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不定期連載『銀のつぶやき』
第11回「地獄天国ボローニャ」








第10回よりの、続き。

 「大原様、確かにご予約頂いておりますが、申し訳ありません。当ホテルはただ今、大会組織関係者と警備関係者に優先的に部屋を提供せざるを得ないため、お客様のお部屋は、別のホテルへと切り替えさせて頂きました。地図をお渡ししますので、どうぞそちらにいらして下さい。すぐそばですから、ご心配なく。なにしろこの事態です。市当局からの強い要請があったものですから。ご容赦下さい。」

この日は、超厄日、大殺界の天中殺だったに違いない。

当然ながら、抗議する。しかし、既に「事態」を把握していたから、ここでゴネてもどうにもならないことは、解っていた。それに、こちらはもう、疲れ切っている。とにもかくにも、一休みしたい。腹立たしいが、ここは言われたとおりにするしかない、と判断する。

再び重いスーツケースを引っ張りながら、ロビーを横切る。すると、さっきの黒いドレスのセクシーが、楽しげに談笑している姿が目に入った。隣には、恐ろしく仕立てのいいスーツを着た、オナシスのような中年男が立っている。胸には何やらネームカードを付けている。そうだ、あれが「大会関係者」に違いない。見渡すと、そういう立派な男達が、あちこちにいる。あの二人が、部屋を横取りしたのだ。そうにきまっている。

「クラウディア、ちゃんと部屋が取れただろ。俺が一言口を利けば、どうにでもなるんだよ。パーティーの後はどうしようか。明日の試合も、特等席を用意させてあるから楽しみだぞ。ローマに帰る前に、少し遊んで行かないか。アニェッリの別荘に週末招かれてるんだけれど、一緒に行けるだろ?」

きっとそんな話をしているに違いないのだ。奴らは「ドルチェ・ヴィータ(甘い生活)」を楽しんでいるのだ。私はめらめらと怒りがこみ上げてきた。だが、ここはマフィアの国だ。人的関係が何事にも優先するのだ。その瞬間「苦い米」という言葉が頭の中一杯に広がった。そして再び、ああ、イタリアに来たのだと実感した。隣の連れ合いは、泣きだしそうな顔をしている。


Asinelli 塔

 この「一流」ホテルを後にして、もらった地図を頼りに少し裏道を歩く。石畳にスーツケースを引っ張る音が悲しく響く。もう空は暗くなっている。ボローニャの夜は照明が少ない。表通りを少し入ったところで、「一流」からわずか五分もかからない場所に、そのホテルは建っていた。やけにそっけない建物で、薄っぺらだと一目で感じた。さっきのホテルの華やぎからは程遠く、薄暗いロビーには、それでも人がざわついている。みな我々と同様の運命をたどった可哀想な人々なのかもしれない。

不景気な顔をしたフロントに、名前を名乗り事情を話す。「ああ、またか」という感じの対応だった。宿泊カードに名前を記入すると、彼は気の毒そうな表情で私たちを見て、部屋の鍵を渡してくれた。ポーターが荷物を運んでくれるようなホテルではなかった。

エレベーターで三階に昇り、廊下を歩き始めて驚いた。壁の一部から壁紙が剥がれて、ダラリと斜めに垂れ下がっている。「お客様に新鮮な驚きを与える」アプローチなのだろうか。何やら、いやーな予感がしはじめた。なぜか真新しい部屋のドア。そのドアを開けて、明かりを点ける。そこで見た光景に、唖然とした。

部屋の真ん中に、天井の照明から何か妙なものがつり下がっていて、その周りをハエが数匹、輪を描いて周回飛行をしているではないか。近づいてみると、その照明から吊り下がっているものとは。これが何と「ハエ取り紙」だった。本当にびっくりした。ここはバングラデシュなのか。

部屋全体にわずかにカビ臭が漂っている。長らく使われていなかった部屋なのだろう。「こうした事態」のために、急遽こんな部屋まで動員したに違いない。意外なことに、バスルームは新しくて清潔で、気持ちがいい。タオルも良質の真新しいものだった。これが唯一の救いだった。どうやら改装途中の部屋らしい。開け放たれた窓からは、フーリガンの騒ぎ声が遠くに聞こえる。疲れた。しかも、腹ペコだ。とにかく大急ぎでシャワーを浴びて、食事に出ることにする。

初日からこれでは、この旅は一体これからどうなることやら。ボローニャなんて、コンチクショーだと、無性に腹が立った。だが、とにもかくにも、部屋にはありつけたし、シャワーも浴びて、着替えも済んだ。中世のボローニャならば、これだけでも王侯貴族の贅沢ではないか。ありがたいと思わなければいけない。そう考えて気分を転換する。長い一日の汗を落としてさっぱりしたら、ようやく気持ちが落ち着いてきたらしい。そしたら猛烈に、おなかがすいてきた。あの飛行機の、小さな弁当箱以来、何一つ口にしていない。もう夜の七時を回っていた。

San Petronio       再び、建築家、安藤忠雄氏の源か
 
 よれたホテルを後にして、街に出る。くたびれ果ててスーツケースを引っきずっているときには、暑いと感じた。それが今は、夕闇の街を渡るクールな風が心地よい。ゆっくりと道を歩き始める。このとき初めて、落ち着いて、街路を眺める余裕が生まれた。ボローニャの夜は暗い。建物の様子は、今ひとつ見えにくい。だが、どこを歩いても、古い雰囲気が一杯なことはすぐに分かった。

