2009/6/20
(●前回からの続きです)
オランダ国民には英語力が高い人が多い。更に、インテリだとドイツ語にも困らない人が少なくないという。どうして、それが問題を引き起こすことになるのか。オランダのラジオ番組によると、こういうことらしい。
オランダ語を話す人口は約1900万人。市場としては小さいから、オランダ語の本の出版には限りがある。日本みたいに、何でもかんでも自国語に翻訳されるなんてことは、ない。そうした土壌に、インターネットの時代がやってきた。英語中心の津波到来。
もともと英語であまり困らない。娯楽も英語で全然平気。例えばハリー・ポッターも原書で苦労なく読めちゃう。ならば英語の本を読めばそれでいい。第一、英語圏は市場が巨大だから、本の種類の多さも圧倒的で価格も安い。さらに、巨大市場でもまれて激しい競争の中から登場してくる執筆者たちの作品は、水準の高いものが少なくない。
というわけで、オランダ語の本の売れ行きが近年目立って落ち込み始めていて、これが出版業の衰退を招いている、という。ある出版社の人が半分ヤケで語るには「あと十年もすれば、オランダ語の本は年に数十冊くらいしか出版されなくなるのではないか」とのこと。
「話半分」としても、にわかには信じがたい話だ。もし、こうした話が本当だとするならば、これは昨今日本の出版界について語られる「出版不況」とは比較にならない深刻な問題ですね。例えば、中国語の本の氾濫で、日本語の本が売れなくなる。日本に置き換えれば、そういう話なのだから。
オランダ語といえば、幕末の志士たちには「蘭学」を目指した人たちも少なくなかった。漢文の素養の上に蘭学を通じて西欧文明を学ぶ。幕府側の勝海舟は、本所の家から麻布まで毎日徒歩で、オランダ語の辞書を書き写すために、雨の日も雪の日も通ったという。こちらは、生活が掛かっていて身につける語学ではなく、思想と信条の熱情に突き動かされて、それこそ命がけで学ぶ語学。この話を思い出すたびに、自分が情けなくなる。
その「蘭学」の志士たちの中から、明治維新後、英語に転向する人が出る。「オランダ人にとって英語は簡単」という今回の話を知って、なるほどと思った。オランダ語の基礎があったから、英語への移行が比較的スムースに運んだということなのだ、きっと。
ところで、国語が意外な形で、食文化に大きな影響をもたらすことがある。世界に冠たるフランスのレストラン文化は、実は、全国共通フランス語の誕生と密接不可分の関係にある。
フランス革命(1789)以前のフランスに、今我々が知るような形でのレストラン文化は存在しなかった。その誕生には、全国共通フランス語の誕生が思いもかけない形で、重要な役割を果たしている。フランス革命とナポレオンなくして、今の輝かしいフランスのレストラン文化は生まれなかった。
病人向けのスープの店が、如何にしてレストランとなっていくのか。ルソーにディドロ、料理人カレーム、ロシア皇帝に英国皇太子、毎夜繰り広げられるサロン、批評の先駆けアレッサンドル・グリモ……様々な人間たちが織り成す誕生期の混沌とした面白さ。
めったに語られることのない、そんなお話を、7月5日(日)に青山のフランスレストラン「ブノワ」で、させて頂きます。詳しくは、こちらクリックして、ご覧ください。
フランス料理の話なんて耳タコ、と思われるかもしれません。でも、グルメ情報は氾濫しているのに、グルメ誕生に至る道筋は、思いのほか、知られていない。大きな社会変動の中で、様々な人間たちが活動する中から、自然と一つの方向が生まれてくる。できるだけ具体的に、レストラン文化誕生の歴史が目に見える形で、お話するつもりです。
2009/6/20

■講座のご案内
2009年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。また、この4月号から新たに雑誌の連載エッセイがスタートしました。
大修館書店発行の月刊『英語教育』で連載タイトルが「絵画の食卓を読み解く」。絵に描かれた食卓を食文化史の視点から読み解きます。ぜひ、ご一読を。
というわけで、エッセイもカルチャーでのお話も、
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。
詳しくは→こちらへ。
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