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主婦の友社

「プラスワンリビング」

5月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載12回

今回の主人公は

18世紀末ロンドンで活躍した

女性銀職人

ルイーザ・コートルド

二百年前のロンドンで

女性が銀職人として働くとは

どういうことであったのか

その一端をご紹介しています。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第77回「アユの塩焼き」-2/2

2008/5/12 

 (★前回第76回からの続き)

  

 残念ながら話題になったお店では、そんな大物のお客様が少なかったらしく、食卓には鮎の塩焼きがそのまま手つかずで残されることになる。明石鯛のお刺身も下げることになる。工夫した「つま」も形が崩れないままで。仲居だって料理人だって、こんなお客様相手の毎日じゃ、ちょっと哀しいですよね。店主が「もったいない」と言いたくなる気持ち、わかる気がします。もちろん、これを次のお客に使い回すというのは言語道断ですけれど。

 よくよく歴史をたどってみれば、こうした食べきれないお料理は折り詰めになどにしてみやげとして持ち帰るというのが、少なくとも江戸時代初頭までに成立した本膳料理以来の伝統ではなかったでしょうか。儀礼的な無駄を経て成立した合理的な伝統です。この昔からのしきたり通り、「余ったお料理は折り詰めのお土産」と決めていれば、「使い回し」なんて起こり得ません。

 ところで会社の接待というのは、言うまでもなく、料理を楽しむことが目的ではありません。場合によっては、料理がおいしいかどうか、料理人の腕がどこまで冴えているかどうか、それさえ問われないこともありそうです。招く相手が必ずしもグルメだとは限らないからです。高級料亭よりゴルフの方が嬉しいって人、結構いらっしゃいますよ、実際。

 大切なのは、世間的に名前が通っているかどうか。料理なんて何も知らない相手であっても、「あれだけの高級店で接待してくれるのか」と思わせるだけの、そういうブランド力というかイメージというか、そうした説得力のあることが一番大切な要素として考えられるように思います。ここが一番の問題です。料理を楽しむことを真の目的としない、そういう場として高級料亭や高級フレンチが使われる。何とも皮肉な構図です。

 それにしても、招かれた人間がそれほどの一流料亭で、招いた人間を前にして、季節の限られた期間しか出されないはずの「鮎の塩焼き」を残す。これはちょっと驚きです。そうしたことが平気でできるような人たちが、接待されるお客として数多くいらした、ということのようですから。

 一流料亭であれば、アユのその一瞬のおいしさを準備するために、川もしくは養魚場での捕獲から輸送、調理から皿の盛り付け、料理を部屋に運び込むタイミングにまで神経を使う料理人たちが僅かながらも存在しているという世界であるはずです。

 魯山人がアユの旬を用意するために星ヶ岡で行った、あきれかえるような周到な準備過程について、その伝記で読んだことがあります。自腹を切るという痛みを忘れている接待客は、一尾のアユが高級料亭で出されるまでの全行程にかかわる人々の苦労もまた、忘れていらしたのではないでしょうか。

 私は正直、鮎の塩焼きはあんまり好きじゃありません。でも、招かれた立場だったら、飾り塩の尻尾まで食べ尽くすかもしれない。食べ残すなんて、とんでもない。

 「鮎は尻尾が美味しいんですよね。ほら、尻尾が岩の苔をこするでしょ。その時尻尾のひだの間に苔が入って、そのほのかな残り香を楽しむんですよ。あれ、この香りは保津川でもかなり上流だな、もう少し下ったとこだと…」とか何とか言いながら。もっとも、あれほどのお店に接待されるような立場にはないから、こんなセリフも虚しく響くばかりですけれど。

 演歌歌手の歌謡ショー、一部の大劇場で恒例となっている有名俳優の「座長公演」、有名企業がスポンサーに付くクラシックのコンサート、一部の大がかりなミュージカル、そして高級料亭。どこに行っても自腹を切らずに、招待券をもらったから行く、企業の招待だから見に行く、接待でハイヤー送迎付で食べに行く。そんな人々が溢れています。

 音楽を愛しているから行くわけでなく、おいしいお料理を食べたいから行くわけでなく、歌手や役者のファンだから行くわけでなく、「タダだから行く」。「お金払うんだったら行かないよ」。そんなお客が大半になると、絶対的に、そういう場所は堕落します。顔の見えない会社(法人)の接待文化は、基本的なところで文化を堕落させます。

 オーナー企業の社長が自腹を切って贅沢をする。芸人のパトロンになる。料理人を贔屓にする。そして骨董品を収集する。個人の情熱がこうした世界を豊かにしてきたのだと思います。根津美術館を生みだした根津嘉一郎や、三渓園を残した原富太郎三渓、大倉集古館の源となった大倉喜八郎のような男たちがいたからこそ、今があるのではないでしょうか。

 しかし哀しいかな、もしこうした実業家たちが遊びに賭けた情熱をそのまま今の社会で貫いたとするならば「企業の私物化」と糾弾されて創業者追放という騒動になってしまいそうです。淋しい話、淋しい社会です。株式持ち合いの顔のない法人資本主義の末路です。

 話を戻します。きょうは久しぶりに長くなってます。

 料理の使い回しが宜しくないと叱り飛ばすのならば、一瞬の季節旬を味わう鮎の塩焼きを残すお客の、その無神経さもまた問題にされるべきではないでしょうか。高価な食材を使った料理が日常的に残される接待という場。もったいないですよね、ほんとうに。

 二週間ほど前にサントリーホールで開かれたヨーヨー・マのコンサートに出かけました。売り切れのはずが、特等席が一部まとまって空席のままでした。かつて内田光子さんのコンサートの時に経験したことと同じ事態が今も継続して起きているわけです。腹が立ちました。

 あの座席を空席のままにした方々は、なぜ貴重な切符を、あの日コンサートに行くことのできた音楽好きに回さなかったのでしょうか。というよりも、世界的な音楽家を招聘したコンサートで、スポンサーとなった会社の関係者にタダ券を配るという悪習は、即刻止めにしてもらいたいものです。タダだと思うから無駄にするわけです。音楽への熱い思いというものが欠如している。

 一流料亭で鮎の塩焼きを残すことのできる無神経さと同じ土壌が、ここにあるように思います。自腹を切らないことから来る、情熱の欠如です。なんか淋しいですね。

 

 料理の使い回し事件、糾弾すべき方向が違っているのではないかと、ちょっと皮肉を言ってみたくなったまでです。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2008/5/12

■講座のご案内

2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。

いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

 

詳しくは→こちらへ。