2013/8/29
前回の続きです。 フランスの故ミッテラン大統領、「最後の晩餐、その2」。どうぞお楽しみ下さい。オリジナルはウェブマガジン「コラージ」(2012年5月号)誌上に掲載されたものです。
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ミッテラン元大統領は、頭から巨大なナプキンをかぶり、料理の香りを逃さぬようにして、ご禁制の野鳥オルトランを食べ始めた。その肉のローストには独特の香ばしさがあり、特にその香りを楽しむというデリケートなもの。そのため、頭からかぶったナプキンが皿全体を覆う形になるよう、食卓に頭を下げる。皿・ナプキン共に白色を用いるのが原則で、その白で覆われた小さな世界を、オルトランから立ち昇る芳ばしい香りが満たす。これを鼻腔の奥でとらえて、味わう。
小さな野鳥は骨格も細く、一羽を食べるのにほんの数口で終わる。で、その骨も噛み砕いて香り豊かな肉や内蔵もろ共に食すのが習わしです。では、瀕死の病人であるはずのミッテラン氏は、どうしたか。骨の一片も残すことなく、これを味わい尽くしました、それも、二羽までも。
食卓を囲む人々全員が巨大な白いナプキンを頭からかぶり、並んでこれを食べる。まるで新興宗教の秘儀です。この夜、招待客の中には、ご禁制の野鳥と知って遠慮した人が数人いらした。出された料理を食べるべきか否か。決断を迫られる場面です。
ならば、人生の最後を飾る晩餐会で、その一番大切な料理として「ご禁制の」オルトランを選択した元大統領の行為は、どう判断されるべきか。死後に事の顛末が明らかになった時フランスでは、その是非をめぐって、かなりの議論が起きています。

ところでミッテラン氏(1916-96)、オルトラン騒動とは別にもう一つ、世間を騒がせたことがある。「愛人騒動」です。氏には長年秘されていた愛人(1943生)があり、二人の間には娘(1974生)も誕生している。大統領在職中は、そちらの別宅で過ごす時間のほうが長く、氏にとっての何よりの楽しみは、毎年「その家族」と揃って出掛けるエジプト旅行だったとか。
この話を知った時、苦虫噛み潰した顔の老ミッテラン氏に対するイメージが、ガラリと変わったのを覚えています。非常に興味深いのは、このふたつの騒動のうちフランスで問題にされたのは、オルトラン騒動だった、という事実です。愛人については「爺さんもなかなかやるじゃん」くらいの話で、「国家最高の重責を担う人物として適格性を欠く!」なんて議論は、まず出なかった。「フランスではふつう、愛人関係は個人の自由と考える」とは、氏の伝記作者の言葉です。
これが日本やアメリカだったら、話が逆になるはず。例えば我が国で、首相が山奥の村の出身だとする。故郷の村では畑を荒らすニホンカモシカを密かに鍋にして食べるという習慣が古くからあった。首相就任後も帰郷のたびにこれを楽しみにしていて、いろり端で地酒片手に味噌仕立ての「カモシカ鍋」をつつく首相。その姿が週刊誌にスクープされる。スキャンダルです。しかし「カモシカ鍋」ごときで首相辞任に至るとは、ちょっと考えられない。一方これが「愛人隠し子発覚」となったら、現在の日本では「アウト」の可能性が高く、実際、愛人で辞任に追い込まれた首相がいらした。日仏間の、文化の違いです。
ならば日本では「食」は争いの種にならないかというと、これが、なる。たとえば、正月のブリ雑煮、甘い醤油で食べる刺身、強烈な匂いを発するホヤ貝、同じくクサヤの干物や鮒(フナ)寿司。いずれも各地方の風土と歴史に育まれた食文化ですが、その強烈な味覚は、子供の頃から馴れ親しんでいないと、なかなか気軽には食べられない。
例えば、遠く離れた地方の相手と結婚して婚家に入るとする。「この伝統料理を伝えるのが本家の嫁の大切な仕事ですよ」と姑。料理の材料は鮒寿司! もしここで新嫁が「こんなもん平気で食べちゃうなんて野蛮人みたーい」などと言ったら、ほぼ確実に、冷戦開始に至る。鮒寿司で育った人にとって、あの強烈な香りは、故郷と家族の思い出につながるからです。

サラ・ベルナール
同じ文脈の延長線上に「オルトラン問題」は位置します。これは「悪いと知りつつ貴重な食材を追い求めるグルメ」というよりも、むしろ、フランスにおける地方の伝統食文化の根強さを象徴している話なのです。「EU法じゃ絶滅危惧種かもしれないけど、この地方じゃ昔から食べてきた郷土料理なんだ、何を今更...」という気持ちが背景にある。
リッツ・パリの厨房を率いて、現代フランス料理の基礎を体系化したエスコフィエの料理書には、オルトランの料理が9種類も紹介されています。シェフをひいきにしたロートシルト(ロスチャイルド)男爵、エスコフィエとの恋仲を噂された女優サラ・ベルナール。共にこの野鳥料理大好き人間として知られます。「花のリッツでオルトランを」という時代があった。華やかに、そして、堂々と食べていた。「何を今更」は、当然なのです。
さて、ミッテラン元大統領、最後の晩餐を終えてひとこと「俺の胃袋はこれで一生分の仕事を終えた気がする」とつぶやいたとのこと。そして、その九日後に、亡くなります。誠にもって見事、というほかありません。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2013/8/29

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
主婦の友社 定価 \2,100-
イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝
ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。
本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。
私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

■講座のご案内
2011年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。
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