振り返ってみると、この五十年間、日本はラジオに冷たい国だった。つくづく、そう思う。例えば東京。人口一千二百万人。そこに民放AM局が僅かに四局。その内二局は実質的に、テレビの子会社。FMにしても、状況は大差ない。ジャズやクラシック専門局はもちろん、ロック専門局も歌謡曲専門局も、さらにニュース専門局も、ありはしない。一体全体、世界の先進国で、こんな国が他にあるだろうか。アルバニアじゃないはずだ、日本は。
この大東京の巨大な人口と経済力を考え合わせてみるならば、FM局50局、AM局15局くらいあっても、全然おかしくないはずだったのだ。例えば、中原仁プロデュースの「サウダージブラジル中南米音楽」専門局や、池上彰プロデュースの「誰でも背景のわかるニュース」専門局があっていい。それが、この五十年間、そうならなかった。
アメリカには、ニューヨークには、FM局が数え切れないほどある。音楽別に様々な専門局があり、また、ニュース中心、宗教中心、各民族専門など、実に多様なラジオ局がある。などという話を聞いて驚き、あこがれ、日本の現状を嘆いていたのは、「最新ヒット曲オタク」だった私が中高生の頃であって、もう三十年も昔の話だ。
それにしてもなぜ日本では、ラジオがこの五十年間、かくも悲しい状況に置かれてきたのだろうか。理由はいうまでもない。「電波の公共性」の名の下に、免許制度という保護法で、あきれるほど手厚く部厚く、保護されてきたからだ。新規参入を一切、認めない。政府と業界(AM東京代表たった四局)が一体化しての、保護漬けによる市場の独占。
私たち一人一人が、それがおかしいと、正面切って声を上げてこなかったからだ。構造的に見れば、メディア関連の資本が地下でつながっていることの弊害だったのだと思う。そうした構造が許されてきたというのも結局は、多くの人々がさして、ラジオを愛してこなかったから、ということになるのではないだろうか。
事は音楽やドラマや朗読の番組だけではない。ラジオこそは、人々が自由に、様々な意見をぶつけ合う、最良の場ではないだろうか。英米で多様なトーク番組を聴いていると、心から、そう感じる。日本のように、その「意見表明の場」そのものが、これほどまでに限定されているのは、一種の言論統制ではないかと思えるほどだ。ことラジオに関しては、とても中国を皮肉ることのできる環境には、ない。
だから、現在の民放ラジオの関係者が、ホリエモン対ニッポン放送事件に関して、「言論の自由が、資本の論理でねじ曲げられることがあってはならない。」などとコメントしているのを聞いたとき、一瞬耳を疑った。この人は、自分の姿を鏡で見たことがないのだろうと、驚いた。
AM局については50年間、新規参入なし。競争のないところに、進歩はない。それどころかむしろ、ゆっくりと、ダメになっていく。半世紀間も保護漬けされてきた組織が、いかにひ弱なものとなっていたか。ホリエモン対ニッポン放送の戦いの経緯を見れば、一目瞭然だ。
あのときの展開は、突然の黒船襲来に、刀の使い方を忘れた武士があわてふためく、幕末の江戸の情景を見るがごときだった。その昔「カメちゃん」(ニッポン放送社長亀淵昭信さん)の放送に耳を傾けた記憶がある一人として、見るに忍びない光景だった。三十年前のカメちゃんは、むしろ今のホリエモン的指向性ではなかったか。いつの間にか、攻める立場が、守る立場になっていて…。本音は「社長はつらいよ」とおっしゃりたいところかもしれない。
(2006年1月19日追加の記述→
ホリエモンまさか、あんなことになるとは。既存の礼儀を無視した木曽義仲は、乱暴狼藉が行き過ぎて自滅した。もう少し上手に制御してくれる政治顧問が必要だったのだろう。とても、残念。ただし、ラジオをめぐる基本的構図に変化はないので、この文章を加えるにとどめたいと思います。)
もっと多様な音楽専門局を、もっと個性的なニュース解説を、もっと優れたラジオドラマや朗読を。私たちが真剣に求めていれば、多局化は実現できたはずだ。しかし、これも今となってはもう、どうでもいいことになってきた。なぜなら、インターネットという情報環境が、こういう古い構造を一気に、飛び越えてしまったからだ。「朝目が覚めたら、ラジオ革命が起きていた」と表現していいほどの、急速な変化だ。
こうなってくると、東京のAM民放局四局体制(及びFM局数局体制)を維持したい「守旧派」の人々に対しては、どうぞ勝手にしがみついていて下さい、と申し上げたい感じだ。なにも、それ聴かなくても、ネットで世界中の「放送」聴けますから結構です、と言いたくなる。
実際、しばらく前から私自身は、完全にそうなってしまった。音楽オタクの若者なら、まず百パーセントそうなっているに違いないと想像する。今私たちは、「ラジオ革命」の始まりの時代を見ているのだと思う。では、一体何が「ラジオ革命」なのか。ご存じない方のために、少しだけ、解説を。
その始まりは、ストリーミングという技術。これによりネット上で、世界の様々な国のラジオ放送を自由に選んで聴くことのできる環境が、数年前から急速に整い始めた。しかしストリーミング放送は、PC(パソコン)がなければ、聴くことはできない。そして、その次にやってきたのが、今爆発し始めている「ポッドキャスト」という技術の噴火だ。
