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主婦の友社

「プラスワンリビング」

9月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第8回

今回の主人公は

16世紀欧州銀器世界の

「影の帝王」


アウグスブルク

フッガー一族


銀山と銅山そして交易のネットワークを通じて一族が築いた莫大な富が、銀器の世界にもたらした興味深いお話です。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第64回「20年ぶりのTATI、その2」

2007/8/30


●前回からの続き)

 人の流れに乗るようにして入った店内は圧倒的に、濃い褐色の肌の人々で占められていて、他に墨のように黒い人々、我々と同じような東洋中国系の人々、またアラブ系と思われるような人々も混じっていて、しかし、白いフランス人の姿は完全に少数派だった。

店内はまるで一昔前の日本のデパートのバーゲン会場のような混雑ぶりで、ごちゃごちゃとした展示は、今の日本で言えばドンキホーテ的な雰囲気と言えばいいだろうか。ただし、置かれている品物は、日常の暮らしに必要な品々がほとんどで、それが、当時の日本人の感覚からは驚くほど安い価格の品で占められていた。

今から二十年前の日本といえば、まだバブル初期に入り始めた頃だったろうか、百円ショップもコンビニもまだ一般的には存在しないに等しく、ユニクロも無印もなかったはずだ。要するに、衣服を含めた日常品の価格が、2007年の東京に比べればはるかに高額であった時代で、まともなワイシャツ一枚安いもので7〜8千円が当たり前だったと思う。

その「日用生活品超高額日本」からやってきた我々の目には、1988年パリのTATIの商品価格は、ほんとうに信じられないほどの安さで、女性用の化粧品から鍋釜グラス文房具から掃除用具、子供服から大人の洋服まで、なんでもかんでも大安売りという感じだった。決して品物がいいとは思わなかったけれど、でも、まあ日常生活を送るに当たっては充分という雰囲気の品々で占められていたという印象だった。

それにしても驚いたのは、その店内の混雑ぶりと、一種の「熱気」だ。どう見てもお客の大半は労働移民としてパリにやってきたという雰囲気の人々ばかりで、一家揃っての買い物というのも珍しくない。それぞれのお国の言葉とフランス語が混ざり合いながら、皆があれこれワーワーと意見を言い合いながら品定めをしている様子は、日本ではまずお目にかかったことのない光景で、これもまた見ているだけでも面白いものだった。

超美形のピガールのスリ、その恐ろしい「目の恫喝」に出会ったおかげで、このTATIの本店を知ることになったわけで、旅の偶然というのは面白い。仕事柄パリにはそれから何度も訪れてはいるものの、TATIをわざわざ訪ねるということは一度もしていない。そして今回(2007年の8月下旬)ちょっとしたセンチメンタルジャーニーのつもりでTATIの本店に行ってみることにした。

今年(2007年)は、8月であるにもかかわらず秋の気配さえ漂うパリだった。そんな気候のせいだろうか、20年ぶりに訪れたTATIの本店は、以前に比べるとお客の数が少なくなっているように感じられた。また以前のような店内溢れる熱気も、大分薄れているように思われた。その点を除けば店内の様子は昔と大差ない。置かれている品物や商品の種類は今も日用生活に必要な品々が中心で、以前に比べれば多少衣類がオシャレになったかと思われる程度で、巨大衣類日用品スーパーという雰囲気は同じだ。

また、お客の層が有色人種中心であり、しかも、あまりお金に縁のなさそうな人々が中心というのも、変わらない。若い家族連れが多いことも相変わらずで、子供服の売り場の充実ぶりは以前にも増して強く感じられることであって、この店にやってくる移民労働者の家族が如何に子供を大切にしているかということがうかがわれる。また、フランスの出生率が上昇しているというニュースとも大いに関係がありそうだと思った。そんなことを思いながらゆっくりと店内を歩いてみて、一番驚いたのは、その商品の価格だった。

「ぜーんぜん安くない!」このひと言に尽きる。

2007年金欠日本からやってきた旅人の目には、20年ぶりのTATIの棚に並ぶ商品の価格が、ちっとも安いものだとは思われないのだ。それどころか、同じような商品が東京なら百円ショップでいくらでも安く買えるのに、そんなふうに思われる品々が珍しくない。さらに、こんなつまらないシャツがこの価格だなんて、ユニクロならずっとオシャレで品質のいいものが、より安い価格で買えるのに、などとも感じた。

要するに、この20年の間に日本では確実に、こうした日用品に関して価格革命が起きていたのだ。もちろん円安定着という為替変動の問題も見過ごせない。しかし、それを考慮に入れたとしても、やはり日本はバブル崩壊後に衣服と日用品については商品価格の構造的な変動を経験したのだということを、パリのTATIで知らされた思いがした。

そして、その一方で感じられたのが、日本の食品価格の高さだった。今回はパリのスーパーを数多く周り、市場も有機の野菜&肉&乳製品中心のところから、今やパリでも屈指の規模となりつつあるベルヴィルの「貧乏」マーケットまで、沢山のマーケットも訪ねてみた。その結果、食品素材の価格について日本とフランスとでは、かなり大きな開きがあると感じざるを得なかった。品質を考慮に入れた場合はなおさらのこと、彼我の落差は大きい。

パリは食品の素材価格が安く、しかも、品質が高い。これは昔から変わらないが、日本との比較で言えば、むしろ年々その差は広がりつつあるように感じられる。これは政治的な背景と大きな関係がある問題だと思う。EU統合の進展は、もともと豊かだったフランスの食品の種類をより充実させることにつながっている。あの「食事のまずいロンドン」が、この四半世紀の間に「美食のロンドン」に変身したのも、EU統合の進展を抜きには語れない。

という風に考えてくると、今後日本が「先進国」に追いつくに当たり残された大きな問題が、この食品素材の種類の豊かさと価格という、大きな事柄になってくるのではないかと思われて仕方がない。しかもこれは「経済問題」ではなく「政治問題」だ。輸入規制と農家の保護の問題だ。話が固くなりまして、すいません。

今回は久しぶりに、少し余裕をもってパリの街を歩き回った。そして改めて、この大都会の持つ力、その「文化力」の凄さを思い知らされた。18〜9歳の頃に罹患していた、かなり重症の「パリ憧れ病」が再発し始めているのを感じる。それも「古いパリ」だけではなく、超モダンなパリの素晴らしさにも、すっかり参ってしまった。たまには仕事を離れてゆっくりと街を歩くことが大切だ。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/8/30

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「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

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