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2006年夏 主婦の友社

発行のインテリア雑誌

「プラスワンリビング」
(隔月刊)7月7日発売号より連載開始。


人間を主役に銀器と歴史を語る、ユニークなモノがたりが始まります。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第35回「南里文雄のトランペット2」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006/4/3

第32回からのつづき。

 

一発で南里文雄さんのトランペットの音色に参ってしまった中学生は、六本木のサパークラブに連れて行ってくれたおじさんに、帰りのタクシーの中で、興奮してその思いをしゃべり続けていた。

おじさんは満足そうに、「そんなに気に入ったのか、南里文雄が。そのうちまた、連れてってやるさ。」と言ってくれた。そして、その後何度か、その手の店に連れて行ってもらったし、もっと大きな会場で行われたコンサートの切符をもらって、一人で行ってみたこともあった。

ただ、あの六本木の一夜とは違って、他の場所で聴いたのはすべて、ディキシーランドジャズを演奏する南里文雄さんだった。正直言って、ガッカリしていた。なぜなら、ディキシーランドジャズというスタイルが、当時の私にはまだ苦手だったからだ。

私が多少なりともディキシーを聴く耳を持つようになるのは、山ほどのモダンジャズを聴いた、そのあとのことだった。中学生の私が心を深く動かされたのは、モダンなアレンジで演奏する南里文雄さんだったのだ。というよりも、おそらく、南里さんの心の音楽と、そのトランペットの音色だったのだと思う。彼の音色には、独特の輝きがあった。音楽に視覚的な意味での「輝き」をはっきりと感じたのは、南里さんの演奏が初めての経験だった。

音楽にのめり込んだ経験のある人なら、お分かりだと思うが、音楽には視覚的な要素がある。音には色もあれば形もあるのだ。そうした絵画的な要素が強いかどうかは、そのミュージシャンの個性によって大きく違う。

1976年頃だったろうか、新宿厚生年金ホールで聴いたマイルス・デイビスは凄かった。その時の東京公演を私は確か3回聴いている。これはもう、様々な色彩と形が頭の中一杯に飛び散って、それがキラキラと光りながら動き回っていた。ミロでありカンディンスキーでありジャクソン・ポロックであり、時にボッシュだった。その幻想のような色彩と飛び回る様々な形象が、演奏を聴いてから一週間経っても頭の中から消えることがなく、このままでは病気になってしまうと心配になるほどだった。

また、同じ頃聴いた小澤征爾さん指揮の武満徹も、まったく別の意味で、絵画的だった。雪舟や等伯のようだと言ったら、ちょっと違うだろうか。その音楽は、飛び抜けて視覚的で、時に幾何学的な立体の間を、そして時に竹林をふき抜ける、風だと思った。当時、武満徹さんは「ミュージック・トゥデイ」という現代音楽のシリーズコンサートを主催なさっていて、私はその第一回からしばらくの間通い詰めるほど、彼の音楽に惹かれていた。

それにしても音楽を言葉で語るのは虚しい。でも、伝えたい。今は、それでも何とか言葉で語ることができるけれど、中学二年生の私は、自分自身何に感動しているのか、そんなことはちっとも分からなかったし、考えてもみなかった。ただ、南里文雄さんのトランペットには、音に「輝き」がある、そのことだけは、はっきりと感じていた。

それから数年後、私は大学生になっていた。今考えてみると不思議だ。中学生三年生は三年と一日経てば、大学生になっている。中三と大学一年生とでは、まるで別の人間、というほどに隔たりがある。しかし、こうして大人も大人「中高年」と呼ばれる年齢に達してみれば、三年と一日前の私と今の私との間には、そんなに大きな違いはない。これは本当に不思議なことだ。

ひょっとすると自分が感じていないだけで、2003年春の私は、現在の私から見れば別人と思われるほど、違う人間だったのだろうか。いやいや、そんなことは、ない。回りの友人たちを思い浮かべてみても、三年程度では、そんなに変わりはしない。こんなこと、これまで考えてもみなかったけれど、不思議だ。あと十数年も経てば私も爺さんになるはずだが、いつ頃から、爺さんになるのだろうか。

