2008/5/12
つい最近有名料亭で、客の残した料理の使い回しが明らかになり、メディアで随分大きく取り上げられました。この問題であまり触れられていないことで私がひとつ気になったことがあります。
それは何かというと、なぜ、その有名料亭では「使い回しが日常化」するほど、料理が残されるようなことになっていたのか、という基本的な疑問です。
その名を聞けば誰しも「最高級」と、ついこの間まで思っていた料亭で、客が出された料理に箸を付けない? しかもそれが日常化していた? 不思議なことだと思いませんか。私は料理の使い回しよりも、なぜ料理が残されるのか、むしろその背景に興味がわきました。
各新聞のニュースをネットで見た限りでは、どの新聞社も「夕食をコースで食べれば最低でも一人数万円にはなる、そんな高級級料亭なのに…」という書き方がされている。要するに、お一人様当たり2万円〜5万円くらいであったと思われます。
私もときどき板前割烹に行ってみたり、フレンチだのイタリアンだのエスニックだのに行ってみたりする。時には京都の有名板前割烹に出かけてみます。でも、料理を残すなんて、絶対!といっていいほど、考えられないことです。私はチビの割に大食いで、今だって、割烹のコースで満腹になることは少なく、だから余計、不思議に思ったのです。
今どきネット上にはグルメ情報が氾濫していて、店に行けばどんな料理が出てくるのか、事前にだいたい見当がつきます。誰だって、ちょっとした店に行こうと思えば、口コミで評判を聞くか、グルメ情報を調べて、おおまかな見当を付けた上で行くでしょう。それが普通です。
まして、あのクラスの料亭ともなれば、調べに調べてから行くに決まってます。だから、行ってみたら予想もしない料理が出されて、箸を付けないままにおわった、なんてことは、あり得ないはずです。だいいち、高級になればなるほど、支払うお金も高くなるわけだから、それこそ刺身のつまの果てだって、私ならば残さず食べることになる。私のような客ばかりだったら、刺身のつまの使い回しでさえ、できなかったはずです。
それよりも何よりも、わざわざ一流といわれる店にまで出向いていって、自分が食べられないと思うような料理を注文するはずがない。むしろ、献立を見ながら、あれやこれと想像し、思い悩み、相談しながら決める、というものでしょう。また、コースであるならば、どのコースにするのか、これまた、あれこれ迷って決めるというのが、外で食事をするときの楽しみの一つなのではないでしょうか。
では、なぜ、高級料亭で料理が日常的に残されるのか。考えられる理由は、たった一つです。日本のうるわしき慣習「ザ・接待」です。
私の知る限り、あのクラスの店は、企業の接待利用というお客さんが大半です。たしか先代の時代に高麗橋だったでしょうか、辻静雄さんが毎晩のように自腹を切って通われたというのは有名な話です。でも、そんなのは、例外中の例外でしょう。それにしても辻御大に毎晩のように押しかけられては、貞一名人もさぞ苦労なさったのではないだろうか。次に何出せばいいのか、献立の工夫のことです。いや、ひょっとすると挑戦受けて立つ、というくらいの心意気でいらしたかもしれないですね。
話を元に戻します。
あのクラスの料亭に接待されるのは、海外賓客やハリウッドの大物スターなんて特別な場合を除けば、その大半が、企業役員クラスかお役人たちでしょう。へたをすると毎日が接待漬けという方々です。接待する側もされる側も、自腹を切らない。痛みがない。腹も心も、感覚が麻痺している。
「保津川の天然アユ? 昨日もちょっとよそで頂いたばかりでね。二日連続だとちょっと…。今日は遠慮しとくよ。申し訳ないね。女房が最近うるさくてさ。食べ過ぎ要注意ってね。今日は胃にもたれないものを頂きたいな。」なんて平気で言ったりする。決してワガママ言ってるんじゃなく、本音だと思います。連日の接待ですから。
こうした接待の場というのは、招かれる側だって、そうそう気楽に過ごせるものじゃないんですよね。仕事絡みですから。料理を食べ、お酒も頂きながら、しかし、会話の隅に相手がほのめかす「接待の真の目的=本音」をきちんと把握しなきゃいけない。胃によくなさそうです。これが続くと疲れちゃいますよね。
もっとも、これで疲れるようでは「大物」にはなれません。連日続く公式晩餐会で大いに食べ、楽しく飲んで語り、更に磊落に接待者を楽しませ、しっかりと相手の本音を掴むと同時にその心をもつかみ取る。それが今も昔も「大物」の条件であるように思います。
(★次回へと続く)
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2008/5/12

■講座のご案内
2008年の講座は、これまでになく充実したものとなるはず。当の本人が、大いに乗って準備していますから。どうぞお楽しみに。
いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
詳しくは→こちらへ。
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