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主婦の友社

「プラスワンリビング」

1月7日発売号

アンティークシルバーの思い出

連載16回
銀器の歴史に秘められた
人間ドラマ
今回の主人公

18世紀ロンドン銀器界の

伝統と権威に反抗する形で

バーミンガム銀器の礎を築いた
マシュー・ボルトン


努力家で闘争心あふれる
男の

興味深い生涯をたどります

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第90回「中世英国のトウモロコシ畑?」

 

2009/1/6 

    
2009年の幕が開きました。

 

 小説を読んでいました。十五年ほど前に亡くなった現代の英国人作家が書いた軽いタッチの作品。日本語訳もなかなかこなれていて、いい感じです。これを楽しく読み進んでいたら突然、ガクンときました。まあ、話を聞いてください。

 小説の舞台は十二世紀イングランド、英国中世。なのに「畑があって、トウモロコシが植えられていた。」という文章に出くわしたのです。そこから2頁の間に全部で4回「トウモロコシ」という言葉が出てきます。この言葉と出会った途端、物語を楽しむという気分から一転、食文化ヒストリアンモードに頭が切り替わってしまいました。なぜか。

 トウモロコシって、これ↓ですよね。 おいしそう。

 でも「トウモロコシ」は、ないですよ、十二世紀の英国に。「ない」というのは「存在しないはずだ」という意味です。

 翻訳って難しいんですよね、特に小説は。森羅万象何から何まで知ってるなんて、そんな人いませんから。誰だって、どっかで多少は間違いが生じる。当たり前だと思ってます。ただし、専門書の誤訳は困りますけれど。

 私は銀器と食文化史を専門としてますから、それに関連した表現だとすぐにピーンときます。少なくないですよ、誤訳に出くわす機会は。でも、その大半は全体の文脈の中で特に重要じゃない、という感じです。だから気にしません。

 ところがたまに、銀器の名称や料理名、食材に関する表現などが小説や映画お芝居のある場面で、決定的に重要な意味を持つ、ということがある。「食」をめぐる環境というのは、その人の人生を象徴していることが多いわけで。そうなると、誤訳はちょっと困った事態を引き起こします。お話そのものが台無しになってしまう。以前ある映画の字幕で、その極端な例を体験してます。

 なんていうと、いかにも偉そうな感じに聞こえちゃいますね。そういうつもりはないのです、ほんとうに。誰でも知ってる食べ物について、意外なほど知られていないことがあるという、そんなことを少し突っこんでみたいわけです。

 今回のトウモロコシ、さして大きな「問題」というわけじゃありません。でも、物語の主人公がちょっと特殊な庭で植物を管理することを仕事にしている人で、話の中に植物の名称があれこれ出てきます。そしてそれが重要な意味を持つ場面が幾つもある。そういう小説なのです。だから、トウモロコシの誤訳はいささか困るわけです。

 とても雰囲気のいい翻訳文を出していらっしゃるこの翻訳者の方に申し訳ないから、作品名も作者名も書きません。この方の立派な仕事をあげつらう気持ちなど、毛頭ありませんから。

 問題はトウモロコシにあるのです。意外な盲点になってると申し上げたいだけです。で、念のために原作を確認してみました。やはり思ったとおり、"field of corn"という語句の"corn"を「トウモロコシ」と翻訳なさってました。

 えっ、「cornすなわちコーン」って「トウモロコシ」のことじゃないの? もちろん、アメリカならそれで何の問題もないわけです。でも、話の舞台がヨーロッパとなると、そういうわけにはいきません。これ翻訳の問題というよりもむしろ、食文化史や食物史の視点から語られるべき問題です。

 そうした観点から見るとこの翻訳には、二重の勘違いがあります。たぶん。

 まずは12世紀中世のイングランドという小説の時代と舞台が問題となります。ヨーロッパ人がトウモロコシと出会うのは、コロンブスが最初と言われています。まあ反対説もあることは、ありますけれど、ここでは問題になるような説じゃありません。

