2004/7/29
(書いているうちに、どんどん長くなったので、二回に分けることにしました。前回のつぶやき第7回の続きです)
「用事が終わるまでここで待っているから、用が済んだらすぐに、ここに戻ってきたほうがいい。道に迷って遠くに行ったりしないように気をつけて。ここはタクシーが寄りつかない場所だから、そうしないと、帰りの車はないよ。」
冗談でも何でもない。彼はごく自然に、異邦人の乗客である私の身の安全を思ってくれたのだ、と思う。とてもじゃないが「街見物に来たのだから、数時間は掛かる」などと言える雰囲気ではなかった。今は昔の「九龍城」ではあるまいに、彼の言葉を大げさなと思いつつ、恐る恐る歩き出してみると、確かに他の街とは様子が違う。
すぐに気付いたことは、東洋人も白人も、更にはインド系さえも、そこでは見かけることが、ほとんどない、という事実だ。多人種混合が当たり前のロンドンで、これはかなり異様なことだ。いかにも用事のあるような顔で歩いてみたつもりだけれど、周囲から見れば、かなり目立って浮いた存在であったことは間違いない。当然のことだが、目立つ人間は狙われやすい。
よく見るとガタピシの建物が並ぶ中、道行く女性の服や商店の看板の派手な色彩が、背後の建物と奇妙なコントラストを作り出している。裏道に少し入れば、玄関前が粗大ゴミの山と化している家があり、その家の前の、まず誰も清掃をしたことがないと思われる歩道には、紙くずとホコリがつむじとなって舞っている。
その一方で、庭一面に満艦飾の洗濯物をはためかせている家もあり、その洗濯物の、色とりどりの巨大な下着の隊列を見ていると、そこにしっかりとした毎日の暮らしがあることが実感される。この家には、その大きな下着に見合う立派な胴回りの肝っ玉母さんがいるに相違なく、毎日掃除洗濯料理に明け暮れているはずだ。家の窓のカーテンがひときわ華やかな白のレースで飾られている様子から想像するならば、これを場末のみすぼらしい暮らしと呼ぶのは当たらない。どんな場所でも、暮らしよう一つで楽しくもなれば、すさみもする。そのことがよく見える街でもある。
表通りに一歩出てみれば、通りにはたくさんの人間があふれていて、ナオミ・キャンベルのような体型が珍しくない若い女たちと、それに釣り合う手足の長い男どものオシャレが目を引く。私は一人ウィンドウに映る自分の姿を見て、そのダニー・デヴィートのような格好悪さに愕然とする。どうして人類の男がすべてダニー・デヴィートや勘九郎、せめてジャック・ニコルソン程度ではないのかと、呪いたくなる。いや、呪ってみる。憎まれついでに言わせてもらえば、ナオミ・キャンベル風が肝っ玉母さん風になるのに、大して時間は掛からない。人によっては、僅か数年の命だったりもするのだから。
それにしても、ここの住民のオシャレは、一つの文化なのだ、と思う。第二次世界大戦後まもなくして、彼らの先祖は正規の労働移民としてこの国に住み始める。その記念すべき、第一回集団移民上陸時の写真を見たことがある。全員が1950年代のハリウッド映画からそのまま飛び出してきたような服装で、写真のキャプションがなければ、誰もそれが労働移民だとは思わないだろう。
男は全員がスーツに中折れ帽で、まるでボギーにシナトラ。もちろん、この二人より、はるかにプロポーションがいい。女は「ジヴァンシーをまとったヘプバーンの集団」といったら、ちょっと言い過ぎか。でも、それくらい、ファッションが決まっているから、驚いてしまう。
私の目の前を格好良く歩く若い男と女達は、この初代移民から数えて、三代目から四代目へとなりつつあるわけで、ロンドンの空気をたっぷり吸収した彼らは、東京のダサいファッションのはるか向こうを歩いているように思われて仕方がない。
結婚(同棲)が早い彼らの場合、世代代謝も早いので、一世代三十年という「常識」は通用しない。一世代二十年でも数えすぎではないかと思うくらいだ。彼らの存在が、老英国の人口増加を支える、大きな柱の一つになっていることは間違いない。しかし、その一方で同じことが、白い老人側から見ると、気に入らないことおびただしい、ということにもつながっている。いずれにしても、こういう事態が他所の国の話でなく日本の現実となるのも、もうすぐそこ、という予感がする。
それはそれとして、こんなファッショナブルな若い男と女が歩く街は当然、活気に満ち満ちている。道を進むに連れて、カラフルで面白い店屋が次から次へと眼前に姿を現わす様子は、まるでスライドショーを見るようで、楽しくて止められない。というわけで、この初めての探訪をきっかけとして、恐る恐るも、ごくたまに見に行く面白タウンということに相成った。
一番安全といわれる土曜日の午後を選んで行くせいもあるけれど、道行く人々の表情は明るく、いつ行っても、何だかお祭りに来ているような雰囲気が感じられるのは、カーニヴァルを盛大に祝うことで知られる住人の陽気さからくるものだろう。
この町の住人は、もともとは、西半球にある南の島々からやって来た人々が中心で、魚を料理する人たちが多く住む。そのため、種類は限られているものの、ロンドンの場末としては珍しく、鮮度のいい魚を並べる店が何軒もあって、その水準は決して馬鹿には出来ない。肉屋も、びっくりするくらい充実しているのだけれど、なぜか肉屋の店員はどの店も、訪れる客とは違う人種だと一目で分かるのも、面白い。
