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主婦の友社
発行インテリア雑誌

「プラスワンリビング」

2006年7月7日発売号

新連載開始

銀器の歴史に秘められた

人間ドラマを語ります

■声のメッセージへ■

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第39回 「シャウニーのエトルリア展」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006/5/1

エトルリアといえば壺が名高く、これをきっかけに、その個性的な美術世界に目が開かれるという人も少なくない。私もまた、そんな一人で、しかしながら、様々な実物を通して「古代エトルリアの美は決して壺だけではない」ということを知るようになるのは、骨董銀器商を仕事とするようになってからのことだ。

その金工(金属工芸)とりわけ女性のアクセサリー類に極めて優れたものがあり、そんな小さな美を美術館や博物館で見つけるたびに、「ああ、きれいだなあ。大昔から女性は、美しいものを身につけるのが好きなんだ」などと感心しながら、ガラスケースに顔をくっつけるようにして見てきたものだった。

とはいっても、そうした展示も大抵の場合、大した説明もなしに、わずか数点かせいぜい十点くらいのものが飾られている程度であって、それをまとめてたくさん見るなどという経験は、これまで一度もなかった。

ところが思いもよらぬ意外な場所で、その逸品にまとめて出会うことになった。今から一年半ほど前の話だ。最初その展示場所を聞いたときには、「そんな田舎で…」と半信半疑だった。それがどこかと言えば、ふたたびオクラホマそれも、シャウニーという小さな町である。どこそれ?

オクラホマシティからほぼ真東に約70キロという位置にあって人口3万人弱のこの町は、現州都オクラホマシティよりも、州全体の地図の上からは中心に近い場所に位置する。それもあってかつては鉄道の要衝として大いに栄えたのだが、ちょっとした歴史のきっかけ違いで州都になれなかったという町だ。ちなみに、シャウニーというのはインディアンの部族名だ。

この町には修道僧が祈りと労働に日々を送る本物の修道院があり、その関連で設立された立派なカトリックの大学がある。そして、大学に併設される形で小さな美術館があって、そこで「エトルリア金工展」が開かれているというのだ。

オクラホマシティではアーティスト社会にもぐり込んでいたので、どこでどんな展覧会をやっているというような情報ついては、自然と入ってきたし、アーティストや画廊のパーティーにもよく連れて行ってもらった。そしてこれが私にとっては面白い体験となった。

アメリカの田舎は一見、だだっ広い土地に人々が、離ればなれに孤立しながら住んでいるように見える。ところが、あちこちで頻繁にパーティーが開かれていて、それぞれのソサエティにおける生身の人間同士の交流は日本よりもずっと盛んだ。その意味では、土地は広いが世間は狭い、と感じた。

そんな狭い世間にとって、日本から来た骨董銀器商などというのは「珍客到来」もいいところで、知人を通じて噂を聞いた人が家に招いてくれるということがあったり、パーティーで出会った人から、家に遊びに来ないかと誘われたりして、びっくりした。ところで、私は昔から日本でのパーティがどうも苦手だ。それがアメリカの片田舎では、楽しくて仕方がなかった。その差は、不特定多数の人が集まったときの、人間同士が交流する、その力学の違いによるところが大きい。

アーティストと呼ばれる酔っぱらいたち。手前の大男約190cm以下女性陣含めて全員が私より大きい。この奥の部屋でも、右脇の部屋でも、誰かが誰かとしゃべっている。開放感、ありすぎ?


田舎オクラホマで経験したパーティは、見知らぬ人同士が、どんどん気軽に話をするのが当たり前。だから「誰か知っている人いないかな?」と不安げに会場を見渡しながら、自分の加わるべき輪を探す、という日本のパーティーによくある、あの居心地の悪さとは無縁だった。そんな知り合いがいないのだから、当然と言えば当然だが、彼我の文化の違いも大いにある。とにかく誰でもいいから、気楽に話をしてみればいいという、そんな開放感があるのだ。

アーティストの家の、これでもキッチン。左下はメモボードではなく、冷蔵庫。中央の茶色い取っ手のついた箱はオーブン。その右隣にステンの浅鍋が置かれているのがレンジ。すべて完全稼働。オーブンは1930年代の品。この箱から、とにかくおいしい料理が出てくる。ここでは電子レンジという言葉は、恐らく誰も知らない。そして、「少ないモノでは豊かに暮らせない!」と彼女は叫ぶだろう。

そうやっていろいろな人と話してみれば、当然のことだけれど、つまらない人もいれば、変わった人、面白い人などいろいろで、それこそ「犬もしゃべれば人に出会う」という感じだった。とりわけ私のように、仕事上のお付き合いとか、そいうものが全くない「異邦人」であればなおさら、妙な下心ナシに純粋に、会話自体を楽しむことができるわけで、その意味でも、パーティーが面白くて仕方がなかった。

アーティストと呼ばれる人の家。その居間の一隅。奧に縦横に重なる薄い板状のものはすべてLP。ざっと数えて3千枚くらいあった。その昔私は2千枚強持っていた時期があるから、ある程度見当がつく。

