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不定期連載『銀のつぶやき』
第27回「竜巻の国、オクラホマ」

2005/12/05


「家を新築したから、一度見に来ないか。」
強く誘われたので、思い切って行ってみることにした。

家を見に行くのに「思い切って」行かねばならないのは、それが、アメリカはオクラホマシティにある家だからなのだ。

なぜ知人夫妻が家を新築することになったかというと、彼らの家が、その一年ほど前に、竜巻でほぼ完全に、吹き飛ばされてしまったからだ。直後の写真を見て、まるで爆弾で全て吹き飛ばされたかのような惨状に、よく命が助かったものだと、驚いた。

オクラホマというのは昔から、竜巻(トーネード=トルネード=tornado。ハリケーンとはまた異なる自然現象。)が有名な地方で、毎年これで、大きな被害が出る。竜巻の国、オクラホマ。遙かなるオクラホマ。このチャンスを逃したら、いつまた行くことが出来るか、わかからない。思い切って、行ってみよう。

アメリカといえばニューヨークしか知らない私は、こんな風に考えて、「本当のアメリカすなわちハートランド」とも呼ばれる"mid West"アメリカ中西部に行ってみることにした。いわば、竜巻に引かれてオクラホマ参り。ちょうど一年前の、十月末の話だ。

東京からオクラホマシティまで、ロサンジェルスとデンバーで二回も飛行機を乗り換えて、延々二十四時間。夜中近い時間にオクラホマシティに到着した。そんな時間に、古いボルボで、わざわざ空港まで迎えに来てくれていた二人の姿が目に入ったとき、涙が出そうになった。

老境に入って、竜巻にやられ、命は助かったものの、家を失った二人。当然、家に置かれていた様々な思い出の品や、積み重ねてきたコレクションの類もなくしてしまった。金銭的には余裕のある人たちだが、精神的なショックは、計り知れないものがあったと思う。着の身着のままのホテル暮らしからアパート暮らしへ。その一方で、新しい家の建設。想像するだけでも、大変な一年だったはずで、二人の顔を見た途端、思わずそういうことが一気に頭の中を駆けめぐってしまったのだ。

やがて走り出した車は、空港を出てから、街らしい街を見ることなく、街灯もほとんどない闇の中を走り抜けて、彼らの家に到着した。

翌朝、私にあてがわれた寝室から庭に出る扉を開け放ったとき、そこに広がる自然林の景色を見て、まちがいなく未知の国に来たと実感した。紅葉も終わりに近づき、枯れ始めている林から漂ってくる風の香り。それは、これまで一度も経験したことのない独特のものだった。その風の、乾ききった空気は、ほんのわずかに甘みがあって、私にとってはまったく初めての香りだった。この香りを意識しなくなるまで、五日間も掛かったほどで、今も私は、あの香りを感覚として、はっきりと思い出すことができる。

家は、敷地面積約3エーカー、すなわち一万二千平米。周辺は、どの家もみな、そんな広さだ。ほんとうは、木々に囲まれていて、隣の家など見えないはずなのだが、一帯を竜巻が通り過ぎた後、木々はなぎ倒されてしまい、新築工事のためにも、それらの木を片づける必要があって、今は、広々とした芝の真ん中にポツンと平屋の家が建つ、という風景になっている。

百メートルほど離れた所に、真新しい隣家が建っていて、こちらもまた竜巻で飛ばされて、新築相成ったばかりだ。当然のことながら、こうして新築なった家には、地下にしっかりとした「竜巻シェルター室」が備えられているのが普通だ。

そして、一帯の家にはたいてい、泳げる大きさのプールが裏庭に備えられている。家にプールがあるかどうか、これがアメリカ人の暮らしぶりの水準を見分ける、一つの指標となっている。敷地1万2千uにプールと竜巻地下シェルター付き。この水準が、オクラホマシティのアッパーミドルの一つの指標、といった感じだろうか。

晩秋で閉じられているプールに出たい仲良し二人

そして、アメリカではもう一つ大事な指標である車については、レクサスか、BMWか、メルセデス、それに、ボルボあたりか。更に、ピックアップトラック、というのも、アリだ。実際、ツイードのジャケットを着た、ここでは数少ないタイプの立派な中年男が、このピックアップトラックを運転して、素晴らしい邸宅の車庫から出てくる姿を目撃したときは、びっくりした。なお、大部分の庶民は、SUVと呼ばれる、ずんぐりとした、日本に持ってくると巨大な、バンに乗っている。

