2007/9/2

8月31日の夕方たまたま部屋に戻ってテレビをつけたらBBC1がダイアナ妃のメモリアルサービス(追悼式典)を放送していた。式典の中で、妃の残された二人の王子のうち、弟王子であるハリー王子の追悼の言葉に心を打たれた。素直で母親としての妃に対する愛情が一杯にこもった追悼のお言葉で、聞く者の心にまっすぐにその思いが伝わってきた。王子という地位にある方が公式の場で、あんなに真っ正直な言葉を述べていいのだろうかと思われたほどだ。

ウィリアム兄王子は将来、英国王となる重い立場であるからだろう、追悼の言葉もそれが反映された荘重なものだった。それだけに、弟王子の言葉の素直さが際だっていた。なにかと御乱行の噂も絶えないだけに、王子の追悼の言葉を聞いた途端、私はこの王子の意外な一面というよりも、魅力を知らされた思いがした。
メモリアルサービスが行われている間、ダイアナ妃の居館であったケンジントンパレスの正門前には、かなりの数の一般市民が集まっていて、その様子も放映されていた。印象深かったのは、弟王子の追悼の言葉が終わったとき、ごく自然にこの人々の間に静かな拍手が波のように広がっていったことだ。式典に招かれたわけでもない一般国民である参集者同士が、目と目で無言の言葉を交わし互いに相づちを打ちながら、いわば共感の思いを確認するように拍手をしていた。彼らと同じように弟王子の言葉に心を動かされた私は、その翌日(9月1日)ケンジントンパレスに足を運んでみた。

チャールス皇太子とダイアナ妃の離別後、このパレスはちょっと不思議なポジションにある。妃の逝去後はその色彩が一層濃くなったと感じる。「不思議なポジション」とはどういう意味かというと、ダイアナ妃が皇太子と離別後に置かれたお立場(公的な地位)の難しさを象徴している、という意味で「不思議なポジション」なのだ。
とりわけ、ダイアナ妃の遺品の数々を展示したスペースは、様々な王族の歴史が刻まれているこの館の中で、他の王族とはいささか異なる扱いを受けている、と私には感じられる。王族であるような、ないような、今ひとつはっきりしない感じで、ケンジントンパレスの「別館」というような雰囲気がある。

私は昔このパレスのすぐそばに、しばらくの間住んでいたことがある。それだけに、このパレスと庭園はなじみが深い。一般庶民にも庭は開放されていて、静かな秘密の花園のような場所が中にある。当時は皇太子や妃が使う専用の赤いヘリコプターが館から飛び立つ様子を目にすることも再三だった。5年ほど前だったろうかヨークにほど近い静かな田舎の村に知人を訪ねたとき、ダイアナ妃が生前その赤いヘリコプターで村にやって来たことが何度かある、と聞かされて驚いたことがある。その田舎の村に本拠地がある侯爵婦人が妃の親しい友人だったので、ときどき遊びにやっていらしたのだという。

話を戻そう。所々挿入している写真は、2007年9月1日の夕方ケンジントンパレス前で撮影したものだ。パレス側は庶民がパレスの鉄柵に花束を結びつけ、ポートレートや様々なメッセージを貼り付けることを容認している。中には、皇太子や特にカミラさんに対して非常に厳しい内容のメッセージが幾つも見られる。それでも、そうしたメッセージが撤去されることもなく、やって来た人々の多くは、明らかに共感している様子で、その厳しいメッセージを読んでいる姿が印象に残った。

参集した人々は野次馬半分の人も中にはいた。異国民である私も、その一人と言うほかない。しかし、圧倒的な大多数は、静かに思いを共感したいという人々であって、静かでありながら一種の熱い思いが感じられるという、めったに出会うことのない空気が一帯に漂っていた。
この場の雰囲気だけで「英国民の思いは…」などという乱暴なことは言えない。しかし、厳しい言葉が連なるメッセージを深くうなずきながら読む人々が絶えない様子を目前にして、私の頭には「のどに刺さった棘(とげ)」という言葉が思い浮かんだ。もちろん、英国にとってだ。棘はすでに取れたのかもしれないけれど、傷跡は今もうずきを止めない。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2007/9/2

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