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新連載「アンティークシルバーの思い出」第2回


人間を主役に銀器と歴史を語る、ユニークな連載第2回目は、公爵夫人とアフタヌーンティーのお話

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不定期連載『銀のつぶやき』
第45回「フォアグラ禁止条例-2-」

2006/9/22

前回(第44回)からの続きです。



フォアグラと言えば当然フランス、というイメージです。私もずっと、そう思っていました。ところが、ガチョウの強制肥育そのものはフランス固有の文化でも何でもなく、源をたどれば既に古代ローマに文献があるのですね。古代ローマの有名な文人政治家カトー(BC234-149)が書いた農業論(農事論:De Agri Cultura)のガチョウの項にその説明が書かれています。

ここではガチョウの選び方から給餌法に至るまでけっこう詳しくあれこれ書かれていて、トウモロコシのなかった古代ローマでは、餌として基本的にはバーレイ麦即ち大麦が勧められています。面白いのは、アンディーブ( Cichorium endivia )を食べさせるといいと書かれているところです。しかしガチョウは「意地汚い大食い」だから放っておくと根を掘り返してまでこれを食べ尽くしてしまうので注意が必要だとのこと。

肝心の強制肥育については、かなり具体的な記述があって、こんな感じです。

「ガチョウのヒナが6ヶ月になる頃これを肥育専用の小屋に入れ、1日3回ヒナが食べられるだけ食べさせる。餌は挽き割り大麦と小麦粉を混ぜて水を加えて練ったものがいい。給餌の後は水を大量に飲ませること。こうすると2ヶ月でヒナは太ってくる。なおガチョウは清潔な場所を好むので、給餌の後は必ずよく掃除をしてやる必要がある。そうすれば、その清潔な場所を好んで動かない。」なんて書かれています。2000年前の人々も、おいしいものを食べるために、よくものを観察していたんですね。

なお、この書物「農業論」の言葉は、こういうことを注意して育てるように「奴隷」によく言い聞かせねばならないという書かれ方がしてあって、ああ古代ローマなのだと改めて思い知らされます。

また当時は、これに加えて蜂蜜入りのワインを飲ませて飼育したものの肉が香りが良いという記述があるようで、これなど私も一度食してみたいところです。ビールで育てるという松阪牛に優るとも劣らない美味だったかもしれませんね。

というわけで、ガチョウの強制肥育法は、あの広大な古代ローマ帝国の版図にかなりの程度知れ渡っていたと考えていいのではないでしょうか。

では、ガチョウの強制肥育は古代ローマが起源なのでしょうか。

ところがどうやらそうではないらしいのです。もっと古い歴史があるようなのです。古代ローマの更に前です。古いですね。近年言われ始めたのが、これを古代ローマに持ち込んだのがユダヤ人ではなかったのか、という仮説です。仮説とはいえ、この説にはそれなりの説得力があるのです。

ユダヤ人はモーセに率いられてエジプトから脱出し(「出エジプト記」)、これをきっかけに律法の民として目ざめたとされます。このときエジプトからガチョウの強制肥育というやりかたを民族の移動と共に持ち込んだ、というのです。

要するに古代エジプトこそがガチョウの強制肥育誕生の地であったということになるわけです。このあたり吉村作治先生にお聞きしてみたいところですね。どうやら古代エジプト人が肥育されたガチョウの肉を食べ、そのお下がりをもらった辛い立場のユダヤ人が肝を試してみたら、これが思いの外のおいしさで…ということらしいのです。

この仮説に説得力がある、というのは、次の理由からです。あまり知られていませんが、数年前までイスラエルは世界でも有数のフォアグラ生産国で、その大きな部分をフランスに輸出していたという事実です。イスラエルのフォアグラ。ユダヤ人のファオグラ。

私自身はフォアグラ=フランスという強いイメージを持っていたので、これを知ったときはとても驚きました。ところが私の母は知ってました、イスラエルのフォアグラの話。「あんた、そんなことも知らなかったの。」彼女あの国に旅したことがありますから。年寄りを甘く見てはいけませんね、ほんとうに。昔から横町の隠居は物知りなのです。

というわけで、フランスは実はフォアグラの大きな輸入国なのです。フランスは、かつては大きな量をイスラエルから、また他に、ハンガリー、ブルガリア、オーストリー、チェコ、それにルクセンブルクなどから広くこれを輸入をしているようです。意外な話だと思いませんか。

ところで2003年8月にイスラエル最高裁において、ガチョウの強制肥育を実質的に違法とする判決が下されました。フォアグラ生産業界向けに2005年3月までの猶予期間を含む判決で、以後イスラエルではフォアグラの生産は実質的にできない状態となっているようです。

今回シカゴの禁止条例をめぐる騒動の中で、ユダヤ教のラビの言葉がいろいろな形で報道されています。その背景には、動物愛護という倫理に基づいて民族的に長い伝統のある食品づくりを禁止するに至ったイスラエル最高裁の判決があること、言うまでもありません。その判決に至るまでに、ユダヤ人の間では大きな痛みを伴う対立があったわけで、だからこそ、ラビの言葉が報道されるわけです。

フランスの生産業者達は当然のことながら、こうした動きに対して、かなり神経質になっているようです。アメリカはフランス以外では世界最大の市場であり、そこで禁止の流れが続くようだと、大打撃になるからです。

シカゴの禁止条例をきっかけにして、少しフォアグラについて知ることになり、興味深いことがいろいろあるなあと思ったしだいです。美食の伝統VS動物愛護、難しい問題です。

同様の問題は今後、フォアグラ以外でも起きる可能性が大いにあると感じます。その兆候はすでにフカヒレや一部のマグロについて、見え始めています。

それにしても我々の国は宗教が食べ物に介入することがなくて幸せだと思います。たとえあったとしても、建前と本音という便利な論法で、なしくずし。酒は般若湯、百薬の長となる国ですから。「律法の民」にはとてもなれそうにありません。私たちは、大洗のアン肝をもみじおろしで頂くくらいが、ちょうどいいのかもしれません。

*第一稿では、古い資料に基づいて判断したため、イスラエルのフォアグラ生産について一部現状と異なる内容を書いてしまいました。ご容赦下さい。

 

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2006/9/22

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