2014/2/10
1921年11月、弱冠22歳のヘミングウェイ(1899-1961)は、カナダの新聞トロント・スター紙の特派員として、新婚の妻と共にパリへと旅立っている。
このときすでに作家の卵は、戦争を知っていた。自らも前線で負傷し、死を身近に感じる体験を経ている。負傷したイタリア兵を助けたことで、イタリアからの勲章授与という「栄誉」も受けている。その一方で、戦場で知り合った7歳年上の女性(看護婦)に恋し、結婚の約束をしながら、直前になって相手に逃げられるという苦い体験もしている。要するに、作家の卵は22歳にして、すでに、心に傷を負った大人の男だった。
パリ時代のヘミングウェイめぐっては、酒をめぐる逸話がいろいろ、ある。心に傷を負った大人の男は、痛みを一瞬、酒で忘れたかったのだろう。そんな逸話の面白さに惹かれてあれこれ探っていたら、思いもかけない資料に出くわした。
それは、パリ時代の少し後、作家として功成り名遂げた後の、キューバ時代の話だ。熱烈なファンにはよく知られた話なのかもしれないが、私には初耳で新鮮だったので、「コラージ」2013年2月号で次のような話を語らせて頂いた。
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闘牛が好き。ボクシングが好き。釣りと狩猟が好きで、そして何より、お酒が大好き。体は人並み優れて大きく逞しく、酒をめぐる逸話は数え切れず、作品の硬質な文体とも相まって、作家ヘミングウェイ(1899-1961)は、男っぽいイメージが一杯だ。

その一方でこの大作家には、大嫌いなものが、あった。それは、スペインのフランコやヒトラーに代表される、ファシストとその思想。全体主義を心の底から嫌っていた。その憎悪の激しさは、いつしか彼をして、ドンキホーテのごとき波瀾万丈の実戦行動へと駆り立てていくことになる。
『日はまた昇る』そして『武器よさらば』の成功で作家として世界的な名声を博したヘミングウェイは、人生の転換点ともなったパリ時代を経て、第二次世界大戦前から、三人目の妻マーサ・ゲルホーンと共に、キューバの首都ハヴァナ近郊で暮らし始めていた。
当時ハヴァナには、戦乱急を告げる欧州を逃れ、米国入国を目指しながらも、それが認められずに宙ぶらりん状態でそのチャンスを待つユダヤ系の亡命者の数が急激に増え始めている。黒いマネーが飛び交い、ドイツやスペインの諜報員も活発に活動するなど、政治の暗流が渦巻く都市ハヴァナ。様々な謀略うごめくこの都市で作家は、海を一望する広大な敷地に建つ自邸「フィアンカ・ビヒア」に人を招いて宴を楽しみ、当時としては超贅沢なクルーザー「ピラー号」を駆っての海釣り三昧という毎日。
功成り名遂げた作家は、壮年にして志を喪ったかと思いきや、1941年、ヘミングウェイは夫妻揃って、抗日民族統一戦線の将兵を取材する目的で、中国の重慶を訪れている。真珠湾攻撃直前のことだ。

妻のマーサは、戦争取材に命をかけるという、当時としは突出した女性ジャーナリスト。二人は共に戦う「反ファシスト主義の同志」であって、その立場は明確に「反日」だった。
そんな二人であってみれば、決してキューバで静かに隠棲していたわけでは、ない。釣り三昧は、実は、世間の目をくらますカムフラージュ。では、一体何を、作家は隠していたのか。
スペイン系の人々が多く住むハヴァナの街に巣食うファシスト親派の動向を監視し、不穏な行動が見られるときには、その情報を在キューバ米国大使に報告することで、お国の役に立ちたい。スペイン人民戦争の現場を肌で知る自分には、そうした連中を嗅ぎ分ける経験と能力がある。ヘミングウェイは自ら大使にそう申し出て、その助力を得ながら、新たな「機関」(俗称「クルック・ファクトリー=悪党軍団」)を組織して活動を開始する。スパイ大作戦の始まりだ。しかし、この動きにはFBIが厳しい監視の目を送ることなる。半素人に勝手な動きをされては困る、ということと、もうひとつ重大な理由が秘められていた。
やがて日米開戦をきっかけに欧州での戦況が激しさを増し始めると、ドイツ海軍の誇る潜水艦Uボートがキューバ近海にも出没し始める。ヘミングウェイは、これが許せなかった。「この俺様が沈めてやる!」大まじめにそう考えた彼は、友人である在キューバ米国大使らを通じてONI(米国海軍情報局)に掛け合い、「ピラー号」搭載用の銃器や通信装置、簡易レーダーや手榴弾など、本格的な武器と高性能の情報機器の提供を求めている。
ONIの窓口となったジョン・トマソンは血気にはやる作家の意気に相投じ、要望通り装備一式を提供している。「大作家の釣り」として度々雑誌に記事が掲載さることになる「ヘミングウェイの釣り三昧」は、実は、「Uボート探し」の隠れ蓑でもあったのだ。もっとも、この工作の成果は、わずかに一度、間近にUボートの浮上を目撃しただけで終わっている。が、作家本人が本気でヒトラーに戦いを挑んでいたことだけは、間違いない。
当時在ハヴァナ米国大使の下でヘミングウェイとの窓口となっていたのが、以前イタリアでOSS(CIAの前身組織)の地区責任者を務めていた、ロバート・ジョイスだ。その彼を作家に紹介したのは、イタリア戦線の取材でジョイスを知った、作家の妻マーサである。
マーサは夫同様「戦争の前線取材」という「刺激の強い一種の麻薬」の味が忘れられず、七十歳を越える年齢に至るまで、アメリカの戦争を前線に赴いて取材し続けることになる、大変な女性だ。1944年2月、ノルマンディー上陸作戦が遂行されるという情報を入手したマーサは、夫の制止を振りきって、従軍記者として欧州に飛ぶ。その従軍先で出会ったOSSの幹部に対して、夫をその特別部門SIの要員として欧州に招いて欲しい、そう懇願したというから凄い。
ところで、ヘミングウェイの活動に対してFBIが厳しい監視の目を敷いていた裏には、長らく秘されてきた驚くべき事情が秘められていた。それは、作家とソヴィエト・ロシアの諜報機関NKVD(KGBの前身組織)との関係だ。
両者の接触は、スペイン内戦時のマドリッドにまで遡るという。「敵(フランコ+ヒトラー)の敵(ソヴィエト)は味方」この発想が、ヘミングウェイがNKVDと関係を持つに至った原点にある。当時極度の物資不足に悩むこの街で作家は、NKVDから上質のウォッカとキャビアをふんだんに振舞われていて、1937年のロシア革命記念日には、当地のNKVDの責任者アレクサンドル・オルロフに対して、心からの感謝を述べたという。
その数年後ロシア側は、「アルゴ」という諜報名を作家に与えて、情報交換の機会を絶やさないようにする途を講じ、両者の接触は、1945年まで続くことになる。作家本人が乗り気であったからこその展開であり、この大作家は実は、本物のスパイになりたかったのではないかと言われている。ヘミングウェイは晩年に至るまでFBIを忌み嫌ったことで知られているが、FBIの側からすれば、彼の身辺を探るに十分すぎる理由があったことになる。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2014/2/10

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
主婦の友社 定価 \2,100-
イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝
ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。
本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。
私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

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2011年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。
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