しかし、ここは「ブラックキャブも行かない危ない街」だ。お気楽に町歩きを楽しもうと思っても、そうは問屋が卸さない。誰もが口を揃えて「危険だから行くな」と言うのには、単なる偏見を越えた、十分すぎるほどのワケがある。こうした街を甘く見ると、大ヤケドをする。この点は、肝に銘じておくべし、なのだ。
初めての探訪のとき、途中で歩き疲れて、公園で休もうと思った。だが、公園の中にたむろしている連中が、ちょっとヤバい雰囲気なので、中には入らずに、街歩きを続けた。あとで知ったことだが、この判断は幸運と呼んでいいほどの大正解だった。
なぜなら、その公園は、ロンドンでも有数の、ドラッグの売人の溜まり場として有名で、傷害事件だの何だのが日常茶飯事の場所だったのだ。とりわけ「金曜日の夕刻ともなれば、警官も近寄らない場所となる」という話を聞いてゾッとした。この手の町では、安全と危険は、いつだって紙一重で境を接しているのだ。
だから、こうした街を歩くときには、「地球人類皆兄弟。同じ人間、悪い人などそういない。」みたいな脳天気な「えせヒューマニズム」は忘れたほうがいい。この町で、見るモノ見るヒト珍しくて眼をきょろきょろさせている黄色い顔のダニー・デヴィートなんて、それだけで「私を狙って下さい」と首から看板を下げているに相等しい。
いつスリや強盗にやられてもおかしくない、というくらいの緊張感を忘れないこと。そんなことが安全確保の一つの方策ではないかと、勝手に思っている。カメラなんて、とんでもない。バッグ一つさえ持ち歩かない。だから今回、写真はナシ。
もっとも、こうした「ヤバい街」探訪も、場数を踏めば、慣れて来る。そうなると「地球人類皆兄弟」と思いたくもなるのだけれど、自分が二重三重の意味で異邦人なのだということを忘れてはいけないと、いつも自戒している。
ロンドンという大都会には、こうした「ヤバい街」もまた、幾つか存在しているのだ。いや、探せば幾つだってある、というのが本当のところだ。さらに言えば、パリにもブリュッセルにもウィーンにも、こうした街は存在していて、ロンドンはその代表例の一つに過ぎなくて、どこに行っても同じこと。移民エスニックの食市場、肝っ玉母さんのたくましい暮らし、ゴミとホコリのつむじ風、そして、極めて危険な公園が、セットになって存在している。
そして、こうした街が増殖しつつあるところに、ヨーロッパの根深くも最先端の問題が見えてくる。旧帝国の辺境から、「今日食べるパン」を求めて押し寄せる人々。彼らのたくましさとイラ立ちが一杯に詰まった街が、ここにある。「俺たちは猿じゃないぞ。おまえ達こそ野蛮な猿だ!」「俺たちにも分け前を寄こせ!」そんな叫びが聞こえてくる。
そして、そうした叫びは確実に、脳天気にも極東の豊かな島国から「街見物」にやってくる、私のような黄色い猿にも投げかけられる。「私は白人じゃない」なんて、そんなセリフは通らない。「ならばどうして、俺があんたの立場じゃないんだ?なんで俺が見物される側なんだよ?分け前出してもらおうじゃないか。」と言われれば、果たして返す言葉はあるのだろうか。
いずれにしても、私は部外者、異邦人。あっちにふらふら、こっちにふらふら、こうした都会を歩き回る迷子の子犬だ。子犬も歩けば「棒」に当たる。そして時には、当たって嬉しい「棒」もある。それが一体どんな「棒」かといえば、こうした場末に近い一角で、非常に興味深い古本屋を見つけて、驚いたことがある。
入り口に近い場所には、マスマーケット本が山積みされていて、買い物途中の肌の黒い主婦と子供が立ち読みしている。ところが、一番奥には、明らかにセレクトされた歴史系の学術書。ブロックやルゴフからアブ=ルゴドやチョウドリあたりまでが並ぶ棚があり、その隣には、谷崎・川端・三島・公房から、村上春樹やばななの英訳が並んでいる。そんな棚がひっそり、しかし、しっかりと確保されているのは、ここが主人の意気地のありかだからに相違ない。
数冊の本を抱えてレジに向かうと、そこには、巨大クラゲのような体躯の店主。店の名が不思議なもので、その由来を尋ねれば、ボルヘスの小説から採ったと言われて、しばし唖然。東欧と中央アジアの混血のような、どこ系とも知れぬ、その巨大な浮遊物を思わせる主人の顔を、改めて見つめ直してみた。
そうしてよくよく見直してみれば、そのとび色の両の瞳は優しく微笑んでいて、私はひと目で気に入った。こんな場末で、苦労しつつも、何とかしてセレクションの筋を通そうとしている努力が、棚に並ぶ本の一冊一冊から、痛いほどに見て取れる。
古本とはだいぶ世界が異なるけれど、私も骨董を商売としている一人だ。彼の悩みと喜びが、びんびんと伝わってきて、お前さんのような男のいる、この大都会が、だから私は好きなのだと、そう思わずにはいられなかった。
さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。
2004/07/29
■講座のご案内
いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
詳しくは→こちらへ。
|