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不定期連載『銀のつぶやき』
第23回「身近な緊張ロンドン街歩き」

2005/08/15

人通りのある表通りから、一歩角を回って脇道に入った途端、シマッタ!と感じた。そうだ、ここは、近づいてはいけない場所だったのだ。二十メートルほど前方に、サブマシンガンを手にした武装警官の姿が目に入る。鋭い視線でこちらを凝視しながら、ゆっくりと近づいてくる。今更引き返すわけにはいかない。怪しまれては大変だ。武装警官は、片手を銃把に、もう一方の手を引き金の上部に置いて、いつでも発砲できる態勢で、私の方に向かって歩いてくる。無言の恫喝、といっていい。

肩から掛けた小型軽機関銃は黒光りしている。重量感のある磨き込まれた硬質の金属塊。そこに太陽光が反射した一瞬、「美しい。あの銃を手にしてみたい。」と感じた。部厚い防弾チョッキを着けた武装警官の姿はもう、目と鼻の先まで近づいてきている。


何も知らない日本人観光客が、間違って入り込んでしまった、というフリをするほかない。ビックリした顔をよそおいながら、警官の鋭い視線を避けて、道の反対側に目を向ける。大型乗用車二台が余裕を持ってすれ違えるほどの道幅で、反対側にも歩道がある。そちらの歩道には、安物のスーツを着た男が二人、私を凝視している。スーツの下で鍛え上げた肉体がうごめいているのが一目でわかる。上着の下には、高性能の銃器を身に着けているに違いない。本来中東系でありながら、アラブ系とはまた異なる顔立ち。いずれにしても、軽機関銃の白人警官よりは、こちらの方がはるかに恐ろしい存在であると見て、まず間違いのないところだろう。

彼らの背後には、大きな屋敷があり、鉄柵の門前をこの二人が護っている形だ。驚いたことに、屋敷の屋上にもスーツの男が立っているのが目に入る。この男もまた、私の動きを監視しているようだ。運の悪いことに、このときは私一人しか、歩道を歩いている人間がいなかった。訓練された厳しい男達の視線が私一人に集中している。一刻も早く、ここを通り過ぎねば…。

ハードボイルド小説を気取っているわけではない。実体験をそのまま言葉にしているだけだ。場所はロンドン、中東某国大使館前の道での出来事だ。

以前暮らしていたことがあるので、この一帯のことはよーく知っている。しかし、ここが近づいてはいけない場所だということを、ついうっかり忘れてしまっていたのだ。ここはおそらく、ロンドンでも指折りの「危険な場所」の一つではないだろうか。つぶやき第八回で触れた、ドラッグディーラーがたむろするような街が危ないことは当然だが、それとはまるで異なる「危険」が、ここにはある。

こんな車が似合う街に、ひっそりと、ちょっと怖い機関が設置されていたりする。

車を撮影していたら、この建物の向かいの建物(私の背後)から、プロレスラーのような屈強の男が出てきて、ケータイ片手にずっと私の方をにらみつけていた。

どうやら、車の持ち主のガードマンであるらしい。その建物というのが、なかなかすごいもので、ここでご紹介できないのが残念だ。

そんな男が必要な暮らしというものがロンドンにはある。そして、その片鱗を一般人がかいま見る機会がけっこうあったりする。こうした「底知れない富と権力」がうごめくところが、真の国際大都市の魅力だと思う。危険も時に魅力的だと言ったら、不謹慎だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


繁華街の角を曲がれば突然、そこが危ない場所。というのは何も、この大使館だけではない。もっと臨戦態勢の緊張感がビンビンと感じられる場所がロンドンの中心部にある。それはどこかと言えば、他でもない、グロブナー・スクエアにあるアメリカ大使館だ。日本人観光客におなじみのデパート「セルフリッジス」から徒歩五分の位置にある。

9.11の後ここは、自動車による自爆テロを防ぐため、巨大なコンクリート製の防御壁が、二重三重に建物を取り囲み、更に、建物の周囲は臨時の金属柵と金網で、これまた二重三重に囲まれる形となっている。その金網の内側はもちろん、周辺の歩道にも、防弾チョッキを着て小型軽機関銃を手にした武装警官が、厳しい目つきで周囲を警戒する様が見られる。

人々がお昼のサンドイッチを楽しむカフェから、ほんの僅かな距離。そこにたたずむ武装警官。五年前を知る人なら、ここがメイフェアの一角だとは信じられないような光景だ。そういえば、ドラえもんに「どこでもドア」というのがある。のびたの勉強部屋に置かれた「ドア」の向こう側は、別世界。これになぞらえれば、アメリカ大使館の金網の向こう側は、砲煙煙るバクダードかカブールに違いない。

グロブナー・スクエア界隈は、ロンドンの中心部にありながら、アメリカの小さな租界ではないかと思われるほど、様々なアメリカ政府関係の施設が置かれているようだ。十年ほど前まで、ロンドンに来ると、知人のつてで、このすぐそばのフラットに滞在する決まりだった。だから、この一帯もまた私にとっては、なじみが深い。ただ、いかにメイフェアという響きの良さがある地区とはいえ、現在の状況下では、あのフラットでの滞在は、お断り申し上げたい気分だ。

