2004/07/26
前回の「つぶやき」が、いささか重すぎたことを反省して、ちょっと軽めに、今回は。
ロンドンの住宅街をふらふらと歩いていると、一見地味ながら、よく見ると凝った造りの住宅に出くわすことが珍しくない。中でも見とれてしまうのは、アーツ&クラフツ系の意匠でまとめられた家々だ。
本物はヴィクトリアン末から第一次世界大戦前頃に作られたものが多い。中には、その雰囲気を再現して、新しく作り直している場合もある。もっとも、玄関周りだけを新しくした場合でも、本体の建物が古いので、取って付けたような違和感を感じることは、まず、ない。この辺がニクイところだ。
晴れた日には、こうした建物の窓が開け放たれていることがあって、そんなときには、何気ないそぶりで、ゆっくりとその窓辺を歩いてみる。あまり誉められることではないけれど、見ないような振りをしつつ、僅かな時間、室内を覗いてみる。
こうした家は、室内もまた、同じようにアーツ&クラフツ系でまとめられていることが多く、これがその時代に建てられた建物である場合には、重厚で落ち着いた雰囲気になっている。
特徴的なのは、窓のステンドグラスの色と形。時に中世の教会を思わせるような、玄関ドア鉄枠のデザイン。暖炉の意匠などなど。外から見られることを意識している家も珍しくないようで、窓辺には、チューダー風のピューターの花瓶や、二百年ほど前のブルー&ホワイトの皿がなどが置かれていたりする。
そんな住宅に出くわすのは、中心部のポッシュな地区が多いのは言うまでもないけれど、少し郊外に近い所でも、おしゃれな家が集まっている地区が幾つかある。こうした地区はどこも、人通りが少なく、静まり返っているのが常ながら、道に並ぶ車は、思いのほかスポーツカーが多いのも特徴だ。中に、半世紀ほど昔のポルシェやオースチンを見かけたりすることがあるのは、車好きには、たまらないだろう。
もっとも、こんな気取った町ばかりを見ていると、たまには、その正反対の雰囲気も味わってみたくなる。
階級社会が生きているロンドンでは、町の個性もまた、それを如実に反映している。この大都会の「街の序列」は古くから、移民すなわち人種問題という大きな要素を抱え込んでいるのが特徴で、新参者が一番貧しい地区に集まる、という原則が、今もちゃんと生き続けているのは、ロワ・マンハッタンとよく似ているような気がする。
例えば、今からおよそ三百年前に、フランスからユグノー教徒が難民として逃げて来て住み着いたことで知られるイーストエンドの町がある。この地区は、今もフランス風の通りの名が幾つか残っているのだけれど、現在その地区の主役は誰かといえば、「世界最貧国」の一つと言われるバングラデシュからやってきた人々だ。彼らが住み着くずいぶん以前には、東欧から逃げてきたユダヤ系の人々が住んだことでも知られている。
なぜ、そんなことを知っているかというと、ユグノーの難民には、数多くの銀職人が含まれていたからだ。様々な困難を経て、やがて彼らは英国の社会に溶け込んでいく。そうなるに連れて、当時はロンドンの街外れといっていい、この地区をあとにして、より中心部へと移って行く。以前、彼らの足跡を尋ね歩いてみたことがあるので、よく知っているのだ。
東欧からのユダヤ系の人々もまた、同じような道筋をたどっていて、彼らの子孫の中には今、ロンドンでも指折りの高級住宅地に居住する人々も珍しくない。当然、ここ十数年で地区の主役になりつつあるバングラデシュからの人々もまた、いつか、この地区をあとにする日がやってくるに違いない。
こうして、異なる人種が、異なる文化をひきずりながら、去来する。そして、街にその痕跡を残していく。その意味でロンドンは、人間の積み重ねてきた歴史の重層が目に見える都市なのだ。だからこそ、何気ない町歩きがそのまま、歴史散歩へとつながっていく。いやでも歴史と対面せざるを得ない、というべきで、これはロンドンに限らずヨーロッパの古い都市に共通する大きな特徴ではないだろうか。
こんな風に多様な歴史と個性を抱えるロンドンの町の中には、「ちょっと危ない」といわれる地区も、少なくない。「用もないのに絶対行っちゃいけない。そんな町を見に行くなんて、とんでもない。チャーリー、身の危険があるから止めろ。」ほとんどの知人がそう口を揃えて言うような町を、一人でほっつき歩くのも、密かな楽しみの一つだ。
かつて、そうした町の一つに、ロンドンの中心部からタクシーで行こうとしたことがある。世界一と定評のあるロンドンのブラックキャブだが、驚いたことに、その町の名を口にしたところ、三台続けて「乗車拒否」された。あえて町の名は書かない。四台目がようやく行ってくれることになったのだけれど、車を降りるときに運転手は、真剣な顔でこう言った。
「用事が終わるまでここで待っているから、用が済んだらすぐに、ここに戻ってきたほうがいい。道に迷って遠くに行ったりしないように気をつけて。ここはタクシーが寄りつかない場所だから、そうしないと、帰りの車はないよ。」
(つづく)
(書いているうちに、どんどん長くなったので、この回は、ここで一端おしまいとします。続きは、第8回をご覧下さい。)
さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。
2004/07/26
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