飛行機は遅れていた。マドリッド出発が二時間以上、遅れたのだ。さっき配られた「お弁当箱」は、小さな赤ワインの瓶まで入ったかわいいもので、とてもおいしかった。食べ終わって落ち着いたところで、アナウンスがあった。「当機は現在、遅れを取り戻すべく、全速力で飛行中です」
そんなことが可能なのだろうかと、いぶかりつつ、窓の外を眺める。するとなぜか、普通よりも猛スピードで「飛ばしている」ように思われたから、おかしい。いかにもイタリアの航空会社アリタリアらしいと、そのときは思った。今から十六年ほど前、店の開店準備のために、自分自身の基礎を固め直すために、そこら中を奔走していた頃の話だ。
目的地はローマ。そこですぐに乗り継いで、最終目的地はボローニャだ。無事にローマ到着。しかし、やはり、遅れは遅れだった。乗り換えカウンターに着いたら、さあ大変。係員が血相を変えて「急いで、急いで」と叫ぶ。乗り継ぎ便では既に、乗客の搭乗が始まっているらしい。それからが、ドラマだった。
映画で見る、トランシーバー片手の係員に先導されて、空港内を走る乗客。まさに、それを、自分たちが実演することになったのだ。空港内を途中から、迷路のように入り組んだ狭い廊下を走る。途中すれ違う人がいたが、相手がよけて道をあける。最優先でどんどん走る。当時はまだ、スペインからイタリアへの入国時、パスポートにスタンプを押していた。たった一人だけ係官がいる、狭い特別な審査通路があって、超特急でスタンプが押され、更に迷路を走り続ける。とつぜん周囲が明るくなった、と思ったら、目前に滑走路が広がっていた。ジャンボに比べれば遙かに小さな飛行機のタラップを登り、ほうほうのていで機内に入る。既に乗客は着席している。その中を座席まで案内され、何とも恥ずかしかった。席について、ほっと安心すると共に、あー疲れたと思った。

有名なボローニャの傾いた塔
飛行時間はあっという間だった。水平飛行に移ったと思ったら、もうボローニャ到着。見かけは小さな地方空港だ。無事スーツケースを受け取って、ロビーに出ようとすると、そこで異例なことが起きた。係官に呼び止められて、荷物の中身を検査されることになったのだ。まだ「9月11日」以前のことだから、到着空港での荷物検査というのは、それが初めての経験で、不安を感じた。見ると、男の乗客は全員が荷物検査の列に並ばされている。かなりきちんと荷物を検査されて、無事に終了。一体何事か。麻薬?事態が把握できない。
到着ロビーに出てみると、その場の雰囲気が尋常一様ではない。小さな空港内を、やたらに多くの人間が右往左往していて、警官の姿も目立つ。何か大事件があったのだろうか。一瞬にして緊張感が走る。とにかく市の中心部行きの連絡バスの乗り場を探す。バスの切符売り場には、数人の列が出来ている。係員の話では、今バスは遅れていて、しばらく次の便は出ないという。「何か起きたんですか」という私の質問に、彼は「こうした事態ですから、もうしばらく待って下さい」と言った。とにかく切符を購入して、バスを待つことにした。「こうした事態」とは一体何なのか。さっぱりワケがわからない。飛行機の遅れに続いて、バスまで遅れるとは。きょうは厄日(やくび)に違いない。
バスが出ないとわかったので、落ち着いて周囲を見渡してみた。そこでようやく、事情が見え始めてきた。ロビーにいる「連中」の中に、私が英国で見慣れているタイプの男どもの姿が目に入ってきたのだ。そんな「連中」が、あちこちで輪を作っていて、大声でわめいている。だぼだぼのズボンに大きな靴。腕には入れ墨。中には半裸の奴もいる。初夏だというのに、首には長い襟巻きが。そこには、白地に赤で、フットボールのチーム名が編み込まれている。そうだ、他でもない、大英帝国が世界に誇る、フーリガンが大集合しているのだった。しかし、なぜ、こんな所に?
私は当時、サッカーにはあまり興味がなかった。中田以前の時代の話だ。それにスペイン滞在中は、まともに新聞も読んでいなかったし、テレビもほとんど見ていない。だから愚かにも、この大事件をまったく把握していなかったのだ。何とそのときイタリアでは、サッカーのワールドカップが開催されていたのだ。それだけではない、我々がボローニャに到着した日が悪かった。翌日、英国チームの試合が当地で行われる予定が組まれていたのだ。
今なら絶対に、こんな日にボローニャに行くというスケジュールは立てない。サッカーのワールドカップ、ボローニャ、そして英国のフーリガン。誰だって、何が起きるか、想像できる。というわけで、これ以上のタイミングは考えられないというほどの、どうしようもないタイミングで、我々はボローニャ入りすることになったのだ。「飛んで火に入る夏の虫」いや「敢えて火中の栗を拾う」だろうか。どっちでもいい。
空港ロビーの中にある宿泊予約デスクでは、英国人が大声で係員とやり合っている。係員の言葉。市当局からの通達で、英国人はボローニャ市内のホテルには宿泊出来ません。郊外のホテルになります。はっきりと英語で、そう言っている。英国人が毒づいている。俺はあの「連中」とは違うぞ。フーリガンじゃないぞ。見れば分かるだろう。確かに彼の言うとおり。スーツを着たビジネスマンだった。ボローニャはイタリア有数の商工都市の一つでもある。観光客だけでなく、世界中からビジネスマンがやって来る町なのだ。しかし、係員は譲らない。市当局からの通達です。英国人は郊外のホテルになります。それで宜しければ、宿の手配を致します。このときばかりは、大英帝国臣民でない自分を、ありがたいと思った。空港全体が騒然とした雰囲気だった。

San Sepolcro
四十分以上待っただろうか、ようやく市内ターミナル行きのバスが到着した。市内へと向かう途中、警察のパトカーに前後を挟まれてゆっくりと進むバスの車列を追い抜いた。そのバスには、フーリガンが団体になって乗っていた。ほとんど囚人護送車という雰囲気だった。彼らはいったい、どこに「護送」されていったのだろうか。市街に入ると、そこら中で連中が練り歩く姿が見られた。明らかに酒を飲んで酔っている奴らもいる。
ようやくターミナルに到着。予約したホテルは、そこから歩いて十分も掛からない場所のはずだ。我々は、スーツケースを引きずりながら、騒然とした町の中を、予約してあるホテルへと歩いて向かった。それにしても、暑い。季節は初夏。その日最後の夕日に照らされて、西日がまぶしい。
重いスーツケースを引きずりながら、マドリッドからの長い一日を思っていた。こんなに事件が重なる日があるものなのだ。大変な一日だった。早くホテルに入ってシャワーを浴びたい。初めて歩く、ボローニャの古い街並み。なのにそれを楽しむ余裕はまるでなかった。もう日が沈もうとしていた。こうしてホテルに着く頃には、二人とも汗びっしょりになっていた。
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