ろn
英国骨董おおはら
銀製品
銀のつぶやき
 
取扱商品のご案内
大原千晴の本
 
大原照子のページ
お知らせ
営業時間・定休日など
ご購入について
地図
トップページにもどる

 

主婦の友社

「プラスワンリビング」

5月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載12回

今回の主人公は

18世紀末ロンドンで活躍した

女性銀職人

ルイーザ・コートルド

二百年前のロンドンで

女性が銀職人として働くとは

どういうことであったのか

その一端をご紹介しています。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第79回「新派大悲劇」

2008/6/11 

  

 6月10日新橋演舞場で新派のお芝居を観ました。昼の部で出し物は泉鏡花原作『婦系図』(おんなけいず)。出演者の顔ぶれは、波乃久里子、片岡仁左衛門、安井昌二、、紅貴代それにもちろん二代目水谷八重子その他の方々。今日はそのお話です

 めったに観ないのですから、勝手な評価はできません。でも、素人目には「真砂町の先生」役の安井昌二さんの演技が際立っていました。チャコちゃんのお父さんも、間もなく八十歳を迎えるお齢なのですね。その年齢を思うと、余計にすごい。改めて「芸の精進」という古い言葉を思い出しました。

 八十歳を前にして、他の役者さんの演技がすべて霞んで見えるほどに際立つ。努力の人でいらっしゃるのだと思います。それにしても、他に目立つ人がいない。波乃さん、所作もきれいでお上手ですけれどね。とにもかくにも、安井昌二さんの演技が心に残りました。

 休憩時間にNHKのアナウンサーでいらした山川静夫さんの姿をお見かけしました。古典芸能に関して沢山著書がおありになる方です。ちゃんと目を通していらっしゃるのだと、改めて思いました。もうNHKを退職なさったようですから、思いっきり正直な批評を書いて頂きたいと思います。厳しいひと言を。新派に限らず今、芸能の世界は、そういう批評が必要です。

 ところで、隣の席にいらした方がイヤホンガイドを利用していました。歌舞伎で利用されている「劇の解説」です。いつの間にか「新派」もイヤホンガイドが必要な時代になっていたのですね。驚きました。この演目の初演は意外なことに文学座とのこと。とすると、文学座や民芸そして俳優座もイヤホンガイドが必要になる日が近いのかもしれません。まさか、ですか。

 そうでしょうか。今から30数年前に初めて新派を見たとき、それは初代水谷八重子と伊志井寛の舞台でしたけれど、まさかイヤホンガイドが必要になるなんて、そのときは夢にも思いませんでした。歌舞伎じゃないんですから。少なくとも30年前は、そうでした。

 それが今、イヤホンガイドが必要になり始めている。まさにこのことが、現在の新派が置かれている状況を端的に象徴していると思います。舞台で演じられている内容が、解説を聞かないとなかなか理解できない世界になりつつある。何も考えずに舞台を観て、お芝居を楽しみ役者の芸を味わうということが、大部分の観客にとっては難しくなりつつある。

 実際、こんな場面がありました。哀しみを表す場面で観客が爆笑したのです。

 故あって産み落としてすぐ、別れ別れとなった娘に、出会う。実母である芸者は、母であることを告白できない。その場面の後で、告白できなかった苦しみを、かつての芸者仲間であった「お蔦」に洗いざらいぶちまける、その場面。

 「…だからこんなにほらお乳が張っていて…」という意味のセリフが発せられる。ここは観客の女性にとっては生理的な痛みを伴って、赤児に乳を与えることもないままに実子と別れざるを得なかった女の哀しみが伝わってくる、重要な一場面であったハズです。

 昨日の舞台では、二代目水谷八重子がこのセリフを発した途端、なんと観客は爆笑。ほとんどの観客はこれを「一種のギャグ」だと思ったようです。観客席は、どう見ても60代〜70代の女性が中心です。それこそ、酸いも甘いも理解している年代です。その人たちが揃って笑った。

 昔はこの場面で、多くの観客がハンカチを取り出して目にあてていました。私の記憶違いではないと思います。たしか、この場面は、涙する場面であるはずです。なのに2008年6月演舞場の観客は爆笑。ビックリしました。二代目八重子さんの体つきが以前に比べると随分とふくよかでいらっしゃるということも、関係しているかもしれません。それにしても、です。

 敢えて言えば、演技の力で観客の涙を絞る力が失われてきている。昔の舞台をくり返すだけでは、すっかり世界が変わった時代に生きている観客は、涙する場面で思わず笑ってしまう。舞台と観客の間に、それこそ奈落の底のような深い溝が生まれ始めている。そう感じました。山川静夫さんの率直なご意見を是非ともお聞きしたいところです。

 演じている二代目水谷八重子さんや波乃久里子さんは、この点、どう思っていらっしゃるのでしょうか。イヤホンガイドを聞きながら「ここは昔から泣かせの名場面です…」と言われなければ、誰にも伝わらない。それどころか場内爆笑になってしまうという皮肉。

 「新派大悲劇」は今「新派自身の大悲劇」となっているのではないかと、素人ながら、そんな複雑な思いを抱きました。泉鏡花の残した作品は、今むしろ、より言葉の魅力を増しつつあると感じます。以前よりも文学としての評価は高まっているのではないでしょうか。

 とするならば、この泉鏡花の世界を現代に通じる形で再現するような新しい演出と演技があるはずです。決め事である細かな所作を守りつつも、歌舞伎という重い伝統の世界とは違った、「新派」という名前にふさわしい「新しさ」があったならば、もっとずっと面白くなるだろうにと、素人ながら、そんなことを思いました。

   たまたまこの舞台の2日前、秋葉原で悲惨な事件が起きました。犯行の背後には、家族環境や働く現場の厳し

さそして孤独感など「現代の悲劇性」が隠されているように感じます。

 新派の舞台が、イヤホンガイドの説明なしに、こうした現代の悲劇性にも直接結びついているのだと切実に感じられるとき、私たちは自然に涙することになるのだと思います。

 泉鏡花の世界と現代の私たちの感覚の間に橋を渡してくれるような、イマジネーションの豊かな演出と演技を渇望しています。それが難しいことは十二分に承知の上で。だって新派には、120年に及ぶ先人たちの芸の蓄積という貴重な宝物があるわけですから。

 何も知らない素人がきょうは、ちょっと生意気を言ってしまったかもしれません。現在の新派を愛している皆さん、どうぞご容赦下さい。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2008/6/11

■講座のご案内

2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。

いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

 

詳しくは→こちらへ。