2008/4/19
「ほら、しっかり見ておくのよ。あそこに小さな島が見えるでしょ。自由の女神像じゃなくて、もう少し右の手前に見える小さな島。そうそう、それ。」
「お爺さまはヨーロッパから船で大西洋を横断してきて、そしてあの島に上陸したの。それがお爺さまにとっての初めてのアメリカ。まだ私が生まれるずっと前、お婆さまと結婚なさる前のことよ。」
「しっかりと見ておきなさい。そして絶対に忘れちゃダメよ。あなたのお爺さまは、はるか大西洋を船で渡って、このニューヨークにやって来たのよ…何日も何日もお船に乗ってね…」
30歳前後の母親が8〜9歳くらいの男の子に、真剣な表情で語っている。子供も、何か特別なことが語られていると母親の雰囲気でわかるらしく、神妙な表情でエリス島を見つめている。二人の間で、しばらく言葉が途切れる。
場所はニューヨーク、ワールドトレードセンタービル最上階の展望台。今考えてみると、あの展望台に登ってみて、ほんとうによかった。ビルの入り口で展望台エレベーターに向かう長蛇の列を見たときは、何もこんな列に並んでまで屋上に行かなくても…と思った。でも、せっかくだからと同行者が言うものだから、渋々従ったのだった。
展望台に登ってみて、その高さに驚いた。ほとんど低山といっていい高さだった。「ヘリコプターがはるか眼下を飛んでるーっ!」そんな単純なことに驚きながら、展望台のガラス窓にへばりつくようにして、自由の女神を眺めていた。
そしたら、男の子を連れた母親が私の隣にやってきて、そして、その子供に語りかけ始めたのだ。月並みな表現だけれど、まるで映画の一シーンのようだと思った。移民としてのルーツを子供に伝える母親。移民の街ニューヨーク。移民の国アメリカ。
大学時代の友人が、このビルの中にあるオフィスで数年間働いていたという。彼は金融の世界に身を置く人で、一歩間違えば、今はどうなっていたことか。9.11では日本人にも犠牲者があったことを忘れるわけにはいかない。
9.11のあと私は、ニューヨークには行っていない。臆病の意気地なし。その前年までは続けて訪れていたのだ。それはそれとして、この街に参ってしまう男は少なくない。私も、その一人だ。初めての訪問以来、その深い魅力にすっかり参ってしまった。
もし若かったなら、多少の無理をしてでも、この街で可能性を試してみたい。およそ積極性からはほど遠い性格の私が、そんなことを夢見たくなるような強い刺激を受けた。これはもう、最初の出会いからそうなのだから、一目惚れだと言っていい。
ニューヨークは大嫌い、という人も少なくない。しかし、ニューヨークは素晴らしい、という人もまた少なくない。私は今だって、あの街に住んでみたいと思っている。たいして経験があるわけじゃない。通算してみたって二ヶ月弱の滞在期間だ。だけど印象は強烈だ。
遊び行くだけでは物足りない。というよりも、もったいない。住んでみたい。暮らしてみたい。できることなら、コロンビア大学とかニュースクールにでも通いながら、勉強してみたい。そうやって、あの街の緊張感のあるエネルギーの塊を自分の中に取り入れたい。宇多田ヒカルさん、どうしてやめちゃったのか。ああ、もったいない。
ところで、パリはもちろん、ロンドンも最近は、たいへんなグルメ都市になっている。ミシュランの評価はいざ知らず、私見では、ロンドンはグルメ度数で東京をとっくの昔に抜き去っている。
15年前のロンドンしか知らない人は、「おいしくないロンドン」というイメージを忘れ去った方がいい。30年前のロンドンしか知らない人は、食については別の王国になったと思った方がいい。食材の贅沢度・本格度という点では、もはやパリにもひけをとらなくなりつつある。「まさか」と思う方が多いだろうが、事実だ。
しかしそれでも、ニューヨークにはかなわないと感じる。この三都市を比較するならば、一番美味しいのは、山ほどの反論を十二分に承知の上で、ニューヨークだと思う。感覚的に一番洗練されているのがマンハッタンだと感じる。
というよりも、要は、私の好みに合っている。「気取らず、しかし、ほんとうの本物」という感覚。食材店で言えば、ゼイバーズにバルドゥッチ。店員と顧客のやり取りを含めて、特にゼイバーズは、最高に面白い。イーライ・ゼイバーの店は今、どうなっているのだろうか。ど根性で本家を抜きそうな雰囲気もあったけれど。
その昔、フランク・シナトラもやって来たというイタリアンに行ってみた。古色蒼然とした雰囲気は、まるでイタリア。お客とボーイがイタリア語でやり取りしている。やがて奥から出てきた主人も、私の目の前に座るお爺さんのお客とイタリア語で話している。テーブルの三分の二はイタリア語のお客さん。我々ともうひと組、これはアメリカ田舎からのガイドブック片手組。この二組の客だけが、おずおずとしながら「英語で」ボーイにオーダーを出す。
オーダーを了えて周りに目をやれば、まるで『ゴッドファーザー』や『ワンサポンナ・タイム・イン・アメリカ』の世界だった。イタリア語のお爺さんは、あれ本物のゴッドファーザーじゃないのか。そんな想像がちっともおかしくない店の雰囲気。もちろん、味は飛び切り文句なし。ボローニャを思い出させてくれる味だった。雰囲気も大いに関係ありだったかもしれない。
ところで、この街で出会ったのが、カザフスタンからやって来たという銀屋さん。マーケットの小さな出店。棚一枚のお商売。訛りの強い英語で、カザフスタンから来たという。これにはビックリ仰天、耳を疑った。ヨーロッパなら随分と色々な場所で銀を買ってきたけれど、カザフスタンの人に出会ったのは、これが初めてだ。なんだかシルクロードの香りがした。ニューヨークに来て五年目だと言っていた。
それにしても、移民は皆、働くために故郷を後にして先進国にやってくる。孤独、異文化、言葉、差別、蔑視そして低賃金。そうした壁を日々乗り越えつつ、必死にもがきながら都市で生きる道を探っている。その必死さと迫力が、街の陰影を深くし、彼らのもたらす様々な異文化が都市の魅力と活力の源泉ともなっていく。
こうした移民たちにとって多少なりとも夢を抱ける都市。それだけの包容力と経済力そして文化力のある大都市だけが、これからの世界で生き残っていける時代なのではないだろうか。今は世界的に、「国家の時代」から「都市の時代」へと移行しつつあるような気がする。
東京は今もって、外国からの労働移民に扉を閉ざし続けている。少なくとも「公式」には。昔から鎖国の伝統がある国だ。いろいろ大変なこともあるけれど、基本的には、人間鎖国をしてもやっていかれる恵まれた国なのだ。
だから東京の春、日本の春のぬるま湯は心地よい。私は純粋培養の日本人であるのだから。しかし、このままでは東京は、いつかブリュージュになってしまうかもしれない。いや、もう既に少しずつそちらの世界に滑り落ち始めている気がする。だってあそこ見える上海の摩天楼が…。
などとあれこれ書いているうちに、どんどんニューヨークくに行きたくなってきた。ぬるま湯にばかり浸かっていると、身も心も、そして頭までもが、ふやけてくるからだ。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2008/4/19

■講座のご案内
2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。
いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
詳しくは→こちらへ。
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