ここで以前、こんな光景に出くわしたことがある。大使館のすぐそばにある地味な建物の前を歩いていたときのことだ。建物の前の歩道に、まるで制服のような焦げ茶色のスーツ姿で、白人と黒人の若い男が二人、周囲を警戒する様子で立っていた。特徴のある頭の刈り方から、一目で、彼らが米兵だと分かる。どちらもシュワルツネガー顔負けのマッチョマンだ。

二人の耳元にはイヤホンが着けられていて、おそらくはスーツの上着の胸元にあると思われるマイクに向かって、何か話したりしている。彼らの目に映る私の姿はと言えば、スーパーからの帰り道、両手に食品が満杯のレジ袋を手に提げている、チビで丸顔の東洋人、ということになる。ひねりつぶすのに片手も要らない、と見られたはずだ。子羊の皮をかぶったオオカミの怖さを知らないな、と心の中でつぶやいた。

そこに突然、二台の乗用車が現れて、建物の前に停車した。その途端、二人の私服米兵は、後ろの車の後部ドア脇に駆け寄った。歩道をふさぐ形で、ドア両側を覆うようにして、互いに背を向ける格好で立つ。運転手が降りてきて、ドアを開ける。中から将軍クラスとおぼしき軍服姿の立派な人物が降りてくる。マッチョ米兵の一人は、私をにらみつけている。

ことのき二人は、スーツの上着のボタンを外していた。あれは、わざと外していたのだと思う。その日は風が強かった。上着がひらりと風になびいて、彼らの白いワイシャツ姿が目に入った。そのとき私は見た。皮のホルスターに拳銃が収まっているのを。その瞬間私は、丸顔の東洋人の皮をかぶった、震える子羊になっていた。

あのときの光景を忘れることはできない。ここは治外法権なのだと思った。この地味な建物の屋上にもまた、スーツ姿の男達の姿を見かけることが珍しくなかった。この建物に入るには厳重なチェックが必要で、その様子がドアの開き具合によって、表の歩道から見えることがあった。空港の探知ゲートと同様なものが備えられていて、その脇で、大男の黒人ガードマンが来訪者をチェックしている。彼の腰には、ごく当然のことのように、拳銃が吊られているのが、はっきりと目に見えた。それが、かなり大きな拳銃に思えたのは、印象が強烈すぎたせいかもしれない。

こんな、まるでスパイ映画もどきのシーンが実際に展開されているかどうか、ご自身の目で確認なさりたい方は、どうぞ行ってご覧になってみて頂きたい。但し、身の安全については一切、保証の限りではない。覚悟の上にも覚悟を決めて頂く必要があると思う。文字通り「必死の覚悟」を。

今(2005年8月中旬)ロンドンが置かれている状況下で、グロブナー・スクエア一周辺を、建物の内部を窺うようなそぶりで歩き回れば、場合によっては身柄拘束の可能性も、大いにある。それどころか、ヘタな動きをすれば、発砲される可能性さえ否定できない。それくらいの緊張感が、この一帯には充ち満ちている。たとえ何事もなかったとしても、あらゆる方向から撮影された顔写真が記録されることは、まず間違いのないところだろう。それでも、あなた、行ってみますか。

ご承知の通り、この夏ロンドンは、爆弾テロで大騒ぎだった。その最中に私は、銀器を探してロンドンの街を歩き回っていた。爆破事件で長らく不通となっていた地下鉄ディストリクトラインに、運行再開の当日乗るという経験もした。第二次テロ容疑者逮捕の現場へと向かう山ほどの警察車輌----パトカー、バイク、警官満載のバン。これが、けたたましいサイレンを鳴らしながら、私が乗っていたバスの脇を通り過ぎる光景も目にした。容疑者の一人が潜伏していたのは、アンティークマーケットで有名なポートベローの目と鼻の先だ。そんなこんなで、今回のテロ騒ぎは私にとって、身近なものに感じられた。

それにしても、今回の爆弾騒ぎも、幾つかの大使館の臨戦態勢も、元をたどれば、構図は一つだ。ロンドンは、今回の騒ぎがなくても、政治の緊張が力を前面に表す形で、目に見える街だ。現代世界の構図が、イヤでも立体的な像を結ぶ街なのだ。2005年夏の出来事は、そのほんの一場面に過ぎないような気がする。

この夏は店舗の改装工事があるため、例年とは仕事のスケジュールが大幅に違っている。「つぶやき」更新遅延の言い訳とさせて頂きたい。

来年の三月で開店十五周年。それを前にして、店の装いと共に、仕事に対する姿勢もネジの巻き直し。秋からは、これまでとは少し違う雰囲気の「英国骨董おおはら」をご覧頂きたいと存じます。

さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。

2005/08/15

■講座のご案内

秋から冬にかけての講座の日程が決定しました。いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂くことになりますが、その基本テーマは一つです。ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。詳しくは→こちらへ。

2005/08/15