爺さんの繰り言はやめて、話を元に戻そう。

大学生になって、もう南里文雄さんのことは忘れ始めた頃、おじさんから一枚のコンサートのチケットをもらった。会場は新宿厚生年金。記憶がいまひとつはっきりしないのだけれど、普通のコンサートではなく、何かの記念コンサートだった。ディキシーランドジャズを中心とする何組かのジャズミュージシャンが一堂に会して、しかし、メインが南里さんだったことは間違いない。ひょっとすると芸能活動五十周年記念だったのではないかと思うのだが、どうもはっきりしない。

なぜ、はっきりしないかというと、当時山ほどコンサートを聴いている上、出演者が一部重なっている、似たような雰囲気のコンサートを、同じ新宿厚生年金で見ているからなのだ。それは何かというと、ジャズ歌手である笈田敏夫さんの「復帰記念コンサート」だ。これはこれで、非常に興味深いもので、コンサートというよりむしろ「励ます会」という趣の催し物だった。ではなぜ、笈田敏夫さんが「励まされる」ことになったのか。これには辛い話が秘められているのだが、ここでは南里文雄さんの話だ。

その当時、ジャズは確実にブームになり始めていた。ナベサダ(渡辺貞夫さん)がアメリカから帰国して、華々しく活躍し始めていた。トランペットの日野皓正は、週刊誌のグラビアを飾るほど、女の子たちのアイドルになり始めていた。つい先日亡くなった本田竹廣さん(ピアノ)、2006年春病気から復帰しつつある板橋文夫さん(ピアノ)、そして、ハチャメチャ山下洋輔さん(ピアノ)などが、注目を集め始めていた。そんな時代だった。

当時の日野皓正さんの演奏は、それこそ「バリバリの吹きまくり」で、その高音はジャズクラブの空間を切り裂くような鋭さで、世界を駆け上がっていく男の力強さが一杯だった。その「吹きまくり」絶頂期の日野皓正が、南里文雄さんの記念コンサートの舞台に登場したのだ。年齢差はたぶん、四十歳はあったはずだ。彼が舞台に登場したとき、会場からは大きな歓声と拍手が起きた。

その日、厚生年金では、様々なジャズミュージシャンが演奏の合間にマイクに向かって、南里さんへのメッセージを伝えたり花束贈呈があったりした。スイングジャーナル編集長の祝辞もあったように思う。そうした雰囲気の中で、日野皓正さんが登場したのだ。

日野さんも簡単な祝辞を述べて、そして、二人で一緒に演奏するというアナウンスがあった。私はそのとき、これはマズイと思った。子供の頃から南里さんを聴いていただけでなく、当時私は、ヒノテルの演奏も、新宿や渋谷のジャズ喫茶で何度も聴いていた。二十代の天駆ける勢いで高音を吹きまくる日野皓正と、六十代初老の南里文雄が、同じトランペットで共演するなんて。

どう考えたって、南里さんが音で負けるに決まっている。晴れの舞台で老醜をさらすことになる。そんなシーンは見たくない。聴きたくない。そう思ったのだ。やがて演奏が始まった。それは、あの「光を求めて」という曲だったと思う。最初、日野皓正が吹いた、と記憶する。力のある若さ一杯の音。そして、次に、南里さんが吹き始めた。

その音に私は、自分の耳を疑った。そんなバカな。日野皓正よりも南里さんのトランペットの音の方が、より豊かで輝きのある、つややかな音色だったのだ。あのときの驚きは、今もはっきりと覚えている。私は幾度も、自分の耳を確かめた。二人が吹き分けるとき、何度も確認してみた。

間違いない。六十代の南里さんの音の方が、ずっと輝きのある音で、しかも、音に伸びがあった。やがてヒノテルが、南里さんの吹くメロディーに、絡みつくようにアドリブを入れ始めた。これがよかった。それは間違いなく、演奏による心からのオマージュ(頌)となっていた。このとき私は、六本木の一夜を思い出しながら、手が痛くなるほど拍手した。

そんな不思議なことが、音楽の世界には、ある。決して南里さんに対する「思い入れ」で語っているのではない。先日のトリノ五輪開会式を思い出して頂きたい。「もう歌えない」はずのパバロッティが、凄かったではないか。

それからしばらくして、南里文雄さんは亡くなった。あの六本木の一夜からすれば、考えられないほどの再評価を受け、スポットライトを浴びながら、亡くなった。失った「光を求めて」二十年。どうやらその光がトンネルの向こう側に見えてきた。それがどんどん明るくなり始めた。信じられない。そんな実感を抱きながら、亡くなられたのではないか、と思う。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2006/4/3

■講座のご案内

この春先もまた、いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。