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不定期連載『銀のつぶやき』
第29回「ああ、グローバル」

2006/1/15

 お正月というのは、気がつけば過ぎ去っている。誰しも、その直前までは忙しい思いをしながらも、それでも少しは楽しみにしていることがあったりもする。

初詣は欠かせない。内心は御利益祈願でも、ひととき、やまと心を思い出す。そして、たとえ三日坊主でも、新年への思いも新たに、年頭の計画を立てたくもなる。年賀状はもちろん、休み中に片づけたい、あれやこれや。帰郷する人ならば、会いたい親族友人、会いたくない遠戚知人の顔を思い浮かべて、一年の早さを思うかもしれない。

我が家の場合には、古くからのしきたりどおり、大晦日の夜に親族が集まって、昔から伝わる「年取り」の料理を食べる。古風で味わいのある、素朴な食事だ。これを食べることで、行く年を皆で語り、同じ料理を食べた御先祖様たちを思い、そして、来たるべき年に思いを馳せる。大晦日は、こうして毎年、静かに暮れていく。一年で一番、大切な儀式の日だ。

この大切な料理の準備のために、暮れの二十七日頃から材料の買い出しに走る。年末のスーパーは、ふだんとは様子が異なる。毎年これを見るのが楽しみの一つなのだが、最近ちょっと、この楽しみに影がさしてきた。

というのも、三年ほど前から急に、年末のスーパーの食品売り場は、その様子が変わり始めてきたからだ。年々、売り場から正月色が薄れつつあるのだ。出来合のおせちや正月総菜を並べたコーナーの面積は、三年前に比べるならば、六割程度にまで縮小している。

これを見ていると、「お正月」が単なる「冬休み」へと変質しつつあるのではないかという思いを抱かざるを得ない。少なくとも、儀式としての色彩は、どんどん失われつつある。人々の暮らしのあり方が大きく変わってきた、という意味で、見過ごしに出来ない本質的な変化だと思う。

話を元に戻すと、年末の野菜売り場では、海老芋や京ニンジンなど関西系の野菜が定番になりつつあるのも最近の、と言っても、ここ十年ほどの間に定着してきた傾向だ。この間、関西から東京への「移住者」が急に増えたという話も聞かないから、これは一種の流行ではないだろうか。

悲しい変化は、鮮魚コーナーだ。並ぶ魚は、ほとんど養殖もの中心となり、僅かに残る天然ものも、近海ものはむしろ例外的、という事態になってきている。

我が家の正月の飾り付に必要なスルメでさえ、今年はベトナム産のものが積み重ねられているのを目にして、いささか、たじろいだ。いつもなら必ず準備されている近海もののタコを置く店が限られていたのは、年末の海が例年になくシケ続きだったためだと信じたい。どこに行っても「モロッコ」と書かれた安価なタコが山積みされている様子は、見るも腹立たしい思いがした。

正月料理は私にとって、「年取り」という儀式のための料理と、お正月のご馳走、という二つの側面がある。少なくとも、大晦日の伝統行事に使う食材や、飾り付に使う「儀式用」の素材については、日本のもので揃えたい。ベトナム産のスルメを御先祖様にお供えするわけにはいかない。当然のことだ。これは食糧安保などという問題とはまた別の、精神的な事柄だ。

もっとも、世間一般に、これほどまでに正月から儀式性が薄れてくると、もう、こんなことを言うこと自体が、古めかしい時代はずれのことなのかもしれない。ここは「純血主義」など乗り越えて、ピザもハンバーガーもカレーも取り入れてきたドン欲さをもって、変転する世界を相手に、たくましく生き延びてこそ、人口減少の我ら日本民族の未来もある、ということになるのかもしれない。

ところで、「伝統の保持」という点において私たちは、これでもまだ恵まれた立場にある、と言っていい。一昨年、アメリカはオクラホマ州のインディアン居留地を訪ねたとき、民族の伝統という問題を考えさせられる、興味深い体験をした。

アメリカの「白人」は、インディアンの土地を「奪った」という罪悪感があるのか、連邦も州政府もネイティブ・インディアンに対しては、実に様々な手厚い保護政策を講じているらしい。保護のし過ぎではないか、という声も聞かれるほどだ。そしてオクラホマは、全米でもインディアン人口の多いことで知られる州の一つだ。

インディアンたちの居留地に行くと、彼らの伝統的な村の様子を再現して見せている場所があちこちにある。そこには西部劇そのままのテント村があったり、昔の生活道具を展示するミニ博物館が併設されていたりして、いわば観光インディアン村となっている。そんなひとつを訪ねたときのことだ。

