2007/2/4
まだ小学校も低学年だった。中村君という友達がいた。目の大きな背の小さな男の子で、よく一緒に遊んでいたものだ。気が合ったのだ。彼には妹がいて、今思うと、お父さんがいなくてお母さんは働いていて、中村君がいつも妹の面倒を見ているのだった。
ある冬の日の夕方のことだった。もうあたりはすっかり暗くなっていて、外灯が寒々しく歩道を照らし、行き交うクルマのライトが点灯し始める、そんな時刻だったと思う。
道でばったり中村君に出会ったのだ。彼はその時、買い物かごを手に持っていた。あの当時、お母さん達は毎日のように、買い物かごを下げて夕食の材料を買いに出かけていたものだった。
中村君は、そのお母さんが持ち歩く買い物かごを下げていたのだ。小さな子供には不釣り合いな、い草か何かで編んだような大きな籠で、それが地面につきそうだったことは今もはっきりと覚えている。「何しているの、買い物かごなんか下げて? 」と彼に聞いてみた。
彼は、とても恥ずかしそうな顔をして、見られたくないところを見られたという感じだった。
「あっ、大原君。いや、これはあれさ、夕飯の買い物に決まってるじゃないか。母さんが今日は仕事で遅いからさ、俺が買い物なんだよ。」なんか、恥ずかしさ半分、強がり半分みたいな感じだった。
中村君はいつもは、頭の回転の速い、運動神経もいい、背は小さいけれど活発な元気な子供だった。ちょっと顔色がよくないと感じることもあったけれど、とにかくすばしっこい子供だったことは間違いない。
「そうそう大原君、これ知ってるかい? おいしいんだぜ。」
そう言いながら中村君が買い物かごから取り出して見せてくれたのが、チキンラーメンの袋だった。当時テレビでよく宣伝し始めていて、私もその存在だけは知っていた。しかし、私の母は「料理の先生」であり、食べ物については非常に厳しい人であったので、チキンラーメンのようなインスタント食品(当時はそう呼んでいた)を使うなんて、家では考えられないことだった。
「これ、うまいんだぜ。妹につくってやると、喜ぶんだよ。えっ大原君チキンラーメン、食べたことないの? かわいそうだなあ。今度一度買って食べてみなよ。ほんと、うまいんだぜ、これ。」
なんか、本当にうれしそうに中村君はそう言うのだった。その言葉を聞いて私は、中村君の家、路地の奥にあった古いアパートの一室を思い浮かべていた。何度か遊びに行ったことがあったので知っていたのだ。そこで、ちょっと疲れた雰囲気のお母さんにお会いしたこともある。妹はまだ小さく、でも、中村君と同じように目が大きなかわいい女の子だったことは、よく覚えている。
古めかしいコンロがおかれていて、ああ彼はあそこに立って、妹のために鍋でチキンラーメンを作ってやるんだろうな、そして、あの小さな食卓で兄妹ふたりで、チキンラーメンを分けながら食べるんだろうなあと、その姿を想像した。でもなんだか、うらやましいな。そのとき心から、そう思った。
私は買い物籠を持って買い物をしたこともなければ、自分で「夕飯」の準備をしたこともなかった。テレビで宣伝しているチキンラーメンを食べたこともなかった。今思えばそれがどれほど幸せなことであったことか、その頃の私には分からなかったのだ。
それどころか私はあのとき、中村君をうらやましいと思ったのだ。「大原君、チキンラーメン食べたことないのか。かわいそうだなあ。」ほんとうに、そう思いこんでしまったのだ。
当時インスタントラーメンは「ちゃんとした食事じゃない」などと非難する声も少なからずあったと思う。周りにいた大人達がそんな風に言っていたことを子供心に覚えている。でも、安藤百福さんのチキンラーメンは、中村君のような境遇にあった子供に、まちがいなく小さな幸せを届けてくれたのだ。
「これ、うまいんだぜ。妹につくってやると、喜ぶんだよ。」
チキンラーメンという言葉を聞くたびに私はこの時のことを思い出す。そして、胸がきゅんとなる。中村君、今どこで、どうしているんだろうか。きっと妹を大切に思いながら、しっかり生きているのだと思う。だって、あんなに妹、妹と、いつも言っていたのだから。
きょうのお話は、ここまで。
面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。
2007/2/4

■講座のご案内
2007年も、いろいろな場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。話の内容は様々ですが、基本テーマは一つです。
「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」
歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事。銀器という枠を越えて、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さについて、お話ししたいと考えています。
詳しくは→こちらへ。
|