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不定期連載『銀のつぶやき』
第15回「ジプシー」









2004/10/04

■フィレンツェの魔女

 「ああ、きれいだなあ」口をあんぐり開けて、白と淡いピンクと深緑の大理石で造られた教会の建物を見上げていた。花の都はフィレンツェの、これまた花の、サンタマリア・デル・フィオーレ教会の前の広場だ。

  何となく、手許に気配がしたので、頭を下ろしてみて、驚いた。肩からさげているショルダーバッグに、見知らぬ人間の手が入ろうとしているではないか。少なくとも、自分の手でないことだけは確かだ。

Santa Maria del Fiore

 私の脇には二人の女。一人は、新聞紙を手に、バッグの周りを覆っている。痩せて濃い褐色の肌。髪は少し赤っぽい褐色で長くてボサボサ。年齢は不詳で、その顔つきは、まるで映画の「マクベス」冒頭にに出てくる中世の魔女だ。リバティプリントを思わせるような、独特の色彩と柄の、幾重かに重なった生地で作られた、くるぶしまである長いスカートをはいている。たしか、裸足だったような気がする。彼女は、周囲を見回して警戒しているようだ。

その隣には、片手で赤子を抱いた女。見かけは、隣の女とよく似ているが、こちらは少し歳が若い。しかし、痩せて褐色の肌は同じ、顔はしわしわな感じで、これまた服といい雰囲気といい、魔女そのものだ。その「魔女」の空いた片手が、新聞の陰から私のバッグに入りこもうとしていたのだ。もうジッパーが少し、開きかかっていた。

私はとっさに、片手でバッグを押さえ、もう一方の手で「魔女」の手を払った。その時の彼女の目、その凄みのあるまなざしが、忘れられない。「何すんだよ、この野郎!」声を荒げた。周囲の人の目が集まる。新聞紙の魔女は、薄ら笑いを浮かべながら、何でもないというしぐさを周囲に見せて、立ち去ろうとする。赤子の魔女も、凄みが消えて、これまた薄ら笑いで、やりすごそうとする。

ちょっとした見世物になり始めたところに、警備員らしいおじさんが近づいてきて、何か大声で魔女たちを怒鳴りつける。魔女たちは彼を小馬鹿にしたような様子で、悪態をつきながら、ふらふらと立ち去っていく。警備員が私にイタリア語で話しかけてきたが、「大丈夫か」というようなことだったのだと思う。それで短い一幕の見世物が終わった。

教会の周りには何人も、彼女たちの同類がいることに、後で気が付いた。そう、二人の「魔女」、彼女たちは、ジプシーだったのだ。なぜか私は、彼女たちとは、縁がある。

踊る女たち。こんな二人じゃなかった、フィレンツェの魔女たちは。ヒターナたちの姿には、フランスのタバコ「ジターヌ」の紫煙がよく似合う。


■六本木はレコード屋の奥座敷

「ジプシー」という言葉を初めて聞いたのは、中学一年のときだ。場所は六本木の防衛庁正門前にあった小さなレコードショップ。小学校六年生から中学二年生まで、この店に入り浸っていた。時には、学校をサボって、店番を仰せつかるくらい、入り浸っていた。中学一年生のチビの男の子が、六本木のレコード店で、一人で店番。今考えると、笑ってしまう。

バロックから演歌、シャンソン、ボサノヴァ、そしてモダンジャズ。私が将来聞くことになる音楽の基礎は、そのほとんどが(あとはFEN)、この店で聞かされたものだ。細野さん、お元気ですか、のんびりとした時代でしたね。キャンティの御曹司が、いつも女性歌手連れて、来てましたよね。

店の奥が「座敷」になっていて、ガラス戸を開けると畳の部屋。冬はコタツが出た。日中は暇なことも多くて、よくそこで、「ヴィクトリア」や「アマンド」のケーキをごちそうになった。一番奥は台所で、お茶だってちゃんとティーカップで出してくれた。二十代後半の店長と、高校出たての若い女子店員の二人。それに私。皆でコタツを囲んで。そう、店の奥の座敷でコタツなのだ。断っておくけれど、これは葛飾柴又の団子屋の話じゃない、花の六本木のレコードショップの話だ。今から振り返ると、東京もまだ呆れるほど、ひなびていた。