ネイティブ・インディアンのガイドさんに率いられて、村内一周一時間ほどのツアーを楽しんだ。このガイド氏、でっぷりと太って、動作も鈍重、これではとても白人騎兵隊とは戦えないという雰囲気だった。もっとも、アメリカには今も、かなり過激な「インディアン独立運動」とでも呼ぶべき政治運動があることは、忘れるわけにはいかない。

観光インディアン村とはいえ、ガイド氏は、羽根飾りを頭に付けて皮の伝統衣装をまとっているわけではなかった。有名プロバスケットチームのロゴ入りのフード付スウェットパーカーに、下はブルージーンだ。太っているので全体が紡錘形で、まるで、大きな風船が歩いているようだった。顔の見かけは浅黒い褐色で、九州出身の元相撲部です、と言っても、多くの人が信じてもおかしくないほど、日本人的東アジア人的蒙古人的な雰囲気も感じられる外見だった。

「インディアン」と言っても、様々な種族、私たちにもなじみのある「アパッチ」だとか「コマンチ」なども含めて多数の種族がいらしゃるわけだが、この村には、全米から集められた幾つかの種族のテントや用具が混在して置かれていて、私にとってこれは、かなり意外なことだった。

そのガイドツアーを終えて、ミニ博物館に隣接している、お土産センターに入ってみた。あれやこれや、面白そうなみやげ物が並んでいる。ずらりと勢揃いした、インディアンの伝統衣装を付けた小さな人形の数々、青いトルコ石を使った銀細工。そして、ひときは目を引いたのが、昔からこれを使って野鳥を捕ったりしたという、曲げ木に網を被せた、不思議な狩猟道具だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、インディアンの人たちは、今もこんな伝統工芸品を、昔ながらに手作りしているんだ。まさか今はもう、これで野鳥を採ってはいないかもしれないけれど、こうしたものを手で作り続けることで、自分たちの民族の伝統を継承しているんだ。そんな感慨にふけりながら、「野鳥採り網」を手にして、その素朴な道具を、よく眺めてみた。

そしたら、ビックリ仰天グローバル。網の裏の取っ手部分に「Made in Indonesia」とプリントされた小さなシールを発見。まさかまさかの、インドネシア製だったのだ。インドネシアだから、インディアンなのか。では、こちらの小さい人形は?予想に違わず、Made in China。今や世界の民芸品製造センターである、偉大なる中国製だ。あちらのポカホンタスのような布人形、こちらの陶器の少年人形、ズラリと並ぶかわいいインディアン人形たちは、その全てが中国製だった。

そして、ここまでくれば、銀屋の私にはいやな予感が走ったのが、予想的中で、銀細工は、そのほとんどがメキシコ産だった。当然ノコトアルヨ。アメリカインディアン、いまどき手仕事しないアルヨ。

彼らの立場から見れば、もともと生活に必要な道具の手作りは行っていたが、商品として売るためにモノを手作りするという伝統はなかった、という側面もあるかもしれい。

それにしても恐れ入るのは、ちゃんと原産地表示のシールが、はっきりと分かる形で、それぞれの品に貼られていることだ。極東からの異邦人である私に、こうした事態を嘆く権利も資格も、あるとは思えない。ただただ驚き、恐れ入り、感嘆するのみ。

日本の観光地の「産地特産みやげ」でも、実は同様の事態が急速に進行中のはずだが、まず、ここまで大胆に「中国製」とか「ベトナム製」という表示シールを残しておく「おおらかな無神経さ」は、日本の観光地業者には、ないだろう。

敢えて言わせて頂くと、これは何も、その観光村を運営するインディアンの皆さんが、それらみやげ物の原産地表示に関して「良心的」などということではなくて、「伝統工芸?そんなこと、どうでもイイじゃん。どうせ観光地のみやげ物なんだからさ。」という雰囲気を強く感じた。

おおらかというか、無神経というか、投げやりというか。そのすべてかもしれない。きっと、ネットで写真を送って、野鳥採り網を発注しているに違いない。これは、インドネシア製といっても、取り次いでいるのは恐らく、インドネシア華僑ではないのか。ひょっとすると、彼らの強烈な売り込みを前にして、全米のインディアン村でも同様の事態が…。まさか、そこまでとは、思いたくないけれど、想像は次々とふくらんでいく。

これを「経済のグローバル化」と呼ぶのだろうか。中国の外貨準備高が間もなく、日本を抜いて世界一になるという。当然のことだ。中国は、アメリカインディアンの土産物まで「手作り」して、頑張っているのだ。我が国の高度成長期、アメリカの田舎の観光地で土産の皿や人形を買ったら日本製だったという「笑い話」が語られていた。今、その土産物品市場は完全に、中国に取られてしまったのではないだろうか。

それにしてもアメリカに中国製品が溢れていること、日本の比ではない。オクラホマシティには、クリスマス用品を体育館のような巨大な店舗一杯に並べた店があり、これはもう、ほとんど全ての品が、中国製だった。

