2006/3/04
マイルス・デイビスのファンならば誰でも知っていると思うけれど、「星影のステラ」というしゃれた題名の曲がある。ジャズのスタンダードの一曲で、原題が"Stella by Starlight"(ステラ・バイ・スターライト)。それが「星影の…」となる。泣かせる翻訳だ。
考えてみると昔は、映画の題名やジャズの曲名に、こうした名訳が珍しくなかった。たとえば、"Stormy Weather" (嵐のような天気)が「荒れ模様」。落ち葉が「枯葉」。国が貧乏だった時代の方が、言葉はむしろオシャレだったのかもしれない。
マイルスの「星影のステラ」には幾つかのヴァージョンがある。中でも1958年の録音が、初期を代表する演奏の一つではなかったかと思う。1958年といえばモダンジャズ黄金期、であるはずだ。ところが、「1958年にモダンジャズはその終焉を迎えた」と宣言した音楽評論家が、かつてこの日本にいた。
「1958年にモダンジャズは終わった」
この言葉は刺激的だ。なぜなら、モダンジャズを真剣に聴き込んだ人間にとっては、この言葉にはそれなりの真実性がある、と共感できるだけの重みがあるからだ。奇をてらったスローガンとは思えないのだ。
この評論家は、こう宣言してしばらくして、ジャズ評論からは足を洗い、テレビの世界に行って化け物になってしまった。大橋巨泉さんだ。
巨泉さんのジャズ評論。それを私は探し出しては読んでいた時期がある。当時私は、彼が「終わった」と宣言した後のジャズを山のように聴きながら、この宣言が気になって仕方がなかった。今から三十年ほど昔の思い出話だ。そのとき見つけたジャズ評論家時代の巨泉さんの写真。それはショッキングなほどに、当時テレビで見かける彼の姿とは違っていた。
痩せていて髪はモジャモジャ、度の強い眼鏡を掛けた様子はトゲトゲしく、なんというか、攻撃的な反骨精神だけを糧に生きる売れないルポライターとでもいう雰囲気だった。今なら役者の益岡徹さんに演じさせたい役どころだ。そして、彼が当時書いていた文章もまた、その写真にふさわしい雰囲気があったように思う。
真正面からジャズにぶつかって、切なさと苛立ちが一杯で、しかし、間違いなく音楽を語っている。切っ先鋭く、何かに対して怒っている。その一方で情報量が多く、よく調べてある。そんな文章だったと記憶する。ナット・ヘントフなんて当然だったろう。
もし、あの頃の姿勢を続けていたとしたら、テレビでは成功しなかっただろう。しかし、敢えて言わせて頂く。ジャズ評論家巨泉の方が、その後テレビでシャバダバの巨泉さんより、ずっと輝いていたように思われる、と。
「1958年にモダンジャズは終わった」
一端こう宣言してしまえば、その先、ジャズ評論家という仕事を続けることはできない。かなりの勇気がなければ、プロの評論家としては書くことのできないセリフだ。私生活を考えてみても、彼にとってジャズの世界を捨てるという決断は、そう簡単なことではなかったはずだ。しかし、その宣言に責任を取るかのように巨泉さんは、その後しばらくして、音楽評論の世界から足を洗った。
社会の音楽環境は、演奏や演奏家の問題を取り上げるだけでは語り得ない。良くも悪くもリスナーこそが、音楽環境を形作る主役だ。だから本当は、聴く人を含めた社会を語らないと、真の音楽評論にはなり得ない。しかし、ほとんどの場合、そんなことは「評論家」が書く誌面では許されない。「ああ今月もまた、ワサビ抜きの新譜紹介か…」こうして語ることを抑制せざるを得ない音楽評論家たちは、その人が真剣であればあるほど、いつだって苛立つことになる。
ここ数年、中高年の間にモダンジャズがちょっとしたブームとなっている。実際いろいろな場所で、「モダンジャズ」がBGMとして流れているのを聞く機会が日常的になってきた。つい先日も、天ぷら定食屋で、リー・モーガンのトランペットを聞かされたばかりだ。
隣の席では受験生が世界史の参考書を片手に、耳にはヘッドフォン、カウンターの上にはiPodという装備で、自分の世界に浸りながら「春の季節天丼」を食べていた。顔は青白く、不健康そうだ。まさに受験生そのものだ。今頃こんなところで世界史読んだって、もう遅い。止めろ、そして、家に帰ってたっぷりと眠れ。そう怒鳴りたくなった。彼の耳には、リー・モーガンは聞こえていない。
それにしても天ぷら定食屋で聞かされるリー・モーガン。こんなに悲しいものはない。断片化された音楽のカケラ。「オシャレなBGM」としてのモダンジャズ。飴をしゃぶるようにモダンジャズの音をしゃぶる中高年が増え始めている。こうした現状に身を置いてみると、悲しい酒を頼まずにはいられない。七十度のアブサンをストレートで、と叫びたくなる。それで思い出したのだ。「1958年モダンジャズは終わった」という巨泉宣言を。
私がこの宣言を読んだのは、彼が記事を書いてから十数年も後のことだ。時代感覚には、ズレがある。しかし、その時私は感じた。彼の宣言には、単にジャズのことだけではない何かが隠されている。
「モダンジャズは終わった」少なくとも、この日本という国の中で、そう感じられる何かが、今から四十年ほど前に既に兆候として見られたのだろう。このとき巨泉さんが「モダンジャズ」という言葉で表現したのは、実は、音楽環境を通して見えていた当時の日本社会の気分、それも含めてのことだったのではないだろうか。
要するに、こういうことなのだ。巨泉さんが愛した「モダンジャズ」が躍動して鳴り響いていた日本の時代状況が、1958年に死んだのだ、と。貧しく混乱しながらも、しかし、躍動的だった戦後の日本。それが終わったのだと。戦後の大きな状況の変化を、敏感に感じ取っての宣言だったのではないだろうか。更に言えば、そうした社会の変化の中で、ご本人が感じた息苦しさが、その言葉の背景にあったのではないだろうか。
テレビ司会者「ガハハの巨泉」からはとても想像できないけれど、痩せてトゲトゲしい雰囲気のジャズ評論家時代があったのだ。純粋にモダンジャズ史に限定しても、1958年終焉説には、かなりの説得力がある。そこに、当時の日本の状況変化を取り入れてみると、巨泉宣言の一種の息苦しさが分かるような気がするのだ。もちろんこれは、私個人の思い入れに過ぎない。
1960年代前半の巨泉さんは恐らく、苛立ちながらも時代の先端を突っ走る、攻撃的できらめきのあるジャズ評論家だったに違いない。言葉と並んで人もまた、貧しい時代の方が輝いている、ということがあってもおかしくはない。
その後ジャズは姿を変えてラップとなった。そして、ラップは言葉そのものだから、これを「評論」するには、彼らの言葉を語らざるを得ない。もう、ほとんど聴くこともないけれど、僅かな見聞に従えば、先端のラップは政治性を含めて、かなり過激な言葉の羅列だ。
いま日本の若い音楽評論家で、これを真正面から切り裂く意気のある奴がいるのかどうかは知らない。しかし、もし、そういう奴が一人でもいるのなら、そんな奴が書いた文章を読んでみたい気もする。
「星影のステラ」この曲の題名に関連して、ステラという言葉の語源にまつわる話をしようと思っていたのだ。ところがなぜか、こんな話になってしまった。言葉は一人歩きする。そして勝手に走り出す。
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