好きなときに、好きな番組を選んで聞く。番組はネット上に載っている。キャスティングソフトを使えば、自分の選んだ番組の最新放送を常に、自分のPCにダウンロードしてくれる。番組のファイル形式はMP3が一般的だから、そのまま、iPodに代表されるMP3プレイヤーに移せば、電車の中でも車の中でも、いつでも自由に聞くことが出来る。ここがストリーミングとポッドキャストの決定的な違いだ。
布団の中で、暗闇の中で、イヤホンで、「好きなときに」好きなラジオ番組を聴く。暗闇の中でこそ聴く者は、想像力の翼を一杯に広げて、音だけを頼りに、世界の立体像を作り上げていくことができる。ラジオは、こうでなければ、いけない。PCがなくても聴けること。ここがポイントだ。
そのオモシロサに目ざめた私は、しばらく前から、世界中で「放送」されている無数の番組を探して、ネットの海を漂流することになった。やり始めてみると、子供の頃、短波ラジオでやっていたことと、大差ない。あの頃のときめきを思い出しながら、次々と番組をサーフしていく。当時と違うのは、英語がわかるということ。
英語の放送は何も、いわゆる英語圏の国々に限らない。NHKが英語ニュースを世界に発信しているように、世界の様々な国の放送局が、英語で番組を制作して、ポッドキャスティングに載せ始めている。それも、ニュース番組だけではない。キラリと光るドキュメンタリーやインタビューそれに朗読など、実に多彩な番組がある。世界中から発信される山ほどの多様な番組。丹念に探せば必ず、自分の趣味に合った、本物の輝きを持った星が見つかるはずだ。
私が使っているのは「iPodder」というフリーソフト。いまここに、トーク番組を中心に、すでに十数番組、お気に入りを登録してある。昨日は、「薔薇の名前」で有名なウンベルト・エッコがその新作についてインタビューに答えるという三十分番組を聴いたばかりだ。イタリア語なまりの強烈な、しかし、極めてわかり易い英語を話すエッコさんの話を聞きながら、なんて贅沢なラジオ番組なのかと思った。そして、インタビュアーの知的水準の高さに唖然。こうしたインタビュー番組は、的確な問いかけがあって初めて、深い内容の言葉を引き出すことができると、改めて感じた。
また先日は、ちょっと変わった内容の番組を聴いた。インド音楽の洗練には、各地の宮廷に仕えた、マハラジャたちの愛人を中心とするサークルが大きな役割を果たしていた、という内容を主題とする三十分のドキュメンタリー番組。こんな特殊な話が聴けるのも、ネットの広い世界ならではのことだろう。
こうした流れを反映して、ごく最近、アップルのiTunesというソフトがヴァージョンアップされた。ヴァージョンアップの目玉は、ポッドキャスティング機能の搭載。音楽業界に革命を起こしつつあるアップルのiPod。その影響力はとても大きい。これがラジオ革命を更に進めていく推進力となることは、まず間違いない。
今後、日本中(及び世界中)に、小さな「勝手放送局」が続々と誕生していきそうな予感がする。発表の場が得られたのだから、ラジオドラマに挑戦する劇団が出て欲しい。また、丹念にテーマを追って音のドキュメンタリーを作るルポライターが生まれてほしい。「お金には結びつかないけれど、発表の場があるだけでもマシだよな」そんな気持ちで番組作りにぶつかる人々や集団が出始めると、面白いことになってくると思う。既に、その萌芽は見られる。
ところで、キャスティングにこだわらなければ、ホームページにラジオ番組(=音声ファイル)を載せること自体は、思いの外簡単らしい。やる気と、番組制作の手間ひまを惜しまない人なら、大してお金を掛けずに、できそうだ。今さら放送部時代のように、ヘタなドラマを作るつもりはないけれど、いつか、自分なりの番組作りにチャレンジしてみたいなどと、バカなことを考え始めている。
ああ、またまた子供時代に戻っていく。まだ還暦じゃないのに。三つ子の魂は、ほんとうに、百までなのだ。
さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。
2005/08/29
●テロ騒ぎの英国から無事に帰国。現在、9月2日のリニューアルオープンに向けて、準備中。少しだけ変身した姿をご覧頂けるものと思っています。私ではなく、店舗の変身ですので、念のため。
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秋から冬にかけての講座の日程が決定しました。いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂くことになりますが、その基本テーマは一つです。ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。詳しくは→こちらへ。
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