さて、シャウニーの展覧会に話を戻そう。

そんな突拍子もない田舎町にあるミニ美術館の「エトルリア金工展」だ。どうせ、地元の小オイルリッチマンが集めたわずかばかりの品々が、壺と一緒に並んでいる程度だろうと、大した期待もせずに、ドライブを楽しむつもりで出かけてみた。着いてみれば、のんびりとした街で、人影もほとんどなく、何となく西部劇時代が思い起こされる町並みが続く。それを通り抜けて煉瓦色のいかにもカトリック系大学という建物の脇を通り過ぎると、そこが美術館前の駐車場だった。

美術館の入り口。これがなかなかいい雰囲気で、扉の一歩内側(写真では右に折れて歩く側)には、この地の荒々しい自然を忘れさせる静謐な小空間が広がる。

いざ会場に足を踏み入れてみたら、これがビックリ玉手箱。「どうせ田舎の…」などという予想を見事にくつがえす、これまでに見た中でも、抜群に優れた内容だった。展示の中心は、200点を超えるイヤリングや指輪それにブレスレットなどを主体とする金の装飾品で、その粋を集めたものと言っても過言ではない。今から二千五百年も昔に、これだけの水準のものが作られているのを目の当たりにすると、歴史の進歩という言葉が虚しく響く。つくづくそう思わされるほど粒よりの品々が揃った展示内容だった。

それにしても、不思議だ。これほど高水準の展覧会が如何にして、かくも辺鄙な片田舎のミニ美術館で開催できたものであるか。

その背景の詳細を知るためにも、何としてもカタログを買って帰らなければと思い、かなりの時間を掛けて展示を見終えた後、出口脇にあるミニ売店に立ち寄った。そしたら、様々なお土産グッズの真ん中に、この展覧会の特別カタログが山積みされているではないか。これがミニ美術館とすれば、やけに立派なもので、両手で持つとズシリと重く、展示品のカラー写真一点一点について詳細な解説が綴られている。その説明の詳細さはまるで、ロンドンのビクトリア&アルバートミュージアムを思い起こさせる水準で、ますます、この展覧会の背景に興味がひかれた。

とにもかくにも、購入したカタログを、最初のページからじっくりと読んでみる。すると、なかなか興味深い背景が見えてきた。まずこの展示は、個人コレクションが中心であり、その持ち主は、貴族の血筋に連なるイタリア人富豪であること。これほど貴重なコレクションが、はるか海を越えてこのミニ美術館に貸し出されるに当たっては、ヴァチカンの力が影で大いに働いているらしいということ。そして、そうした力を引き出すに当たっては、この町の修道院と大学が一体となり、町がバックアップする形で、数年を掛けて招聘に成功した展示であること。こうした構図が、その立派なカタログを読むうちに、だんだんと浮かび上がっててきた。

修道院、大学、枢機卿、ヴァチカン、イタリア貴族、そして、この美術館を支える理事という名の町の有力者たち。この展示を可能にしたのは、こうした要素が集まってのことなのだ。その一番中心にあるのは間違いなく、宗教の力だろう。それにしても、こうして要素を取り出して文字として並べてみると、中世がそのまま生きているかのような錯覚におちいる。いや、これは錯覚でも何でもなく、中世以来の力は今もしっかりと「現実の力」として働き続けているのだ。

コットンとトウモロコシと石油の地に、カウボーイとカントリー&ウェスタンの地の果てに、ベネディクトの戒律を旨とする修道院がある。なんとも奇妙な組み合わせだ。しかもそれは、総本山ヴァチカンとも目に見える太い糸で結ばれながら、前世紀初頭には州という形さえなかったこのアメリカ中西部という荒れ地において、今日この現在も、生き生きと活動を続けている。

その一方で、アメリカがプロテスタントの国であること、言うまでもない。この一帯には数多くのバプティスト派教会があり、他にクエーカーやメノナイトも活発な活動を行っていて、アメリカ中西部が思いの外、宗教心の篤い地域であることが見て取れる。このあたり日本にいてはなかなか見えにくい、アメリカの一つの側面ではないかと、改めて思った次第だ。

このオクラホマ&テキサス旅行の前までは、アメリカ田舎のことなど大体見当がつく、なんて思っていたが、とんでもはっぷん私は、何も知らなかったと、そのことを思い知らされる旅だった。だから、まだまだ「オクラホマ&テキサス話」がここに登場することになると思う。

ところで、古代エトルリアという、ちょっと特別な世界について、日本人女性として興味深い仕事を残している方がいらっしゃる。大阪の大森さんだ。個人でエトルリア遺跡発掘サイトのそばに住居を構え、そこで暮らしながらその世界を探訪し、ローマの有名教授のお手伝いをしながら、エトルリア考古学に関する本を二冊出版なさっている。

もともとドイツ語がご専門の大森さんは、この目的のために、世界的に有名な某製薬会社を定年退職少し前からイタリア語を学び始め、その上で古代エトルリアに挑戦を開始なさっている。以来十数年。それだけで、この方の姿勢が見えて来る、と思われないだろうか。最近日本に戻られて、今度はまた分野の異なることを学んでいらっしゃる。熟年女性の生き方として、一つの素晴らしい例として挙げられると思う。この方については、また回を改めてご紹介できればと思う。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2006/5/1

■講座のご案内

春の講座は、ほぼ終わりました。秋になるとまた、いろいろな場所で、少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。