 ご存知の方も多いと思いますが、トウモロコシは新大陸原産というのが最有力説です。トマトやジャガイモと一緒です。コロンブスが「アメリカ大陸」というかカリブ海に到達するのは1492年です。学校で習いましたよね。とするならば、それより三百年も昔の12世紀イングランドにトウモロコシ畑が、あるわけがない。これが第一の勘違い。

 そして第二の勘違いは、"corn"という言葉の定義についてです。小説の作者はイギリス生まれの英国人で、小説の舞台もイングランド中世です。これを考えれば、ここで"corn"という言葉が出てきた場合それは日本語で普通、「穀物」とか「穀類」という意味であり、特にこの小説の文脈から考えればこれは「小麦」と訳すのが一番ふさわしいと思われます。場合によっては大麦や燕麦(オーツ)ということも考えられますけれど。いずれにしても、トウモロコシというのは、まずあり得ない。

 このあたりの細かい定義分けについてはO.E.D.(Oxford English Dictionary)のcorn(n1)のUで詳しく解説されています。それによればこの言葉、9世紀後半から穀類という意味で使われ始めている古い言葉です。というわけで、この小説の文脈で"corn"は「小麦」もしくは大麦や燕麦(オーツ)となる。ビックリですか?

 実は今から十年ほど前に私自身が"corn"をトウモロコシと思い込んでいて、苦労したことがあったのです。食文化史関連の本で、何度読んでも前後関係が通らない。それで三日間くらいあれこれ調べて初めて、"corn"という単語が英国英語では、小麦や大麦を含む穀物類の総称なんだと知って、唖然としたことがあったのです。

コーン(corn)なんて余りに基本的な単語で、トウモロコシ以外の意味があるなんて、夢にも思っていなかった。それが盲点になっていたわけです。

 それにしても小麦畑とトウモロコシ畑では、ずいぶんと雰囲気が違うと思いませんか。畑越しに輝く太陽の光、そのイメージまでもが違って見えませんか。

 で、ここまで来ると皆さん思うでしょうね。じゃあ、僕らが夏になると食べるあのトウモロコシは英国英語で何て呼ぶのかと。ロンドンのスーパーの店頭なんかだと"sweet corn"なんて表示されてます。輸入品ですから。でも、より正確には、というか、食の専門書では普通これを"maize"(メイズ)と言います。コーンじゃありません。

 当然ながらこの"maize"という言葉、スペイン語から来ています。もともと北米インディアンの言葉という説もありますが、さらにキューバ方言の要素が加わり、カリブ海の香りが一杯の言葉として伝わってきたらしいことが同じくO.E.D.の語源解説からはうかがわれます。わーっ、カリブの風だ。

 新大陸をスペインが征服していく。その過程でトウモロコシと出会う。銀を一杯に積んだ宝船でトウモロコシもまたヨーロッパに運ばれる。風に帆かけてこれを途中で襲うのがイングランドのザ・パイレーツ・オブ・カリビアン!

講座へのお申し込み、お待ち申し上げます。

2月8日(日)の講座はチョコレートをメインにしながら、カリブそしてパイレーツすなわち海賊のお話へも広げたいと考えているところです。

えっ、この文章ひょっとして、講座の宣伝だったの? 

はい、そうでございます。

トウモロコシなんてものからだって歴史が見えてくる。食文化ヒストリーの話を、おいしいお料理と一緒に楽しんでみませんか。ひととき厳しい世相は忘れ去って。

 
再度、皆様にとって、この一年が良い年となりますように。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2008/1/6

■講座のご案内

 2009年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。また新年3月発売の雑誌で新たに、連載がスタートします。これがちょっと意外な雑誌で、辞書や語学教科書で有名な

大修館書店発行の月刊誌『英語教育』です。

 今も一生懸命準備中です。ありきたりのものにしたくない、そう強く思ってます。目標だけは高く、です。

 いずれにしても、「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。

 カルチャーでのお話も、連載エッセイも、歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみたいと思ってます。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話したい。常にそう考えています。

詳しくは→こちらへ。