英国骨董おおはら
銀製品
銀のつぶやき
 
取扱商品のご案内
大原千晴の本
陶磁器
大原照子のページ
お知らせ
営業時間・定休日など
ご購入について
地図
トップページにもどる

 

主婦の友社

「プラスワンリビング」

1月7日発売号

「アンティークシルバーの思い出」連載第4回


人間を主役に銀器と歴史を語る、ユニークな連載第4回目は、フランスから英国に亡命したユグノー教徒銀職人の波瀾万丈パートT

■声のメッセージへ■

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第47回「昼酒」

2007/1/19

子供の頃、叔父に食べ物屋に連れて行ってもらうことは、大きな楽しみの一つだった。

それが時には、ウィークデイのお昼なんてこともあった。たとえば銀座の、スーツを着た「まっとうな」サラリーマンが多く集まるような店で、おそばを食べたりする。叔父はごく当然のことのように、昼からビールを頼む。当時そんなお客は、例外中の例外だった。やくざっぽい叔父さん。そういうイメージだった。

子供心にも、周りのサラリーマンからは、ちょっと白い目の視線が飛んできているような、そんな雰囲気を感じたものだ。もっとも、中には、「ヌキに板わさで」などと言って昼からお酒をぬる燗で頼むようなお爺さんがいたりして、それはそれで、ちょっとした風情になっていたことも事実だ。まだ銀座のおそば屋に、そんな雰囲気が残っていた時代があったのだ。

子供の頃から周りに見かける大人達は、アーティストだのカメラマンだのマスコミ(当時はこう表現した)だのという、ちょっと「傾いた」ひとびとが中心だった。学者さんの叔父というのもいたけれど、こちらも、昼からビールが平気な人だった。

当時は、はっきりと区分があった。まっとうな勤め人と、ちょっと傾いたおじさん達の間に。人間の雰囲気もまるで違っていて、そのふたつの島の間には、越えることの出来ない深い溝が横たわっていたように思う。私自身は当然ながら、自分が向こう側(まっとうな勤め人の側)に行くことはないだろうと思っていて、やはりその通りになったから面白い。

当然私も、お酒はきらいではない。毎日のように楽しんでいる。しかし、昼間自分の意志でアルコール分のある飲料を飲むということは決して、しない。おつきあいの席で致し方ない場合を除けば、お正月だけが唯一の例外だ。海外にいるときだって、昼にパブでビールとか、キャフェでワインなんてことは、よほど特別なことでもなければ、したことがない。あの、子供の頃感じた「世間様の目」という記憶が今も私の心の奥底に残っているからだ。

「昼酒」という言葉がある。「昼酒かっくらって」などと表現する。昔から「ちょっと自堕落な」もしくは「退廃的な」という意味合いで使われてきた言葉だ。ところが、この「昼酒」という言葉、最近はとんと聞かなくなった。そしてそのことがちょっと気になり始めている。なぜ、昼酒という言葉が、特別な響きをもって聞かれなくなったのか。おそらく、それが珍しいことではなくなったからではないだろうか。

その昔「洋間」という言葉があった。今、洋間という言葉はまず、聞かない。洋間が当たり前になったからだ。その代わり、「和室」という語が当たり前に使われる。昼酒もまた、洋間と同じ運命をたどっているように私には思われてならない。昼に酒を飲むことが当たり前になり始めているからだ。

思い出してみると、やはりバブルの時期が一つの大きな転機だったのではないか、と感じる。いろいろな意味で、あの頃を転機に、タガがはずれ始めたのだ。近頃毎日見聞きする「昔なら考えられない」というようなニュースの大きな流れの元は、あの頃に源があるような気がしてならない。家族のタガ、学校と会社のタガ、そして世間のタガ。そうしたタガがはずれて、ガタガタそしてもうひとつおまけにガタ。困るのは、それが一見目に見えないようにエレガントに進行している場合もある、ということなのだ。

例えば一流会社のプレートがずらりと並ぶ高層ビルのレストラン街。昼のピークを少し過ぎた時間。空き始めた店の隅の方で、一人でゆっくりとお昼を食べる、なかなかいいスーツを着た定年間近の会社員。そろそろ初老の陰がさし初めた雰囲気。こういう時間、こういう人のテーブルには最近、必ずと言っていいほど、ビールが置かれている。彼らは一様に、ゆっくりとビールを飲む。やがて人気の少なくなった店を出て、少し頬と耳もとを赤く染めて、歩いてオフィスへと戻っていく。同じエレベーターに乗ったりすれば確実に、僅かにアルコールの香りが感じられる。

バブル以前であれば、こういう人は、まともな会社ではまず、許されなかったはずだ。それが今ではもう、珍しくない。丸の内だろうが虎ノ門だろうが新宿だろうが、こうした「立派な」男達の姿を見かけることは、当たり前になってしまった。お昼に軽く、一杯。そして、二杯。「まっ、多少はいいじゃないか。定年も近くなると、ちょっと寂しいものだからね。」

天ぷら屋や定食屋でも、昼の定食用に、コップ一杯の生ビール250円なんてのも、それほど珍しいことでは、なくなり始めている。ちょっと軽く一杯。回る寿司、しかり。「ちょっと軽く一杯。いいじゃん、それくらい。ストレスが一杯なんだからさ。」

そして今では、これが男達のことだけでは、なくなり始めている。昼下がりのイタリアン。「寂しいのよね、何となく。だって…。それくらい、いいじゃない。ワイン一杯で、ちょっと元気になるのよね。」

でも、ほんとうに、それで、いいのだろうか。

 

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/1/19

■講座のご案内

2007年も、いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。