英国骨董おおはら
銀製品
銀のつぶやき
 
取扱商品のご案内
大原千晴の本
 
大原照子のページ
お知らせ
営業時間・定休日など
ご購入について
地図
トップページにもどる

 

主婦の友社

「プラスワンリビング」

7月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第7回


今回の主人公はイタリア・ルネサンス期の激動を生き抜いた
マントヴァ候妃

イザベラ・デステ
極めて魅力的な女性です。


彼女の宮廷の面白さ、興味深い宴席の様子など、銀器文化の奥深い背景を訪ねます。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第62回「旅と歴史」

2007/8/15


 よく考えてみると子供の頃から古いものが好きで、お寺を訪ねたり神社を見て回るのが好きだった。

 小学校の終わり頃から日本の古い出来事に強い興味を抱くようになり、中学校に入ってからは、いつか必ず京都や奈良の古寺巡りをしてみたい、と思うようになっていた。やがてその思いが熱病のように日に日に強くなり、中学2年生の春には、何としてでも夏休みにこれを実現させてほしい、と親に頼み込むまでになった。一種の「熱病状態」といっていい。

 それにしても、中学2年の男の子が夏休みに、一人で京都奈良の古寺巡りというのも、今考えると随分とシブイ話であって、「変わっている」と言われれば、たしかに変わっているという他はない。実際あの頃は音楽を聴くことと古寺めぐりのことで頭がいっぱいで、それ以外のことは何もかもが幻のようだった。

 しかし、中学2年生がどうやって京都奈良の一人旅をすればいいのか。親もあれこれ頭をひねったのだろう、たまたま叔父夫婦がよく知っている東山の旅館があって、そこの女将に十分に話を通してくれて、一室を一週間取ってもらうということになった。こうして私の初めての一人旅は、東山山麓の日本旅館の一室からスタートすることになった。

 さて実際にその旅館に着いてみれば、着物を着た大きな立派な「オバサン」が何もかも親切にして下さって、朝晩必ず一度は部屋に来て、あれこれ気を使って頂いたことを思い出す。親は食事の心配をしていたが、私は部屋で食べる朝と晩の食事が面白くて、また、いわゆる関西の旅館料理というものが珍しく、特に朝ごはんがおいしいと思いながら楽しむことができたのは、中学2年生という抜群の若さのせいかもしれない、

 今もチビだが中学生の時はもっと細くてチビだったから、ほんとうに子供っぽく見えたはずだ。そのチビが毎日毎日、真っ青な空に真夏のカンカン照りの中を、朝から夕方まで目一杯京都と奈良の街を歩き巡っていたのは、一体何を求めていたのか自分でもよく分からない。一種の「熱病」だったのだと思う。

 しかも、その熱病は、なかなか治癒しがたいところがあって、その後も高校生の時に一度、大学入学後は毎年のように京都奈良、ということになっていった。この「京都奈良病」が治まったのは三十歳になった頃ではなかったかと思う。

 それ以来私が読む本は、歴史に関連するものが中心だ。もはや京都奈良だけではなく、ロンドンパリにフェラーラマントヴァ、はたまた、イスタンブールカイロにキャフタサマルカンドであったりする。それも、学者さんが書いたものが中心で、今では読む分量も読み方も、大学時代の軽薄短小さとは別世界だ。

 それだけに読めば読むほど面白く、更にまた深みにはまっていく。これは本来「勉強」すべきであるはずの大学生の頃には思いも及ばなかった事態であって、不思議と言えば不思議だ。もしこれが「熱病」であるとするならば、病状はますます「悪化」している、ということになる。それにしても、大学生の時は、まるで勉強をしなかった。

 なぜ、あれほどまでに勉強をしなかったのかといえば、もともと「大学とは好きなことを勉強するところ」などという意識が皆無だったからだ。まして私が進学した法学部などという所では、「法律学に興味があるので法律を勉強したくて入学しました」などいう奴は、まず例外中の例外であったと断言できる。その意味では、文学部に進んだ男たちは、こころ根の純粋な人間が多かったと思う。これは結構、重要なことだ。

 もっとも、僅か十八歳の時点で、自分が真に何を勉強したいのか、ということが分かっている人間というのは、ほとんどいないはずだ。大部分の人は「なんとなく流されて」進路を決めていくわけであって、気が付いてみたらこんな仕事をしてました、という場合が多いのではないだろうか、私のように。

 しかし、歴史好きにとっては、自分がどんな仕事に就いていようとも、おそらく、その自分の仕事の分野で歴史にのめり込んでいくのではないだろうか。「人に歴史あり」というが、同じ意味で、「何ごとにも歴史あり」だからだ。

 本の話に戻れば、今では、大学生の時には自分から進んで読もうなどとは絶対に思わなかったであろう「固い学術書」を読むことが多い。しかも、それが面白くて仕方がない。

 それにしても、なぜ、そうした固い本を面白く感じられるようになってきたかと言えば、やはり、あれやこれやと人生経験を積み、あちこち旅もして、いろいろな人に出会ったりしてきたことで、学術書に書かれている固い内容を、そうした実人生の経験に照射しながら読むことができるようになったからだ。

 言葉を替えれば、歴史学の固い学術書の記述の中に、生きた人間像を思い浮かべることができるようになったからだ。

これは、人生経験の少ない大学生には、絶対にできないことだ。大学生にはだからこそ人生の旅が必要で、本当の勉強は、それが済んでからでないと、なかなかできないのではないかと、最近つくづく思ったりする。

 などと言ったら、若い諸君にはちょっとイヤミに聞こえてしまうかもしれないけれど、実際、年を取るということも、まんざら悪くないと今思う。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/8/15

■講座のご案内

いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。