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主婦の友社

「プラスワンリビング」

7月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載13回

今回の主人公は

18世紀後半英国建築界に

新しい波を起こした建築家

ロバート・アダム

銀器と建築家

そこに不思議なつながりが

インテリアから工芸まで

新しい波を起こした男達の話

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第81回「幕末のロンドン万博」

2008/7/12 

  

   「これじゃあまるで、ガラクタ骨董屋の店先みたいじゃないか。我が日本国を代表する産物として展示するのに、こんなものばかりじゃ、ちょっとヒドイんじゃないのか。」

 1862年ロンドンで開かれた万国博覧会。ここに日本からも正式に出品があり、総数で600点を超える品物が展示されました。日本からやって来た武士達は、日本コーナーの展示を見て、あまり良い印象を抱かなかったようです。むしろ恥ずかしいという思いさえあったみたいです。
 
  ではそのとき一体どんなものが日本から出展されていたのか。当然手作りの工芸品が主体です。江戸時代ですから。年号でいえば文久二年です。この博覧会について僅かに触れた宮永孝『幕末遣欧使節団』(宮永先生は現在、法政大学教授)によれば、次のような品物が展示されたと記されています。107頁に書かれている文章をそのまま引用してみます。

 「日本から出品されたものはがらくたが多かったようである。和紙・木材の見本に加えて、男女の衣服・火事装束・甲冑・漆器・銅鉄器・刀剣なども展示されていたが、見るに耐えなかったのは、提灯・傘・木枕・油衣・簑笠・木履・草履などの類まで並べてあったことである。」

 「がらくたが多かった」とか「見るに耐えなかったのは」なんて書いてあります。これを読む限りでは、よほどお恥ずかしい展示だった、ということになりそうです。この本には掲載されていませんけれど展示の様子を撮影した写真を見ると、「がらくた骨董屋の店先みたいだ」という印象も、なるほどたしかに、という感じがあるのも事実です。私もがらくた骨董屋の端くれですけれどね。

 この「がらくたが多かった」とか「見るに耐えなかった」という価値判断の部分は、おそらく筆者の宮永先生が、この文章の直前に引用されている高島祐啓の『欧西紀行』等、この博覧会を実際にロンドンで見た幕末の武士達が書き残した感想を前提として記された言葉だと思われます。
 
  なぜ幕末のこの時期ロンドンに武士の一団が博覧会の見物に来ているのか。詳しくは宮永先生の本やオールコック『大君の都』(岩波文庫)(原作"The Capital of The Tycoon"1868年Longman版はグーグルのBooksで全文ダウンロード可能)をお読み頂くこととして、ここで私がちょっとひとこと書いてみたいのは、この「がらくたが多かった」と「見るに耐えなかった」という価値判断についてです。
 
  「提灯・傘・蓑笠・草履」などの品々がガラクタに見えたんですね、当時の武士には。「こんな品々を日本を代表する品物として展示するなんて情けない…」そんな感じだったんでしょうね、きっと。分からなくもないですけれどね、その気持ち。
 
  当時世界一の先進国である大英帝国の首都ロンドンで、産業革命爛熟期の成果がズラリと展示されている中に、手作りの簑笠に提灯や草履といった品々を国を代表する産物として展示するわけですから。しかも品物を選んだのは彼ら武士じゃないんですね。それどころか、日本人の選択じゃないのです。
 
  誰が展示品を選んだかというと、当時既に英国から初代駐日公使として派遣されていたオールコックです。この人が個人的に「面白い」「きれいだ」「見事な手仕事だ」と思ってあれこれ集めたものが、この展示品のほとんどを占めていたのです。だから武士達は余計、気に入らない。そういう側面が濃厚にあったと感じられます。
 
  要するに、日本の文化のことをちゃんと知らない外人が勝手にヘンテコなものを選んで並べてしまった、そういう思いを少なからず使節団の武士達は抱いていたようなのです。この博覧会を見た武士の中には弱冠27歳の福沢諭吉や明治に言論人として活躍する福地源一郎も含まれています。まさに近代日本の出発点です。二人が展示を見て実際にどう思ったのか。まだよく調べていないので、わかりません。

 でもきっと「こんな手工芸品ではなく、もっと高度な産業技術を背景に製作された工業製品を展示したかった。いつか必ずそういう国にならなければいけない…」というような思いを持ったのではないでしょうか。漆器や銅鉄器、火事装束に提灯だなんて恥ずかしいことだと。
 
  ところが、この展示を見た英国人の中には、武士達とはまるで反対の印象を抱いた人々も少なくありませんでした。とりわけ工芸やアートに鋭い目を持つ人ほど、日本からの手工芸品の水準の高さに驚きの印象を持つ傾向がありました。

  「これほど素晴らしい工芸品を生みだす国である日本というのは、一体どんな国なのだ」そう思わせるだけの強いインパクトのある展示として受け取られた一面があった。それこそ「熱烈歓迎」状態で熱狂する人さえ珍しくなかった。

 日本の武士達とは、まったく違うモノの見方が、同じ展示品を見た英国人達の間にあったわけです。こうした視点を当時の武士達が理解することは、おそらく無理だったろうと思います。なぜならそれは、産業革命を経験した後でないと絶対に生まれ得ない視点だったからです。
 

 また当時欧米で巻き起こりつつあった「ジャポニズム」大流行という大きな波を見過ごすわけにはいきません。幕末のロンドン万博における日本の展示は、その大きな波とも共鳴する重要な要素の一つであったと言うことができます。
 
  いずれにしても、同じ展示を見ても「見る視点」が異なれば、まるで違う受け取り方になるわけです。で、もし今我々現代の日本人が当時ロンドンの博覧会に展示された品々を見たらどう思うのでしょうか。
 
  これはもう、ため息の連続だと思います。「きれいだねえ」「手仕事が凄いね」「大胆な色使いだし、なんかオシャレだよね」「昔はこんなに洗練された感覚があったんだね」「今じゃ絶対もうつくれないんだろうね」そんな感想が続くに決まってます。
 
  産業革命に憧れ、これを見事に実現し、そしてバブルとなって消え去って20年近く経ついま、140年前の鋭い目を持った一部の英国人のものの見方が身にしみて理解できる。日本は140年掛かってそこに到達したわけです。で、「和のブーム」です。「和のブーム」ってこれ、私たちはそれだけ「外人」みたいになっちゃったということじゃないでしょうか。
 
  この140年間に達成できたことと喪ったもの。幕末文久二年に重い任務を背負って欧州へと旅立った文久の訪欧使節団の武士たち。彼らがもし今の日本に降り立ったとしたら、一体どう思うのでしょうか。車にケータイにPCに高層ビルそして渋谷のギャルを見て、果たして欣喜雀躍するのでしょうか。

 「俺たちが夢見たのは、こんな日本じゃない!」そう叫び声を上げるんじゃないかという思いがするのは、私だけでしょうか。
 
  この7月末に発行される広島日英協会の会報に、このことに関連するお話を書かせて頂きました。1862年ロンドン万博における日本の展示が、後に英国銀器に意外な足跡を残す人物に関係している。そんなお話です。それで、ちょっとここでおしゃべりしたくなったわけです。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2008/7/12

■講座のご案内

2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。

いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

 

詳しくは→こちらへ。