 ところどころに明かりの灯いた店がある。何軒か通り過ぎた後、古風な外観で、中に二組のお客が入っている食堂が見つかった。まるで戦前の映画にでも出てきそうな雰囲気の店だ。高い天井、焦げ茶色の腰板、年代を経たテーブルと椅子。そんなに高級そうでもないし、かといって、庶民的という感じでもない。思い切って中に入ってみる。若いボーイが案内してくれる。我々を見て、ちょっと好奇心に目が輝いたように見えた。
 
 大混乱の一日だったので、両替をする暇もなく、イタリアリラの持ち合わせがない。クレジットカードが使えるかどうか聞いてみる。答えはダメ。あとはドルのトラベラーズチェックしか持ち合わせていない。何とかこれでと頼んでみる。奥から黒服のマダムが出てきた。彼女はカウンターの電話を取って、誰かと話し始めた。やがてにこにこしながら戻ってきて、チェックでオーケーということになった。これで救われた。
 
 朝マドリッドを出てからこのときまで、緊張に次ぐ緊張で、およそ気の休まる暇がなかった。やっと落ち着いて夕食が取れる。それだけでも幸せだと思った。マダムにしてもボーイにしても、英語はほとんど通じない。簡単なフランス語と僅かなイタリア単語のごちゃ混ぜで、何とか会話を成立させた。
 
 渡されたメニューは、思いのほか立派な装丁で、しかも、その中身は、肉料理を中心に、かなり個性の強い構成だ。白ワイン、前菜、肉料理二種、そしてサラダ、ざっとこんなところを頼んでみた。外から見ると一見「街の古い食堂」という感じの店だが、いざ中に座って落ち着いてみると、ずいぶんと雰囲気がいい。シックと表現してもいいくらいだ。まだ時間が早いので他に二組しかお客が入っていない。一組は中年の夫婦、もう一組は三十代前半の家族連れで、どちらも常連のようだ。

「街の古い食堂」といっても、パリの下町のビストロとはまた、まるで雰囲気が違っている。この店は、もう少し、ピンと張った気取りがある。二組のお客の、その食事の仕方、そして、マダムやボーイとのやり取りの雰囲気。そのどちらもが、静かで落ち着いている。それに、厚めの生地で織られた真っ白なテーブルクロスは清潔そのもので、これなら料理も大丈夫だろう、と思った。
 
 まずボーイのサービスが素晴らしいのに驚いた。まるで舞台の演技を見るようで、エレガントな動作は見事という他はない。冷えた白のおいしいこと。そしてパン。やがて連れ合いと話が弾み始める。マドリッド空港、ローマ空港、ボローニャ空港、フーリガン、そして、ホテルの強制移動。きょう一日だけでも、話の種は尽きない。こんなメチャクチャな一日は、人生の中でも、そうはないだろう。
 
 やがて料理が運ばれてきた。まず前菜。一口食べて、一瞬私は自分の舌を疑った。ものすごく、おいしい。あまりのことに、二人で顔を見合わせる。あとはもう、驚きの連続だった。二人とも、おいしい料理の何たるか、多少は知っているつもりだ。そんな二人が、会話を忘れるほどに、料理に驚いているのだ。素材、料理法、そしてサービス。すべて満点、と言うほかなかった。ミシュランの二つ星だって、これだけの水準の店は少ない、と感じた。

 最後のデザートを何にするかと聞かれて、「お奨めは」と尋ねてみた。「マチェドニア」というので、そのお奨めに決めた。やがて運ばれてきたマチェドニア。口に含んだ途端私は、、、もう何も言うことがなかった。最後に濃厚なコーヒーを楽しみながら、自分は夢を見ているのじゃないかと思った。きっと今夜は、異様な一日を過ごした後で、あまりの空腹に、何を食べてもおいしく感じるのだ。それが原因かもしれないと、自分の感覚の正常ならざる事のあるを疑った。
 
 こうして至福の二時間を過ごした後、トラベラーズチェックで支払いを済ませ、マダムと素晴らしいボーイに送られて、店をあとにした。幸せ一杯だった。地獄のような一日の最後に、天国からのごほうびを頂いた。これで、十二分に疲れが癒された。

 薄っぺらなホテルへの帰り道、二人は興奮して、料理のことばかり話していた。もう、よれた部屋も気にならなかった。こうして、この極端な一日は終わりを告げた。部屋の窓からは、フーリガンの遠吠えが、まだ僅かに聞こえていた。窓を閉めなければと思いつつ、あっという間にまぶたが重くなっていった。

建築家の描く「図面」も、
ときに 「記録」を越えて、

詩情をたたえることがある。

きっと対象への

「思い入れ」が

それを可能にするのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、この強烈な出会いの日から、ボローニャでは、二週間を過ごすことになる。それは当初まったく計画していない展開だった。毎日歩いて歩いて歩き回った。歴史、文化、そして美食。この驚くべき小都市の懐の深さは、とても語り尽くせるものではない。ここでの見聞はいま、仕事の上で、無形の財産として、一つの支えになっている。

 旅では何が起こるかわからない。それにしても、こんな形で一つの町に出会うというのは、運命と呼ぶほかはない。自分が何かを望んだわけではない。偶然の糸に引かれ、導かれていった結果だ。

 
  いつだって、人はそんなふうにして、何かに出会うような気がする。それも、大切な、何かに。

(2004/08/12)

さて次のお話は。面白いお話、出て来い!
もっと早く、もっとたくさん。

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今年の秋以降の講座予定が、決まり始めました。講座タイトルの示すとおり、銀器と食卓が中心テーマです。昨年までとは違うアプローチで、お話をしてみたいと思っています。興味ある方は、是非、講座に足をお運び下さい。

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