で大成功、そこから徐々に手を広げて、ヴェネツィア経由で東方からもたらされる香辛料、綿花、高級織物、真鍮製品や水銀などを手広く扱う貿易業へと発展し、ヨーロッパ全域に80カ所にのぼる支店代理店網を有する国際的な大商人となっていきます(★注釈1)。

 

【注釈1】これだけの大事業達成の影には優れた会計帳簿の存在があった。支店毎に資産・債務が明確にされ、事業全体の貸借対照表や損益決算書に相当する書類まで作成されていたというから驚く。なお、貸金回収が見込めない相手は「黒色帳」すなわちブラックリストと名付けた帳簿に記載したというから面白い。

 

 こうして貯まったお金を元手にヤーコプは、あちこちの領主様や王様それに偉いお坊様たちにお金を貸す金融業を始めます。これが、単なるお金持ちから「超お金持ち」へと飛躍する一番のきっかけとなります。しかも、単にお金を貸して金利で儲けただけではありません。お金を貸す以上、担保を取ります。その担保がまたもうけの種になっていくという、文字通りお金がお金を生む仕組みが出来上がります。

 

 例えば、ある王様から取った担保に、チロル地方の銀山から出る銀を独占的に販売する権利がありました。石見銀山ではありませんが、領地内に良い銀山があれば、それだけで領主様や王様は御安泰(ごあんたい)。それくらい銀山が貴重な存在だった時代です。当時のヨーロッパでは、お金といえば銀というほど銀を中心とする経済構造でしたから、その銀山が実質的にフッガー家のものになったことは「カネの成る木」を手に入れたのも同然でした。

 

 また別の機会にはハンガリーの銅山の採掘権を手に入れ、ここでもまた大もうけ。こうしてフッガー家には、交易で儲けたお金、お金を貸して得た金利、そして銅山・銀山から採掘される銅と銀、これらがどんどん集まって金と銀の山が築かれていきます。ちょっと憎たらしいくらいです。

 当時の南ドイツの街々―アウクスブルクやニュルンベルク―は、時の運にも恵まれていたようで、フッガー家の他にも、ヴェルザー家やハウク家など、フッガー家を小さくしたようなお金持ちの家が幾つも誕生しています。こうした商人達が時に互いに協力し、時に競争するという関係を保ちながら、これら小都市は急速に、欧州屈指の豊かな街として発展していきます。あの「ロマンティック街道」の美しさは、この頃の繁栄が基礎になって生まれたものです。

 

 そこでごく自然の流れとして、これらの街では銀を素材とする銀器工芸や宝飾加工が非常に盛んになり、やがてアウクスブルクとニュルンベルクは、欧州全域にその名を知られる存在となっていきます。あちこちの教会や殿様達から銀器の注文が舞い込み、また、技術指導のために銀職人の親方を派遣してほしいという要請も続きます。では、それがどのような銀器だったかといえば、重厚な装飾をほどこした上に金メッキをし、そこに色とりどりの宝石を飾るという、豪華な中にも中世の教会の装飾を思わせるような銀器が多く作られます。

 

 これらの銀器は今に至るも、欧州各地の美術館や教会、お城の宝物館などで目にすることが出来ます。このようにフッガー家の繁栄は、銀塊販売から銀器工芸に至るまで、南ドイツの二つの都市を全欧州の銀器世界の中心へと押し上げる原動力となりました。

 

 ところで、16世紀後半に入るとヨーロッパでは、素材となる銀が豊富に市場に出回るようになり、それ以前と較べて銀器造りが飛躍的に盛んになっていきます。というのもスペインが新大陸中南米で発見した銀山からの銀が大量に届き始めるからです。そして呆れたことに、その南米からの銀もこれまた、フッガー家の手元に集まりました。なぜならスペインの王様はフッガー家から多額の借金をしていたからです。

 

 戦争に巨額のお金を使ってしまって借金返済ができない王様は、「5年先に運ばれて来る予定の銀」まで担保に差し入れるというほどお金に困っていたのです。実際、銀を一杯に積み込んだ宝船(★注釈2)が南米から到着するスペインの港にはフッガー家の者が待ちかまえていて、到着した船から王様の兵隊が勝手に銀を荷下ろししないよう目を光らせていたといいます。時にはここで銀を「渡す、渡さない」で王様側と大げんかになることもあったとのことで、これでは一体誰が真の王様なのかわからなくなりますね。フッガー一族は当時まさに「影の帝王」と呼ぶにふさわしい存在だったのです。

 

【注釈2】僅かに年代が後になるが、この銀を満載したスペイン艦隊をカリブの海で待ち受け襲ったのが、ドレーク船長に代表されるイギリスの海賊たちだ。彼らパイレーツ(海賊)は、銀を奪い、敵艦隊を撃滅することで国の英雄となり、英国海軍の礎石となった。

 

 このヤーコプが発展させた大財閥を実質的に継承したのが、甥っ子のアントン・フッガー(1493-1560)でした。しかし、彼の代になると、お金を貸し付けていた王様や領主様がうち続く戦争の果てに次々と破産状態になっていき、ついにはスペイン王もその仲間入り。これがフッガー財閥の命取りとなります。ここに至ってアントンは、あまりに巨大になった一族の事業を整理解消することで、何とか家の存続を計ります。おかげで、一族は現在も立派に命脈を保っています。

 

 しかし、欧州政治を裏から動かした大商人「影の帝王」としてのフッガー家は、「本物の帝王」が倒れた時、その運命を共にしたといえるでしょう。夢のようにお金の山ができて、やがて幻(まぼろし)のようにこれが消えていく。今に残る美しい銀器の数々とデューラーの描いたヤーコプの見事な肖像画が、その夢が現実であったことを静かに物語っています。

 

   きょうのお話は、ここまで。

  面白いお話、出てこい。
    もっと早く、もっとたくさん。

2013/9/19

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
  主婦の友社     定価 \2,100-

  イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝

  

  

ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。

本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。

私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

■講座のご案内

 2011年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。

 歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。

詳しくは→こちらへ。