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主婦の友社

「プラスワンリビング」

9月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第8回

今回の主人公は

16世紀欧州銀器世界の

「影の帝王」


アウグスブルク

フッガー一族


銀山と銅山そして交易のネットワークを通じて一族が築いた莫大な富が、銀器の世界にもたらした興味深いお話です。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第66回「ちょっと違和感あり」

2007/9/12


 所変われば清潔感も変わる。今回は日本じゃまず出会わないなあという感じの人々のお話です。

 舞台は8月下旬のパリ、朝の通勤時間帯の地下鉄で、都心から郊外へと向かう路線です。座席の3分の2が埋まっている車内で、主人公は中年の女性、そう年の頃なら50歳前後で白人の小太りの、日本で言うと「日生のおばちゃん」(保険勧誘レイディ?)といった感じでしょうか。なかなか目端の利きそうな、お客さん相手に上手にセールスをし、仕事をテキパキと片づけていきそうな雰囲気です。

4人掛けの席で私のはす向かいの彼女、ケータイを取り出して電話をかけ始めました。パリは東京より進んでいるのでしょうか、駅と駅の間を進行中の地下鉄車内でもケータイがつながります。あきらかに仕事の話という雰囲気で、ビジネスバックからファイルを取り出して、これを見ながら大きな声でかなり長い話をしていました。

さて、通話が終わって何かメモしてフーッと一息ついたと思ったら、手早くファイルをしまって、代わりに今度は手鏡を取り出しました。お化粧用のコンパクトです。片手に手鏡、片手に真っ赤な口紅を手にした彼女は、その大きな唇を慎重に塗っていきます。時々口をもごもごさせながら。顔のお化粧もかなり厚めの白塗りなので、口紅の赤が浮き立ちます。人目なんて、まったく気にしてません。

もっとも、車内では私以外は誰も彼女のことを気にしていない、という感じでした。こんな光景は珍しくないってことでしょう。それに「若いカワイコちゃん」と違って、わざわざ「見る」という対象になりにくいってこともあるかもしれませんけれど。

にもかかわらず私は、この人のことが忘れられません。なぜか。それは、口紅の次に彼女がやったことに驚いたからです。

この人、メガネをかけていて、たぶん老眼鏡じゃないかと思います、首から吊り下げるためのチェーンが付いてましたから。口紅のあと、このメガネを外して、バッグからハンカチ取り出してメガネのレンズを拭き始めたのです。それだけなら別にどうって話じゃありません。

ところが彼女、口からペッペッと唾(つば)をレンズに吐きかけて、それでメガネを拭き始めたのです。右のレンズにペッペッ、左のレンズにペッペッ。今さっき真っ赤に塗られたばかりの大きな唇をすぼめて、ペッペッと唾を吐きかけながらメガネを磨くわけです。唾がレンズの上に飛び散っていく様子が私の目にもはっきりと見えます。

私はそれを見ていて「うへー、汚らしいな」と正直思いました。日本だと普通、ハーっと息を掛けてレンズを曇らさせて、それで拭くわけです。私も中学生のときからメガネ掛けてますが、男の私でさえ、唾でメガネ拭くなんてこと、したことありません。こういうの、生理的な違和感というのでしょうか、これを乗り越えるのはなかなか大変なことです。大げさに言うと、育った文化の違いが一番敏感に反応してしまう、そういう部分ですから。

彼女があれだけ堂々と地下鉄の車内でレンズにペッペとやっている様子を見れば、普段からそうしていることは、まず間違いありません。おそらく会社でも家でも同じようにしているのだと思います。でも、周りの人は誰も、何も言わない。だから平気でやるわけです。文化の違いというか、社会の生理的な許容感覚が違っている、ということでしょう。

こういう出会いは、他にもあります。

ロンドンから東京に戻るときの機内で、5〜6年前の出来事です。通路を挟んで私の斜め前方に英国人と思われる白人で三十歳前後の女性が座りました。まっすぐに肩まで伸ばした淡い茶色の長い髪、ジーンズにTシャツで靴はスニーカー。気取りのない格好でお化粧も薄く、またそれがよく似合う、ちょっとグラマラスで野性的な魅力を感じさせる雰囲気の女の人です。

最初の食事が済んでしばらくした頃だったと思います。彼女は靴を脱いでソックスも脱いで素足になったのです。それで毛布をかぶって寝てしまいました。機内で裸足になるというのは、そうそうお目に掛かることではありませんから、意外だなとは思いました。でも、その日は機内温度が多少高めでしたから、彼女暑がりなのかなと、その程度の話です、その時点では。

やがて機内は消灯し私は映画を観ていました。一時間くらい経ったでしょうか、彼女が目覚めて体を起こし、席から立ち上がりました。足は素足です。彼女はそのまま席を立ってトイレへと向かい、しばらくしてトイレから戻ってきました。もちろん、素足のままです。

このときも思いました。「うへー、よく素足のまま機内のトイレに入れるなあ、隣の席じゃなくてよかった」と。たったこれだけのことで「野性的な魅力の女性→野蛮女」私の中で彼女に対するイメージが大きく変化してしまいました。「裸足健康法」というがありますが、彼女はその信奉者で普段から家では裸足で過ごしているのかもしれません。

しかし機内は家ではないし、素足で草の感触を楽しみ、海辺の砂浜や山道を歩いてみる、なんていうのとは話が違います。場所は長距離国際線の機内トイレです。その具体的な描写は避けたいと思いますが、ご承知のように、常に清潔とはちょっと言い難い場所です。あの床を素足で踏む。清潔とか不潔ということに対する感覚が根本的に違っている、そう感じました。「メガネに唾」と同じように、生理的な違和感を覚えたわけです。

冷静に考えてみると、赤の他人が唾を吐きながらメガネを拭こうと、素足のままで機内のトイレに入ろうと、私個人にとってはさしたる重大問題ではありません。でも、初めてこれを目前にすると、かなり不快に思ったり、強い違和感を覚えたりする。一概には言えませんが、こういうことは個人による感覚の違いというよりも、育った文化の違いからくる要因の方が大きいと思います。普段から見慣れているかどうか、ということです。

最近は、こういう微妙な生理感覚や身体感覚の違いを主要な国や宗教文化圏別に解説した本も出ています。でも、こればかりは、現実に体験してみないと、感覚としてなかなか理解できないと思います。水泳は勿論、テニスやスキーのコツをビデオや教則本で「体感」しようとしても無理なのと同じことです。

ところで、日本という文化圏でも、時代と共に許容度が変化するから面白いですね。それも結構短い年月の間に。例えば車内で口紅どころか、アイシャドウからまつ毛カールまでやっちゃうギャル、なんてものは10年前には存在しなかった。それが今じゃ当たり前になっています。その反対に、ニンニクギョーザの臭いをぷんぷんさせながら口に楊枝をくわえて昼休みのオフィス街を行くオヤジ、なんていうのは珍しい化石になりつつあると感じます。社会の許容基準が変化しているからだと思います。

洋の東西を問わず、男に厳しく女性に寛容な方向へと変化が進んでいる。そんなふうに感じるのは、男である私の錯覚でしょうか。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/9/12

■講座のご案内

 いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。