ところでこのオクラホマ、夏は灼熱、冬は零下。春先にはトルネード、というのだから、大変な土地柄だ。それだけに、日本では最近めったに聞かなくなった「24時間セントラルエアコン稼働」という暮らしが、これまたアッパーミドルでは当たり前で、アメリカのエネルギー消費の行き過ぎの一つの象徴だと感じた。

もっとも、そこに滞在し始めて知ったのは、この24時間完全空調というものが、思いのほか快適だ、ということなのだ。家が大きいためだろうか、エアコンで空調されている、ということを感じないのだ。とりわけ、朝晩の快適さは、誠に結構なもので、東京では、なるべく冷暖房を使わない暮らしを心がけているのが、いつか、完全空調の甘い囁きに毒されていくかのような感じさえした。

「住居に安逸を求めるな、人間は自然の厳しさを感じながら暮らす必要がある」と説く建築家、安藤忠雄氏からは、こっぴどく叱られそうな暮らしが、ここでは当たり前になっている。しかし、大阪やボローニャのような温暖な環境下ならともかく、オクラホマだのコペンハーゲンなどというような場所で、自然の厳しさを家に取り入れたら、それこそ寿命が縮まりそうな気がする、などと言ったら、これまた叱られてしまうのだろうか。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、竜巻というのは台風と違って、幅せいぜい数百メートルの、渦の通り道だけが、運悪く被害に遭う。実際、夫妻の家から五百メートルも歩いてみれば、そこは、以前のまま、うっそうとした林に囲まれた家々が、道路から見えたり見えなかったりする形で、ポツンポツンと点在していて、こちらは、大した被害は受けていないのだ。

また、自然林にしても、まるでゴジラが林を踏みつぶしながら歩いていったかのように、竜巻の通過跡がはっきりとわかるほど、その爪痕(つめあと)が残されていて、これまた、木々が倒れている所と、そうでない箇所の差がはっきりと見て取れるのだ。

家が完全破壊されるほどの竜巻というのは、当然ながら、ものすごい「吸引力」で、地上のものを上空に巻き上げ、巻き込みながら、巨大なサイクロン状に進行していく。そしてそれは、通過途中で巻き上げたものを、あちらこちらに巻き散らかしながら進行していく。

家を破壊した竜巻の去った後、彼らの裏庭のプールには、直径1メートル近い巨大なタイヤが浮かんでいたという。建築用の特殊な車輌に使われるもので、数キロ離れた場所にある、そうした車輌の駐車場から飛来してきたものだそうだ。すぐに連絡して、その会社から人がやってきて、引き取って行ったという。

そうなのだ、竜巻は、地上にあるあらゆるものを吸い込み、巻き上げ、それをまき散らしながら、進んでいく。だから、竜巻の去った跡には、どこから飛来したとも知れぬ、実に様々なものが、地上に散乱する。そこには、家族の大切な写真やアルバムがあったり、子供のおもちゃがあったり、テレビやVTRもあれば、旅行カバンなどもあったりするわけだ。

オクラホマでは竜巻の後必ず開かれる、興味深い催しがある。市民それぞれが自分の所に降ってきた品々を、地区の学校の体育館のような場所に持ち寄って並べるのだ。こうした会場を巡り歩いて、人々は、自分にとって大切な品々を探して回る。

竜巻という厳しい風土環境が生み出す自然の暴力を前にすれば、人間の力など、たかが知れている。この果てしなく広い大地に離ればなれで暮らす人々は、そうした厳しい力を前にしたとき、否が応でも、互いのことを思いやる気持ちにならざるを得ない。

広い会場一杯に広げられた様々なモノの間を真剣なまなざしで探し歩く人々。「あっ、見つけた。あったあった。アルバム、ちゃんとあったよ!ほんとうに、これ拾って下さって、ありがとう。」そんな声が、あちらこちらで飛び交うという。そして誰もが、その会場では、同じ地域に住む人間同士のつながりを感じるに違いない。

ここで私は、こうした素朴な感性を豊かにたたえた、手触りのある人間たちに出会うことができた。なにも、マネーゲームに血道をあげ、戦争を遂行するUSAだけが、アメリカではない。私はこの6週間の旅で、それまで知らなかった、意外と涙もろく浪花節的な風土もあるアメリカを知った。また、上層の人々が、驚くほど洗練された生活感覚を生み出していることも知った。

テキサスとオクラホマという、カウボーイ文化の本拠地を歩いて、まさか、そんなものに出会うとは、思いもよらなかった。思い切って行ってみて良かった。旅は、してみるものだ。

いったいどんな出会いがあったのか。また機会を改めて、お話ししてみたいと思う。

2005/12/05

■講座のご案内

この年末から来年にかけて、いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。