これでも店が成り立ったのは、銀座に本店があったからで、女子店員はそことの連絡とかもあって、けっこう留守がち。そんなとき、店長が「ちょっとタバコ買ってくる。好きなレコード掛けてていいから。慎重にね。」こうなると店は、チビの中学一年生の天下だ。学校では放送部だし、レコードの扱いはプロ並み。だから、任せてくれたのだと思う。それにしても店長は、一時間も「タバコ買いに」行ってたりして、その間いろいろ楽しませてもらった。

六本木のことは、書き出せばキリがない。でも、この頃までがおそらく、あの街にオシャレが残っていた最後だったと思う。現在の街並みからは想像もできないほど、落ち着いた、いい街だった。その僅か四〜五年前の、一番いい時代のことは、加賀まりこさんの世代がよく知っているはずだ。

子供の時から、ちゃんとこの街のことを知っている人に、いつか書いてもらいたい。そんな作家が一人くらいはいても、よさそうだけれど、この街で育った本物が。我善坊、日ケ窪、龍土町、市兵衛町から箪笥町、三河台から今井町、どこでもいい。ねっ、浅野さん。浅田次郎さんんは霞町だから、これはちょっと離れているか。それに.....そんな話じゃなかった。ジプシーに戻ろう。

中学一年生は、この店で、マニタス・デ・プラータという名のギタリストの、素晴らしい演奏を聞かされたのだ。早速アルバムを買って、何度も繰り返し聴いた。マニタス・デ・プラータ「銀の手」という意味だ。そして、他ならぬその彼が、ジプシーだったのだ。これが「ジプシー」という言葉との、初めての出会いだった。

あの頃マニタス・デ・プラータの演奏をあまりに繰り返し聴きすぎたため、ジプシーの魔法に掛けられてしまったのかもしれない。「お前は将来、古い銀器を扱う仕事に就くべし。この銀の手の力によりて」と。

いま私は、マニタス・デ・プラータという言葉のもつ意味が、よくわかる。プラータという言葉から連想される、様々な歴史的な出来事、銀にまつわる逸話、そうしたあれやこれやが、見えている。この言葉一つをきっかけてとして、銀の歴史へと話を展開することだってできるだろう。そう、中一の時には見えなかったことが、今はよく見える。でも、音については、音を求める思いについてだけは、間違いなく、中一の時のほうが、今よりももっと敏感に、遠い世界の向こう側を見たい一心で、耳をそばだてて、聴いていたような気がする。



こんな彼女なら、お金いくら取られても構わない。下働きになります。水晶占いの玉磨きでも何でもさせて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ポートベローのスリ姉妹

骨董銀器商としてロンドンで買い付けをするようになって数年目のこと。まだまだ甘かった、のだと思う。皆様よくご存知のポートベローで、見事にスリにやられた。若い二人組の女の子。ジプシーだ。やられた後ですぐに気が付き、二人を追って、つかまえて、問い詰めた。彼女たちはシラを切り通した。どうやら姉妹らしい。姉が十五歳くらいか。妹は十二〜三だろう。最後になって、その姉が、凄んできた。フィレンツェの赤子の魔女と、まったく同じ、あの鋭い目。

「金を取ったというなら、証拠でもあるの?何ならここで、裸になろうか。もし何も出なかったら、どうしてくれる?それ以上しつこくすると、痛い目を見るよ。私の彼氏があんたをナイフで刺すよ。」彼女ははっきり、そう言った。

殴り倒したいほどくやしかったけれど、あきらめる他なかった。彼女は、自分たちは「ロマ」だと、たしかそう、言った。体を張って渡世する彼女が切った、堂に入った啖呵の凄み。ヤマトの国の甘ちゃん男は、見事に負けた。この事件は、いい教訓になった。おかげで、二度と、こういう被害に遭わなくなった。人間、痛い目をみることも、時には必要だ。

フィレンツェの魔女は、こちらに近い感じだった。それにしても、不思議な雰囲気の写真だ。

■道端ミュージシャンの玉 

二年前の初夏。これまた、ロンドン。ボンドストリートからちょっと脇に入った一角のカフェ。仕事の途中で一休み。店の前で突然、生演奏が始まった。哀愁のある、切ない響き。ギター、アコーデオン、ヴァイオリンそして、ウッドベース。珍しい構成だ。初老の男四人。よれたスーツを着て、皆顔は浅黒い。インド系のように見えなくもないけれど、泣かせる弦の響きがすべてを物語る。ジプシーだ。この音に私は弱い。ひたすら聴き入った。