多くのアメリカ人にとってクリスマス用品というのは、我々にとっての正月用品よりも、もう少し「宗教色」が強いものであると思われる。にもかかわらず、その巨大な店で売られているものは、何から何まで中国製だった。その極めつけが、下の写真の品だ。

まさに聖夜にふさわしい陶器の像だ。聖なるみどり児、マリア様にヨセフ、それに東方三賢人という構図だろうか。ご覧の通り、いささかニッポンアニメ風ではあるけれど、とてもよく出来ている。その、ありがたい雰囲気に、異教徒の私でさえ、隠れキリシタンとなって、思わず拝みたくなってくるほどだ。

店の棚にはこの像が、二十体は並べられていたと思う。その面白さに惹かれて、よーく眺めているうちに、一体一体顔の表情が、それぞれ微妙に異なっているように思えてきた。目の錯覚だろうか。それとも、ひょっとして、手書き?

私は、棚に並べられた全ての像を手に取って確認してみた。まちがいない。大事な部分については、手書きの絵付けだ。一体一体を比べてみると、そこには上手下手があって、特に顔の表情、とりわけ目の描き方に職人の技量の違いがはっきりと出ている。誠にもって画竜点睛。ちなみに、私が買ったのは、二十体の中で一番の上手と思われたものだ。

問題は、その価格なのだ。これがなんと、1ドル。たったの、1ドル。中国で陶土をこねて型に取って焼き、これに手書きの絵付けで装飾し、梱包して輸送して、はるばるアメリカはオクラホマの片田舎に並べて、それで、1ドル。一体、中国の産地からの出し値は幾らなのか。

この商売で、誰が幾ら収入を上げることが出来るのか、考えるだけでも不思議になる。陶磁器の絵付けについて「やはり手書きの絵付けは違いますね」などと言う人が少なくない。けれど、現代中国では、この、たった1ドルの「みどり児ご誕生像」の絵付けでさえ「手書き」なのだ。中国恐るべし、と言うほかはない。

中国の絵付け職人は、この絵付で、一体につき八円くらいは手にするのだろうか。最終価格1ドルから考えるならば、一体の絵付け代に十円はきびしいところだろう。絵付け作業は部分別に最低でも3工程には分業化されているだろう。しかし、いくら手慣れた流れ作業だとしても、これだけの絵付け、各パート一分間で仕上げられるかどうか。最後に像の全体に銀色の粉を撒く作業も必要だ。

仮に四人の流れ作業で、最高で一時間に六十体を仕上げるものとする。一体当たり八円の絵付け代だとすると、全員が休むことなく手を動かし続けて、一時間で四百八十円すなわち一人当たり百二十円!もう何も、言うことは、ない。これが現在の世界経済グローバル化の最前線ということになるのだろう。

梅干しや煎餅、枝豆(冷凍)といった、最も日本的と思われる品々に、しばらく前から、中国産が増えつつある。しかし、これとて、時給百二十円の世界があることを知れば、納得してしまう。「とにかく安い梅干しを」という需要があれば、当然、供給が生まれる。

もっとも、私たちが無邪気に、これぞ「日本の伝統」と思いこんでいるものでも、厳しくその淵源を訪ねてみると、思いの外、外からの要素が入り交じっているものが多い。

梅干しにしても、「梅」そのものは古来中国文化を代表する象徴的な植物であるわけで、中国産の梅干しを「奇妙なモノ」などということは、とてもできない。似たような例はいくらでもあって、たとえば、私たちにとって大切な「伝統民族衣装」であり、お正月を飾るに必要不可欠な「呉服」という言葉。これも、元をたどれば中国から、ということになりそうだったりする。

藤堂明保「漢字源」は、「呉」という文字の説明に、こう記す。  「昔、日本で中国をさして呼んだ呼び名。日の暮れる西方の国の意。奈良時代の日本では江南の呉の地方を中国の代表と考えたので、呉の文字を用いた。中国から渡ってきたきものをあらわすことば。「呉竹」くれたけ、「呉服」くれはどり・ゴフク。…」

となると、「呉服」すなわち「漢衣(からごろも)」ということになる。本居宣長さんなら、何と答えてくれるのだろうか。「伝統」とは、いったい何か。

「呉服」はまかりならぬ、絹も木綿も漢衣(からごろも)ゆえ避けるべし、やまとの麻の衣を着るがよろし、となるのだろうか。もっとも、その「呉服」姿も、ここ数年、めっきり目にすることが少なくなってきた。

せめて、お正月くらいは、やまと心で、通したい。だが、ヤマトびととは、一体誰のことなのだろうか。ふたたび、宣長さんに、その心を問いたい。私たちはいったい誰なのでしょうかと。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2006/1/15

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