2007/1/30
前回からのつづき
実質三週間近く掛けて、私の手元には、びっくりするほど沢山の新聞記事の資料が集まった。ものすごく嬉しかった。ではいったい何の記事を探していたのか。それは、フランク・シナトラに関する記事だった。
私は当時、シナトラの伝記を書いてみたい、真剣にそんなことを考えていたのだ。というのもその頃、ちょっとしたメディアで毎月一回、新譜紹介の記事を書かせてもらっていたのだ。毎月かなりの枚数の「試聴盤」をレコード会社から頂き、イッパシの音楽評論家気取り。バカだったのだ。それにしても「若い」ということは恐ろしい。シナトラの伝記を書こうだなんて、今思えば、アタマオカシイと言われても仕方ない。
しかし私は真剣だった。彼のアルバムについては、LPを89枚揃えていた。当時の日本で、それ以上揃えるのは、ほぼ不可能だった。断言できる。本も何冊か揃えた。雑誌記事もかなり集めていた。シナトラの日本公演は可能な限りすべて聴きに行った。一つの事が気に入ったら、徹底的にそれを追いかける。マニア。今ならオタク。子供の時からそうだ。
いま銀器専門の骨董屋などという妙な仕事に就いているのも、こうした個性と密接な関係があると思う。掘り下げていくことが好き、というよりも、やめられなくなってしまうのだ。そしてこの性格はときに、重大な欠陥となって現れる。やるべき事を忘れて、いや、わかっていながら、一つのことにのめり込む。それがもとで、あれやこれやと、困った事態が生じてくるのだ。人間、何事も長所は短所であり、短所はまた長所につながる。
丁度その頃のことだ。たしか長野の地方紙だったと思う。地元の新聞の、明治から大正期にかけての紙面を、十年近い年月をかけて丹念に探り、あるテーマについてまとめて本にしたという方がいらした。かなり年配のご婦人で、これによって何とか賞を受賞したという記事を読んだ。
その方が何について調べられたのか、私はもう覚えていない。ただ、ああ、偉い人がいるなと、そう思ったことは鮮明に覚えている。自分と似たようなことを、索引のない日本の新聞でやる人がいらっしゃるなんて。ただ、この方がニューヨークタイムズのインデックスの存在を知ったら、きっと怒り心頭だろうなと思った。なぜなら、彼女が何年もかけて行った作業は、インデックスを使えば、二ヶ月もかければ充分完成する仕事のはずだからだ。十年対二ヶ月。索引の有無で、仕事の手間は大幅に違ってくる。
新聞記事を拾い上げて、それをまとめること。ただそれだけで、一つの「偉業」という風に、当時は考えられていたのだ。これは、ハードな学問の世界でも、同じような傾向があったように思う。長野の年配の女性に同情しつつ、その一方で、俺はNYタイムズインデックスを知っているから、もう少し要領よくやれるぞと、少し天狗になっていたと思う。ところが、そのバカの鼻が見事にへし折られる出来事に、それから僅か数ヶ月後に遭遇することになる。
それが何かと言えば「ニューヨークタイムズ記事データベース」というものとの出会いだった。コンピューターのデータベース。これこそが私というバカな天狗の鼻をへし折った「新時代の神」だった。
ほぼ三週間芝のアメリカンセンターに朝から夕方まで詰めて行なった作業は、このデータベースを使えば、せいぜい一時間もあれば、完了してしまう。それも、まったく漏れというものなしに。それを知ったとき、目の前が暗くなる思いがした。つい昨日まで「宝物」だった感熱紙の記事コピーの山。頭と体を使った二十日間に及ぶ全身労働の成果。それが突然、ゴミの山に見えてきたのだ。三週間対一時間。120時間対1時間。
当時まだ高価だったアップルUを無理して買うことになるのは、このことがきっかけだった。その頃日本製の「マイコン」はまだ、漢字を扱えなかった。NECの98以前の時代だ。インターネットはおろか、ニフティはもちろん、パソコン通信の「パ」の字も存在しない時代だ。
一方アメリカでは、幾つかのパソコン通信サービスがそれぞれ数十万人の会員をかかえて大いに伸張しつつある時期だった。その代表的な一つであった"The Source"というネットワークサービスに加入した私は、さっそくそこで、データベースから記事を取り出す実験にチャレンジしてみた。
「チャレンジ」などというのは大げさな話で、やってみればいとも簡単。出てくる出てくる、シナトラに関する情報が。いくらでも、きりなく出てくるのだ。わたしはその時点で、新聞記事を集める気力をすっかり失ってしまった。誰でも簡単にできる。そう思ったからだ。これでも「人のやらないことをやりたい」という思いだけは、人一倍強いのだ。
今こうして文章を綴っている私のノートPCはブロードバンド光回線に接続されている。実効回線速度で平均35メガbpsほど出ている。当時はアップルUをモデム経由で電話回線に接続。それで得られる最高速度は300bpsだった。今とどれくらいスピードの差があるかというと、これが実に約12万倍。世界中の新聞に掲載されたシナトラの記事を探し出すことなど、ほんの一瞬で出来てしまう。グーグルである。
そのグーグルが世界を制覇し始めている。ではなぜ日本にグーグルは生まれなかったのだろうか。それは、NYタイムズインデックスやファイリングシステムを生み出すような文化が日本にはなかったからだと思う。
情報というものに対する考え方の決定的な違い。これをたどっていくと、製品マニュアルから図書館のあり方、知的財産法から更にはアメリカという国の建国の歴史というあたりにまで関係してくる、という気がする。その意味でPCは、アメリカ文化の象徴なのだと思う。これ以上は、話が面倒になりそうなので、やめておこう。
というわけで、私を本格的にPCの世界に導き入れてくれたきっかけは、フランク・シナトラだったのだ。中学校一年生の時に六本木のレコード屋さんで出会ったシナトラは、不思議な力で私を、ハイテクの最前線へと導いてくれたのだった。
出会いというのは、ほんとうに不思議なものだと思う。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2007/1/30

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2007年も、いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
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