十五分ほどで、演奏は止まった。私はあわててカフェを飛び出し、彼らの前に行って、小銭を差し出した。そして、もう少し聴きたいと頼んだ。彼らは、うなずいて、一曲演奏してくれた。本当は、そのまま、彼らの後について行きたかった。もっともっと、その音を聴いていたかった。「観衆」から小銭を集める係をやりますから、一座に加えて下さい。そう頼みたいほどだった。それくらい、彼らの音には魅力があった。

言うまでもないけれど、ジプシーの音楽といっても、ピンキリだ。道端で演奏する連中は、正直言って、イマイチなのが大半だ。しかし、何事にも例外はある。この四人が、それだった。ロンドンでもパリでも、ごく稀に、こういう「道端ミュージシャンの玉」に出会う。するといつも、ずっとその後を追いかけていきたくなる。

中世のハメルーンの笛吹きの話。私などは先頭に立って、笛の音に引かれて連れ去られて行く子供だ。実際、大学を了える直前、もう少しで、レコード会社に行くとか行かないとか、そんな寸前まで行ったくらいだ。「業界」に連れ込まれなくて幸いだった。今はもう、違うけれど、それくらい昔は、音楽に溺れていた。


こんな馬車でヨーロッパ中を旅していたのか。

 
■今も変わらぬ彼らの暮らし

  そして、今年の夏のこと。再度またまたロンドンの話。郊外の高級住宅地。その外れに、一帯には似つかわしくない、自動車整備工場。その駐車場というか、壊れかかった車が何十台も野ざらしになっている場所がある。その隅に、数台のキャンピングカーが止まっていて、これは、中に人が住んでいる。外には洗濯物がなびいていたりして、その風に揺れる服と、外にいる人々の様子から、ひと目でこれがジプシーだとわかる。 気をつけて見ていると、私のような旅人でさえ、彼らの居場所に時々ぶつかる。それはいつも、こうした街外れの、なんというか、「いかにも」という場所だ。

以前、コッツウォルズで道に迷って、小さな村と村の境にある、なんとも不思議な雰囲気の場所で、彼らの車が四〜五台集まって暮らしている場所に遭遇したことがある。勝手に車を駐車して、そこで生活を始めても文句を言われそうにない、そんな場所を探し出す独特の嗅覚があるに違いない。

昔は馬車。今はキャンピングカー。手段は変われど、生活は同じだ。定住しない。できない。不思議な人たちだ。田舎を回っていると、農家博物館のような場所に、古いジプシーの、装飾された馬車が保存されて飾ってあったりする。これがまた、ほんとうに華やかできれいなものだ。彼らは昔から、大陸から海を渡って、この島国にまでやってきていたらしい。でも、フェリー以前はどうやって?

どこにも属さず、気ままで自由。外から見る限りは、そんな感じを受ける。しかしながら、その自由=宙ぶらりんさが、悲劇を生み出すことも少なくない。なぜなら彼らは、どこに行っても「異邦人」となるわけで、彼らがナチス政権下で、厳しい弾圧の対象とされて悲惨な運命をたどることになったのも、この「自由さ」がもたらした悲劇だったのではないだろうか。

このように以前から興味があるので、何冊か本を読んだことがある。その中の一冊に、日本の人が書いたものがあった。彼らの音と生活に引かれて、ついには一緒に旅して回る羽目になった人。そんな日本人がいることを知って、私よりもっと「笛に踊る人」がいるんだと思って、おかしくなった。あの著者はいったい今、どこでどうしているだろうか。

そのうちいつか、年に一度彼らの盛大な祭りがあるという、南仏のカマルグにも行ってみたいと思っている。「ジブシー・キングスなんて....」と馬鹿にする人も少なくないけれど、私は好きだ。パコ・デ・ルシアの五年ぶりの新作 "Paco De Lucia / Cositas Buenas " は素晴らしいの一語に尽きる。あっ、音楽の話はやめよう。キリがなくなる。

ところで、「ジプシー」という言葉は、差別用語だと...、冗談じゃない。もしそうなら、俺を「チビ」と呼ぶな。これこそ差別用語だ!言葉の自由を奪う奴、そいつらこそ、許せない。

喧嘩になるから、今日は、これでおしまい。

さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。

2004/10/04

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さて、秋以降の講座予定が、決まりました。講座タイトルの示すとおり、銀器と食卓が中心テーマです。昨年までとは違うアプローチで、お話をしてみたいと思っています。興味ある方は、是非、講座に足をお運び下さい。

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