2009/3/7
―第91回の続きです―
さて『わらしべ長者』と一緒に本棚から出てきたのが、『新美南吉童話集』(岩波文庫)です。「ごん狐」「手袋を買いに」「おじいさんのランプ」など、読めば泣けてくる作品ばかり。二十九歳という短い一生で、これだけの作品を残している。驚くべき才能です。
お話には「自転車」や「自動車」果ては「日露戦争」「爆撃機」なんて言葉まで出てきますから、民話の世界とは別世界です。なのに、そこに登場する主人公たちには、とても強い土俗性というか土着性というか、いわば「日本人の原型」みたいな存在感がある。それこそ民話の世界から飛び出てきたような親近感を覚えます。

画:谷中安規
一方、「木下民話」でも登場人物は、盛んに「方言」とおぼしき言葉を使います。でも、「わらしべ長者」にしても「三年寝太郎」にしても、なぜか「土着の人間」という雰囲気は感じられません。生きた人間というよりも、どちらかというと、抽象化された、象徴的な存在であると感じます。民話という題材から抽出された類型的な人間像、とでもいうべきでしょうか。
ただ、お話としては間違いなく面白い。無駄なくしっかりと構成されたストーリーとしての面白さです。その意味で「木下民話」は、お話の外見に似合わず「知的な物語」であると感じます。要するに、『わらしべ長者』の最後に附された「作者のことば」、木下順二作品は、あの知的に構築された世界にこそ本領があるらしい。今回この「作者のことば」を初めて読んでみて、改めてそう思いました。
そのことに最初に気づいたのは、二十数年前に半蔵門の国立劇場で観た『子午線の祀り』です。木下作品の中でも最も著名な劇作であり、戦後演劇の金字塔の一つとまで言われている作品です。私が見たのは宇野重吉演出で山本安英・滝沢修・観世栄男というゴールデンキャストです。でも、まったく感動しませんでした。
平家物語を題材としているのに、何だかギリシア悲劇のような、シェイクスピアのような、ごちゃまぜの西洋古典みたいな形式が、どうにも感覚としてしっくりこなかったのです。日本の古典にヨーロッパの形式を取り入れた、というよりも、ヨーロッパで生まれた様々な概念を基礎として日本の素材を扱った、という感じです。登場人物が語るセリフがまるで、西洋人のセリフに聞こえる。基礎がむしろヨーロッパにある。私の眼には、そう映りました。

画:谷中安規
それに比べると、新美南吉作品の登場人物は、私が子供の頃から知っているおじさんやおばさんのようであるし、実際に今だってどこかで生きている、お爺さんやお婆さん、山寺のお坊さんや小さな店のおかみさん、だったりする。抽象的な人間ではでなく、生きた人間が、そこにいる。生々しい人間の感覚、瑞々しい情景描写。この点において木下作品の世界とは大きく違います。大人になってからの私は圧倒的に、新美南吉的な世界に惹かれます。

画:谷中安規
そして岩波文庫『新美南吉作品集』の挿絵がまた魅力的です。谷中安規(たになかやすのり)の版画と、谷中と親交のあった棟方志功の絵。とりわけ谷中安規の版画は、挿絵と文章が一体化していて、絵をじっと見ていると言葉が聞こえてくるほどです。谷中安規の版画の味わいが、棟方志功の絵心が、新美南吉の文章と響鳴しています。

画:谷中安規
ところで、「つまーんない」と感じた『子午線の祀り』。国立劇場の舞台よりも客席で、忘れられない出来事がありました。私の席は一番後ろから二番目位で扉のすぐそば。劇も終わりに近づいた頃、遅れて入ってきたお客らしき人の気配を背後に感じました。「これから芝居見るなんてどんな奴が……」と思いつつ振り返ってみてビックリ仰天。宇野重吉さんがそこに立っていました。
御自分が演出した舞台を、じっと見ていらっしゃいます。病後で痩せてらして、でも、凄い存在感でした。劇場の暗がりの中なのに、目が輝いている。一度見たら忘れられない目です。あんまり魅力的なので私は、何度も振り返りながら宇野さんの姿を見ていました。
そしたら気が付かれて、軽く会釈なさいました。独特のはにかむような笑顔で。あの時の素晴らしい眼と笑みは今もはっきりと覚えています。役者のオーラ。舞台は面白くないのに、どうして演出家がこんなにオーラ一杯なんだ。ほんとうに不思議でした。
宇野重吉さんの素晴らしい姿を間近に見ることができた。私にとって国立劇場で観た『子午線の祀り』は、それだけで十分に意味のある観劇の機会だったと今、思います。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2009/3/7

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2009年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。3月15発売の雑誌で新たに、連載がスタートします。これがちょっと意外な雑誌で、
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『英語教育』です。連載のタイトルが「絵画の食卓を読み解く」。絵に描かれた食卓を食文化史の視点から読み解きます。ぜひ、ご一読を。
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「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。
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