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主婦の友社

「プラスワンリビング」

11月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第9回

今回の主人公は

16世紀後半

激動のフランス宮廷を動かした
カトリーヌ・ド・メディシス

銀フランス宮廷に銀のフォークの使い方をひろめ、驚くべき趣向の宴席を主宰した王妃
宗教戦争を背景に陰謀と裏切り一杯の厳しい政治世界を生き抜いた一人の女
宴席と政治がどうつながるのかその背景を語ります

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第70回「おばあ様のミカン」

2007/12/27

ミカンの季節になると思い出す。

独身サラリーマン時代、虎ノ門は愛宕神社にほど近いところにアパートを借りて暮らしていたことがある。アパートといっても場所が場所だけに、4階建ての小さなビルで、1階には大屋であるおばあ様が一人で暮らしていらして、2階から上がアパートになっているのだった。

この大屋のおばあ様というのがちょっと特別な人であって、当時八十歳を少し越えていらしたと思うけれど、いつも和服姿で、たいへんオシャレな方だった。普段着の着物姿であるにもかかわらず、襟元や裾がピーンとしわ一つなく、地味目ながらも常に季節を感じさせる装いでいらした。

今はもう消えてしまったけれど、銀座の「きしや」という呉服店のウィンドウを眺めるたびに、そのおばあ様の着物みたいだなあ、と思っていた。それにしても、あの素晴らしい店が消えてしまったのは、残念でならない。

この方には自慢話があって、それは、戦後の混乱期を女手ひとつで子供たちを育て上げたということだった。武器は英語とタイプ。進駐軍というか、アメリカ大使館関係の職場で英文タイピストとして働くことで、当時としてはずいぶんといいお給料をもらっていらしたらしい。もちろん、英語には自信あり、という方であって、仙台の宮城女学院のご卒業である。

このおばあ様と出会うまでは知らなかったのだが、この宮城女学院という学校は明治19年(1886年)創立のミッション系の女子校で、東北地方の私立女子校ではピカ一の存在であったらしい。青学にしても東京女子大にしてもそうだけれど、それなりに歴史のあるミッション系の女子校というのは、少なくとも女子英語教育という点では戦前、特別な存在であったと考えてよさそうだ。

実際、1945年という時点において、タイプだけではなく英語もできた女性というのは、非常に数が限られていたのではないだろうか。もちろん「単なる英文タイピスト」ならば、それこそ戦前の丸の内や銀座で、さして珍しい存在でもなかったろうが、じゃあ、彼女たちが英語ができたのかというと、これは話が違っていたと思う。

私は虎ノ門タイピスト学校に通って英文タイプを学んだので自信を持って言うことができるが、英文タイプを打てるということと、英語ができるということとは、ほとんど無関係である。大げさに言えば、英文アルファベット26文字が読めさえすれば、英文は"I have a pen."しか知らないという人だって練習次第で、猛スピードで英文タイプを打つことができるようになる。

その昔「英文タイピスト」と呼ばれた人々の大半は、手書きもしくは既にある英文の文書を一定の形式に従った「タイプ打ちされた文書」にするのが仕事であって、和文を英文に翻訳しながらタイプを打っていたわけではない。だから、「英文タイピスト」とはいうものの、ほとんどの人は英会話なんて、できなかったらしい。

それを考えると、この大屋のおばあ様がただ者ではないことがわかるわけで、ご自身が多少自慢げに「わたすは英語がでけたからね。」とおっしゃるわけなのだ。ことわっておぐども「」の中は、わだすのタイプミスではねえっす。

「わたすは英語がでけたからね。」私の耳には間違いなくそう聞こえる話し方でいらした。そう、彼女は強い東北なまりのズーズー弁だったのだ。いつだって「婦人画報」や「家庭画報」の誌面から抜け出てきたような姿でいらして、しかも、ちょっとぴんと張った感じの美人なのだ。白髪をきちんとまとめていらして、背筋もしゃんとして、それが、かなり強烈なズーズー弁。それも時に話の内容を聞き直す必要があるほどの。その対比が面白くて。

しかもこの方、いわゆる「強い女性」でいらした。お子さんは皆立派に育っていて、確かご長男は当時、一流会社の重役だったはずだ。ではなぜ、そのご長男と一緒にお暮らしにならないのかとお聞きしたところ、「わたすはここが好きだすぃ、できる限りは一人で暮らすていてえからね」とのお返事。ときどき、そのご長男の奥様とおぼしき人がアパートの掃除にいらしていたが、この方のお立場も、けっこう大変なことがおありだったかもしれない。

さて、このおばあ様の特技はもう一つある。それはピアノだ。ピアノの先生もなさっていたのだ。実際私が入居したての頃はまだ、週に一度くらいは小学生がやってきていて、あれはバイエルも初級程度だったと思うけれど、ポロンポロンとピアノを練習させる音が聞こえていた。

英文タイピストを退職してからは、ここでピアノ教室をなさっていて、その昔ピアノのお稽古ブームの頃には、かなりの数の小さな生徒たちが通ってきていたらしい。たぶん、そのせいなのだ。私に話しかけるときは、いつだって、なんだか中学生にでも話しかけるような感じでいらして、私は子供扱いされるのだった。

ある冬の寒い朝のことだ。少し早めに会社に出かけるときに、1階の玄関前で、はき掃除をしていた彼女に出会った。

「早いわね。これから出がけるの? あっ、あんた、つぉっと待って。すんぐだがら。」そう言って中に入って行かれた。会社の時間を気にしながらも私は、一体何ごとだろうと思いつつ、息が白くなるのを感じながら玄関前で、彼女が戻るのを待っていた。

やがて彼女はニコニコしながら戻ってきて、「手だすぃなさい。あんたはええ子だからね。ほら、これ持っていぎなさいね。」そういってミカンを二つ私に下さったのだ。

断るわけにもいかず私は、言われた通りに両手をポケットから出してミカンを受け取り、「ありがとうございます。じゃあ、いってまいります。」と言って、ミカンふたつをコートのポケットに突っ込んで会社に出かけたのだった。

後にも先にも、ミカンを持って会社に出かけたのはこのときが最初で最後だ。

この八十歳を越えた美人の大家さん、いろいろ面白いことがあって、またいつか彼女の話をする機会があるかもしれない。

それにしても今の季節は、ミカンが一番だ。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/12/27

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「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

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