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主婦の友社

「プラスワンリビング」

7月7日発売号

「アンティークシルバー

の思い出」


銀器の歴史に秘められた
人間ドラマを語る連載第7回


今回の主人公はイタリア・ルネサンス期の激動を生き抜いた
マントヴァ候妃

イザベラ・デステ
極めて魅力的な女性です。


彼女の宮廷の面白さ、興味深い宴席の様子など、銀器文化の奥深い背景を訪ねます。

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第59回「ケンカの相手」

2007/6/30


日曜日の早朝午前7時頃、根津美術館正門前の道から骨董通りに入ろうと、のんびりと車で信号が青になるのを待っていた。いいお天気。風は気持ちよく、まだ、暑くなる前の時間だ。

やがて信号が青になる。私が交差点を右に、すなわち小原会館の方向に車を進めるために、右のウィンカーを点滅させながら、交差点に車を入れた、まさに、その瞬間だった。

左方向から何か黒いモノがが突然やってきて、キキーっという凄まじい音を残して、青山六丁目方向に猛スピードで走り去っていった。道路に黒いブレーキ跡が残り、タイヤの焦げる臭いがした。私が急ブレーキを踏まねば、確実に、相手の車は私の車の左側面に激突したはずだ。相手は六本木方向から猛スピードで走ってきたのだ。百キロ近いスピードで信号無視。許せねえーっ!

頭にカーッと血が昇った「あの野郎、どこまででも追っ掛けていって、どなりつけてやる!」子供の頃からの私の悪い癖だ。アクセルを一杯に踏んで、猛スピードで、その車を追いかけた。

その車もさすがにヒヤリとしたのだろう、スピードを落として、青山通りとの交差点の手前の信号で、大人しく停車していた。私は強引にその左隣に車を横付けし、窓を開けて「バカヤロー!」と怒鳴ろうとした。が、相手の車の中を見て、「バカ…」の「バ」という音を何とか口から出さないように必死になった。あのときは「バ」の音が喉につかえて、もう死にそうだった。

車の運転手はイラン人という雰囲気。ニコニコしながら、「ゴメン、ゴメン。」と言っている。問題は助手席に座った日本人の、そう、年の頃なら30代半ばという感じの男だった。これは、私がこれまでの人生で一度も出会ったことのないタイプの男だった。あちらの筋のこわもてタイプというのとはまるで違う。しかし、非常に恐ろしい酷薄な雰囲気が、ある。そして、後部座席には、これと似た雰囲気の男がもう一人、同じように私を、極めてクールな視線で、眺めている。二人とも、間違いなく日本人だが、一言も口をきかない。こいつら、ただ者じゃない。

ヒゲもじゃで髪ももじゃもじゃのイラン人だけが、なぜか、にこにこしながら、「ゴメン、ゴメン」と言っている。しかし、二人の日本人のあの恐ろしい視線と合わせると、この「にこにこ」が、むしろ不気味に思えてきて、背筋がゾーっとしてきた。

青山通りとの交差点のすぐ手前。場所が良かった。これが少し離れた場所なら、彼らは車から降りてきたに違いない。私は必死に「バ」の音を飲み込んで、「あ、危なかったですよねえ。き、気をつけて下さいよ。いえ、ちょっとね、そう、言いたかっただけなんです。ぶ、ぶつからなくて、よかったですね。」

信号が青になる。イラン人は手を振りながら、青山通りを一丁目方向に車を進める。私はそれを察知して、渋谷方向に車を進め、バックミラーをにらみながら、彼らがUターンなんてしてこないことを確認し祈りながら、次の青学の先の交差点を左折して道を降り、それから勝手知ったる裏道をぐるぐる回ってから、普段の道に戻った。

その車は仮ナンバーだった。あの雰囲気は間違いなくプロだ。子羊はカーッとしてはいけないのだ。去年の6月初旬、出張直前の出来事で、万が一のことがあったら、万事休す。ケンカは相手をよく見てから手を挙げるべし。子供の時からこれをしないで損をかさねてきたけれど、この時ばかりは肝に銘じた。

 

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2007/6/30

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いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」

歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。

詳しくは→こちらへ。