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主婦の友社

「プラスワンリビング」

9月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第8回

今回の主人公は

16世紀欧州銀器世界の

「影の帝王」


アウグスブルク

フッガー一族


銀山と銅山そして交易のネットワークを通じて一族が築いた莫大な富が、銀器の世界にもたらした興味深いお話です。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第67回「ロンドン女の心意気」

2007/9/23


 パリに限らずロンドンの地下鉄でも面白いことあります。これ、ついこの間の、そう、2007年9月初旬の話です。メトロポリタンラインのバービカンの駅でギターを抱えたロン毛ヒゲもじゃ男が一人乗り込んできて、電車が発車すると同時に歌い始めました。年の頃なら三十二〜三というところでしょうか、そう若くはありません。

どうやら自作自演の歌であるようで、ちょっとリズム感のある調子で、でも、ちっとも上手じゃない歌を、地下鉄の騒音に負けじとばかり大声でギターをかき鳴らしながら歌います。着ている服はよれよれのジーンズにスウェットシャツ、ご本人はファッションのつもりかもしれませんけれど、なんだか薄汚れた感じです。

こういう芸人さん、たまに、すごく魅力的なのがいるんですよね。とくにジプシー系の人に。これは「つぶやき」第15回で書いた通りです。ところが今回のヒゲもじゃギター男は、お世辞にも「うまい」とは言えません。それこそ、勝手にそこで歌ってればあ、という感じでした。

さて私の前の席には、小学校3年生くらいの男の子と、その妹らしき5歳くらいの女の子が座っていて、その脇に、でっぷり太った彼らのお母さんが座っていました。敢えて言わせて頂くと、典型的なワーキングクラスの家族です。子供達はどうやら地下鉄芸人の歌に生まれて初めて出会ったらしく、これはもう大喜びです。大きな目を見開いて地下鉄芸人の方をみつめ、歌に合わせて二人で首を振ったり体を動かしたりして、お母さんに何ごとか叫んだりしてます。お母さんも、それを見て楽しそうです。

やがてお母さんはバッグから財布を取り出し、中から小銭を出し始めました。それを見て私は、「ああ彼女は芸人に小銭をあげるつもりだな」と思いました。あんな下手くそにお金やることないのに、と内心思いつつも、子供達がすごく喜んでいるので、まあ、その分と思ってあげるのかもしれないなあ、なんて思いながら見てました。

お母さんは随分と小銭を財布に貯め込んでいたようで、1p(ペニー)銅貨を十枚くらいと、そこに銀色の5p(ペンス)玉3〜4個、さらに、八角形の20p貨2〜3個を手のひらに用意して、それを握りしめました。小銭としてはかなりの分量です。合計で1ポンド(250円)くらいになるかな、という感じでした。

やがてヘタな歌は終了。ヒゲもじゃ男がゆっくりとこちらに向かって右左に愛想を振りまきながら歩いてきました。そこでお母さんはすかさず、パッと手のひらを開いて、彼の前に差し出しました。そしたら彼、大きな声で何か叫んで、そのまま彼女の前を通り過ぎようとしたとき、ギターがお母さんの手に触れて、手から小銭が床に飛び散りました。

「銅貨なんかイラねえよ、バカにすんなよな 」

どうやら地下鉄芸人は、そんなセリフを叫んだらしいのです。私の耳にもはっきりと「銅貨」という言葉が聞こえましたから。その瞬間です、私の左隣の女性、そう年の頃なら30代半ば、なかなかオシャレで肩までの豊かな髪がきれいな、ビジネススーツを着ているシティのキャリアウーマンっぽい女性が大声で叫びました。

「あんた何様のつもり! 小銭はイラねえ、銅貨なんぞに用はねえですって。ざけんじゃないわよ。下手くそな歌勝手にがなりたてて、それでも人様がご親切にお金を恵んで下さろうっていうのに、その親切がわかんないの。5ポンド札なら受け取るっていうわけ、その歌で。あんたの歌になんか、銅貨だってもったいないくらいだわよ。人の気持ちが分からない、あんたのようなバカ男は、とっとと出て行きなさいよ…」(敢えて訳すと、こういう感じ)

その啖呵(たんか)の活きのいいこと。いるんですよねロンドンにはこのタイプの女が。私は出会うたびにほれぼれしてしまうのです。江戸の辰巳の芸者とかって、きっとこんな感じだったのかな、なんて思ったりして。ロンドンのローカルラジオのキャスターっていうのは、だいたいこのタイプですね。

曲がったことが大嫌い、それが政府だろうと王室だろうと、そこらのオジサンだろうと、曲がったことには食って掛かる。毎日のようにラジオでこういう会話を聞かされます。だいたいがちょっとハスキーボイスというかシャガレ声というか、それでポンポンポーンと言葉が弾む。うちの祖母が生粋の江戸っ子でしたから、あの活きのいい言葉遣いに似てるんですね。といっても、コクニーともまたちょっと違っていてね。

この啖呵が続く間、ギター男は私のすぐ脇に立ち、出入り口の扉の方に向かって、唇をかみしめて耐えています。彼女の啖呵は続きます。彼女は他の乗客全員に訴えているのです、ヒゲもじゃ芸人がいかに無礼であるかと。一部の乗客は彼女の方を見てうなずきます。床に落ちたお金を子供が拾っています。絶叫が収まったキャリアウーマンはお母さんに「ほんとひどい奴ね」と言いつつ、私にも同意を求めてきます。お母さんは大きく首をうなずかせ、両肩をすぼめるそぶりで、なんだか悲しそうです。

やがて地下鉄は次の駅に到着。ヒゲもじゃ芸人は逃げるようにしてホームを走っていく姿が見えました。

これぞ文字通り「ロンドン女の心意気」、ロンドンという街の魅力の一つです。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/9/23

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 いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