2013/9/27
キャロライン・ケネディ新駐日大使、まもなく来日とのこと。暫くの間は、熱烈歓迎状態が続きそうです。三年ほど前のことになります。新駐日大使の母親である、ジャクリーヌ・ケネディ元大統領夫人について、お話したり、文章に書いたりする機会がありました。その準備のために、かなり突っ込んで、ジャクリーヌについて調べました。
そのとき調べて書いたお話を、今日ここに改めて掲載させて頂きます。オリジナルは、「Bon Chic ボンシック」2011年春号(主婦の友社)に掲載されたものです。
ジャクリーヌの人生で見落とされがちなのが、彼女は元々、出版&ジャーナリズムの世界で働きたい、という強い目的意識があった女性であったという点。
二度目の結婚相手であったオナシスが亡くなった後、彼女はニューヨークを拠点に、書籍編集者として働き始めます。またいつかご紹介してみたいと思いますけれど、彼女の社会的なポジションが十二分に活かされる、質の高い仕事に挑んでいます。「こんな本を創りあげたい、あんな本を出してみたい」書籍編集の仕事は、彼女にとって長年の夢だったのだと思います。人間の人生なんて、ほんと、わからないものですよね。
では、「ジャクリーヌ・ケネディの革命」お楽しみ下さい。
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今からちょうど五十三年昔のお話です。1960年1月20日正午過ぎ、ジョン・F・ケネディ(1917~63)は、第35代アメリカ合衆国大統領就任にあたり、歴史に残る演説を行います。
その姿を映し出すテレビ中継に米国民がくぎ付けになっている、まさにその同じ時刻、一群の車がホワイトハウス南門を内部に向けて通り過ぎて行きました。庭に雪の残る中を静かに進む車の列。新大統領夫人ジャクリーヌ・ケネディ(1929~94)の専任秘書をはじめ、夫妻をサポートする側近たちです。
車には、その夜開かれる就任記念舞踏会で夫人が着る真っ白なケープとドレスからパジャマまで、すぐに必要となる品々も積まれています。そしてこの瞬間から約一千日間、ジャクリーヌと彼女を支えるチームは、「西側世界の政治の中心」ホワイトハウスを舞台に、その慣例を次々と破るような革命を起こしていくことになります。公式晩餐会のやり方から部屋のしつらえに至るまで、そこに繰り広げられる新鮮な光景に、まず米国民が、そして世界中の人々が驚くことになります。今回は、その華やかな「革命」の一端をご紹介してみたいと思います。

ジャッキーが寄り添う男は、フランスの作家、アンドレ・マルロー
当時3歳の長女キャロラインの母親であり、十ヶ月後には長男ジョン・ジュニアを産むことになるジャクリーヌが最初に着手したことは、ホワイトハウスの中に、家庭生活を送ることのできる区画をしっかりと築き上げることでした。激動する政治の中心にありながらも、「家族の私生活は守りぬく」という姿勢を明確にする。こうして「若い母親として家庭を維持しながら公務をこなす、美しき大統領夫人」という新しいファーストレディ像が誕生します。これが第一の革命です。

次に彼女は、官邸のインテリア大革命に着手します。ここでは、伝統を重視した、格調のある室内装飾の再現を目指します。それまで歴代の大統領が職を離れるに当たっては、使用していた家具を「退職の記念品」として持ち去るということが許されてきました。その中には、かつて英国のヴィクトリア女王から合衆国大統領に送られた立派な執務机というようなたいせつな品も含まれています。長年の間にあちこちに散逸してしまった由緒ある家具をホワイトハウスに取り戻し、各部屋のインテリアも出来る限りオリジナルに近いものに復元する。これに必要な多額の費用は、国の予算に加えて広く民間から寄付をつのる。すべてジャクリーヌの主導で行われたことです。これによって「国民の力で歴史を保持する大統領官邸」というイメージが作られていくことになります。

そして第三の革命は、宴席のあり方を大きく変えたことです。とりわけ国賓クラスを招いての公式晩餐会については、アメリカの外交イメージを一新するまったく新しいスタイルを編み出していきます。その基本は、出席者への細かな配慮を徹底することにありました。例えば、テーブルの配置です。大広間にコの字型に長いテーブルをしつらえて出席者が序列順にズラリと並ぶ。このスタイルをやめます。それに代えて、6~8人で囲む丸テーブルを幾つも用意します。それも、手を伸ばせば対面する相手と握手が出来る程度の小さなものが選ばれました。互いに親しく会話が弾むようにとの演出です。主賓と大統領夫妻が同席するメインテーブルも、他のテーブルと同じです。こうすることで、公式晩餐会であるにもかかわらず、テーブルごとに、うち解けたなごやかな雰囲気が生まれる。心憎い配慮です。

料理を担当したのはフランス人シェフ、ルネ・ヴェルドン。ホワイトハウス3階の個室から毎日キッチンに出勤していました。学生時代ジャクリーヌは、名門ヴァッサー大からパリのソルボンヌへの留学も経験していてフランス語には困りません。ヴェルドンとの意思疎通を密にできたことも見過ごせない要素です。主賓について夫人と秘書から十分に話を聞いた上で、シェフが知恵を絞ってメニューを決めていく。ゲストの宗教や食文化はもちろん、個人の好みや健康状態まで考慮に入れて献立を考えなければいけない責任の重い仕事です。その料理は、前大統領アイゼンハワー時代とは「比べものにならないおいしさだった」という証言が山ほど残っています、
ところで、ワシントン郊外ポトマック川の沿岸マウント・ヴァーノンに、初代大統領ジョージ・ワシントンが晩年暮らした家と墓地があります。アメリカ人にとっては「聖地」と呼んでいいほどの重要な場所です。その庭に大きなテントを立て、そこに国賓を招いて野外で宴席を催す。ジャクリーヌは、それまで誰一人考えたこともないこんなアイデアを実行に移します。
総勢132人の賓客には、4隻の船でワシントンから移動して頂く。ポトマック川といえば日本から運ばれた桜の並木で知られます。季節は7月。公式晩餐会の「前奏曲」として、川辺の景色をめでながらの船旅を楽しんでもらおうという趣向です。船を降りれば、そこはアメリカの「聖地」。食事の間は小編成の弦楽隊がロマンティックなメロディーをかなでて歩きます。食後は庭の奥に特設された舞台で、74人編成のオーケストラが演奏する、ガーシュインやドビュッシーを楽しむ。その後で、建国当時のはなやかな正装をした兵隊たちによる軍事訓練ショーが披露され、これで一夜は幕を閉じました。「米国の歴史」を基本テーマとした、若き大統領夫妻の見事な演出です。

こうした前例を破る発案には、そのたびに各部門から反対の声が上がったといいます。当然です。しかし、それをひとつひとつ解決することで、ジャクリーヌは次々と歴史に残る宴席を実現していきます。ひとりの稀有の女性の熱意が、新しい時代を切り開いたというほかありません。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2013/9/27

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
主婦の友社 定価 \2,100-
イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝
ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。
本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。
私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

■講座のご案内
2011年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。
詳しくは→こちらへ。
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