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大原千晴

名画の食卓を読み解く

大修館書店

絵画に秘められた食の歴史

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シオング
「コラージ」1月号

卓上のきら星たち

連載31回

歓楽都市ヴェネツィア

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第133回 シーク教徒、食のほどこし

 
 

2014/1/29 

 

 私たちは日常特に意識はしていないけれど、直会や法事のように、「食事を共にする」という行為が宗教儀式において重要な意味を持つ場合がある。世界を見渡せば、キリスト教の聖餐のように、それが宗教成立の原点といってもいいほどの重みをもつことも珍しくない。

 

 英国で、思いもかけない形で「食と宗教」の深い関係を体験する機会があったので、その時のことをご紹介してみたい。オリジナルはWebマガジン「コラージ」2012年12月号に掲載。

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 今から二十年ほど前、十一月中旬の、雨のそぼ降る寒い日曜日の午後のことだった。地下鉄のマーブル・アーチ駅を出てビックリ仰天。ロンドン一の繁華街オクスフォード・ストリートを占拠する形で進む大規模なデモ行進に出くわしたのだ。

 

 濃い褐色の肌をした人々の果てしない波が、ハイドパークから押し出されるようにして、道いっぱいに広がって流れてゆく。ターバンを巻いた男たちとサリーをまとった女性の姿が目立つ中、老若男女多様な人々が、プラカードや横断幕を掲げ、時おり腕を振り上げ、叫び声を上げながら、霧雨の中を行進していく。

 

 

 どう見ても参加者数千人に及ぶ一大デモだ。この場所でデモを見るのは初めてのことだったので、驚いた私は傘を手に歩道の端に立ってその様子を眺めていた。

 

 すると、デモ隊の中から黄色い雨具に包まれた小さな女の子が小走りに駆け寄ってきた。雨具のフードからは水滴がしたたり落ちている。年は十歳前後だろうか、肩からかけたバッグからビラを取り出して、これを押し付けてくる。濃い褐色の肌、黒髪、そして、黒い大きな瞳から放たれる、何かを強く訴える鋭い視線。私は手のかじかむのを覚えながら、その小さな手から、ビラを受け取った。

 

 「ゴールデン・テンプル」と記された大きな文字が目に留まる。それでピーンときた。「黄金寺院」はパンジャブを中心に強い結束を誇るシーク教徒の総本山だ。歴史的にイスラーム的要素を含むシーク教は、ヒンズー中心のインド社会では少数派であり、このデモが行われた当時、インド政府軍と戦闘的なシーク教徒の間で、かなりの死者を出すほどの激しい紛争が起きていた。この時のデモは、英国在住のシーク教徒(現在約四十万人)の有志がロンドンに集結し、インド政府の「暴挙」に強く抗議の声を上げる、というものだったのだ。これがシーク教徒との、初めての出会いだった。

 縁とは不思議なもので、やがて私は、一人のシーク教徒の女性ヤスファと知り合いになる。運命のお導きか、なぜか気が合って、ロンドン出張の際には時々食事を共にする。「一度私達ロンドンのシーク教徒の寺院を見に来ない?」と数年前から誘われていて、それが今年の秋ついに実現した。

 ロンドンには非常に大きなインド系の人々のコミュニティーがある。その中心が、郊外(西部)に位置するサウソールだ。ここは、まさにリトル・インドそのもの。突然ここに連れてこられたら、そこが英国だとは信じられないほどだ。この町にはヒンズー寺院、イスラームのモスク、そして、シーク教徒の寺院が混在している。

 

 ところで、インド人の男といえば頭にターバン、そう思っている人が少なくない。でも、このターバン姿は実は、シーク教徒の象徴なのだ。インド社会で少数派の彼らは、昔から差別を嫌って海外へと勇躍する人々が多かった。その活動領域は、東南アジアからアラブ諸国、更には東アフリカ諸地域へと広がっている。いつしか世界各地でターバン姿のインド人の姿が目立つことになる。これが「インド人の男=頭にターバン」というイメージ誕生の背景だ。

 

 ヤスファの両親はパンジャブを出てウガンダ(東アフリカ)へと移住している。ここで苦労して商売で一旗挙げたところを、悪名高きウガンダのアミン大統領によるインド人(印僑)弾圧政策(1972年)のために亡命を余儀なくされ、ロンドンでイチから出直しを図ることになった。ヤスファはその時の恐怖と困難を忘れることはないという。

 

 このように遠い異国で暮らす人々の多いシーク教徒にとって寺院は、それぞれの移住先でも、家族の次に大切な絆の結び目となっている。「信仰心は薄い」というヤスファでさえ、年に何度かは寺院を訪れ、昨年はパンジャブの総本山に巡礼の旅をして「聖地の湖に全身を沈める大切な儀式を経験してきた」と真剣な表情で語っていた。

 さて、このシーク教徒の寺院を実際に訪れてみれば、驚くことばかりだった。遠目にも目立つ黄金色のドームが燦然と輝く建物の入り口で靴を脱ぎ、黒いターバンの下足番から番号札を受け取って中に入る。礼拝堂の入り口では、さつま芋を潰して練ったような甘いお菓子が手渡され、これを口にしてから中に入る。巨大なドームとなっている礼拝堂は、一面絨毯が敷き詰められていて、他に何もない広大な空間が広がる。イスラームのモスクの内部に雰囲気が似ている。

 

その最奥に一段高くなった経壇が置かれ、お坊さんが座ってお経を読んでいる。信者はその前に進み出て、膝まずいて一礼し、その後は広い礼拝堂に自由に座って、祈りのひとときを過ごす。偶像らしきものは一切、飾られていない。シーク教徒にとって寺院内で礼拝する対象は、経典そのものなのだ。従って、日中はほぼ終日、お経の途絶えることはない、という。

 礼拝堂を出て次に案内されたのが、「施しの間」(ほどこしのま)とでも呼ぶべき広大な「食堂」だ。ここでは「常に無料で」食事を取ることができる。どれほど貧しい信者でも、寺院にたどり着くことさえ出来れば、飢えをしのぐことができる。学食や社食の要領で、カウンターに並んでトレイを手にし、食器に料理を盛ってもらう。立ったままハイカウンターで食べる場所もあるが、多くの人々は床に座って、あぐらをかく姿勢で、ゆっくりと「施し」を味わっている。

 

 

 

 この「施し」は、毎日必ず行われていて、誰もがこの「施し」を受けることが出来る。シーク教の原点である「寛容の精神」を象徴する、重要な行いなのだという。シーク教の基層には「食の施し」の精神が横たわっている。これは恐らく、この宗教が誕生した時の、信者たちの置かれた厳しい状況を物語っているような気がする。飢えを知らない私は、想像を絶する厳しさから生まれた寛容の精神の、その深さを思うばかりだった。

 

    きょうのお話は、ここまで。

  面白いお話、出てこい。
    もっと早く、もっとたくさん。

2014/1/29

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
  主婦の友社     定価 \2,100-

  イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝

  

  

ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。

本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。

私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

■講座のご案内

 2011年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。

 歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。

詳しくは→こちらへ。