英国骨董おおはら
銀製品
銀のつぶやき
 
取扱商品のご案内
大原千晴の本
陶磁器
大原照子のページ
お知らせ
営業時間・定休日など
ご購入について
地図
トップページにもどる

 

★★★

主婦の友社
発行インテリア雑誌

「プラスワンリビング」

2006年7月7日発売号

新連載開始

銀器の歴史に秘められた

人間ドラマを語ります

■声のメッセージへ■

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第38回 「幸せはオクラホマのタイ女性」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006/4/26

前回からの続き)

そして、私に声を掛けてきたのは、これが意外な人物だった。

振りかえると、そこには、縁の大きな眼鏡を掛けた、私より少し背が高い小太りの中年女性が立っていて、ニコニコしながら私に何かを語りかけてくるのだった。

英国でマレーシアンチャイナと呼ばれる人々---病院の看護婦さんとしてたくさん来ていた時期がある---に似ている。髪は黒で、肌の色は日本人と変わらない。ただ、顔の雰囲気は、インドネシアのメガワティ大統領に似ている、と思った。

彼女の言葉に注意を集中する。しかし、分からない。「オシュデースカー?」 ひょっとして「Wash desk ah?」だろうか。私を同国人と勘違いして、どこか東南アジアの国の言葉を話しているのに違いない。

自慢ではないが私は海外で、シンガポール人かと聞かれることが少なくない(これが自慢?)。私が戸惑っていると彼女は更に続けて、「ニホジデースカー?コニチワ」これで分かった。「Yes、I'm Japanese. You speak Japanese!」

最初の言葉は即ち「おいしいですか?」だったのだ。この人はタイ人で、今はアメリカ人と結婚してオクラホマに暮らしている、という。かつて、日本で暮らしていたことがあって、日本は大好きで、東京には何度も遊びに行ったことがある。ニコニコしながら、そう言うのだ。

日本では最初、キヤノンの工場で「研修生」として働いていた。「研修生」暮らしは2年ほど続いたらしい。その後キヤノンから、茨城の「フィッシュプロセシングの工場」に移って、そこでしばらく働いたという。恐らく、干物処理工場ではないかと、ピンと来た。そしてこれは想像だが、この段階から彼女、不法残留的な労働者となったのではないだろうか。キャノンまでは正規。そこから先は…。

しかし彼女は今、このオクラホマで私の目の前に立っていて、元気いっぱいで、そこそこアメリカ田舎風のオシャレもし、満面の笑みを浮かべながら、アジア食品スーパーで買い物をしているのだ。そしてそこで見かけたニホンジンらしき男に、積極的に声を掛けてきているのだ。

「声を掛ける」と言っても、勘違いしないで頂きたい、年は四十歳前後、メガワティ大統領なのだから。それに、この人の場合「どう見ても」、日本のどれほど場末でも、「風俗」という線はなかった、と思う。その線があれば、干物工場に行くわけがない。

一体何が言いたいのか。簡単だ。この人のたくましさを見よ!なのだ。茨城のフィッシュプロセシング工場と聞いた途端、私の頭の中で彼女のたどったであろう航路が想像された。日本からの出国時は、どうしたのだろうか。タイに帰ってアメリカ人と結婚したのだろうか、それとも、日本と並んで正規入国が厳しいと思われるアメリカに、何らかの方法で入り込んでから、結婚したのだろうか。詳しく聞いてみたいくらいだ。

日本人一般から比べれば「劣悪」といっていい経済背景から出発し、彼女は今、母国語以外に英語はかなり流暢に話し、その上、カタコトのニホンゴまで、できるのだ。キヤノン工場の「研修生」から茨城の干物工場。NOVAに行ってる暇など絶無だったはずだ。ブリティッシュ家運知るなんて、絶対知らなかったろう。

稼いだ僅かなお金は、新大久保あたりの低料金迅速サービスの真面目な地下銀行経由で、ほとんどタイの実家に送金されていたに違いない。そうやって家族を支えながら生きてきたに違いない。そして今彼女は、アメリカのオクラホマに、いる。立派な米国市民として、いる。タイの親戚中では「輝ける星、アメリカのオクラホマにいる、成功したおばさん」と呼ばれていることだろう。

それにしても彼女が、日本に対して好印象を抱いているらしいことを知って、ほっとひと安心という思いがした。このスーパーで、たまに日本食品を買って帰り、日本での暮らしを思い出したりするのだ、という。

正規留学生や政府受け入れのエリート研修生として日本にやってきても、日本に対して憎悪感を抱いて帰る人々も少なくない、と聞く。なのに、その一方で彼女のように、決して恵まれているとは思われない立場でやってきながら、日本に対して好印象を抱く人もいる。一体、この差は何なのだろうか。

それは、結局、その人間の個性なのではないだろうか。城に住んでいても、人は幸福には、なれない。隠れるように、不法滞在暮らしでも、楽しい人は、楽しい。

しばらく前のことになる。マイレージが貯まったので、飛行機をアップグレードして、座席がベッドになるクラスで飛んでみた。そしたら、そのとき、つまらないことで、アテンダントに文句を言っている中年男を見た。眉間にシワ寄せて、それこそガタガタ怒っていた。

しっかり身に付いた居丈高な態度と、しかし、恐ろしく高度な英語力。雰囲気と英語の飛び抜けた素晴らしさから、中国のエリート官僚だと見た。こういうのを相手に外交交渉やるんじゃ、日本の外務官僚の皆さんも大変だなあ、と思った。

ところが、これが、れっきとした日本の男だった。しばらく後で彼が完璧な日本語を話すのを耳にしたのだ。その時思った。なんか哀しいなこの人は、と。毎日仕事がよほどハードなんだ。余裕がないんだ。能力を目一杯使って、ギリギリで仕事しているんだ。だから不満と憎悪が鬱積して、人もうらやむ飛行機の寝台席で爆発するんだ。そう思った。

片や、タイの北部農村から、キヤノン「工場研修生」を経て干物工場へ。さらに流れ流れてオクラホマ。それでも楽しい、幸せ気分。

片や、エリート街道まっしぐら。ロンドンヒースロー手荷物検査はスムースにファストトラックを通り抜けて特別ラウンジへ。そこからゆったりと搭乗して機内の寝台席へ。なのに、不満とイライラ一杯で、鬱屈爆発トゲトゲ気分。

確かに世界は劇場で、だから旅は、面白い。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2006/4/26

■講座のご案内

春の講座は、ほぼ終わりました。秋になるとまた、いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。