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不定期連載『銀のつぶやき』
第28回「サムスンと渤海」

2005/12/09

今から五〜六年前のことになる。ロンドンから東京に戻る飛行機で、ちょっとくたびれた、中年サラリーマン風の男と隣り合わせになったことがある。どうして、カワイイ女子学生じゃないんだ。

小太りで、よれたスーツ。そろそろ床屋に行った方がいい感じの、髪の無精さ。顔の皮膚は白けていて、一目で、お疲れですね、と同情したくなる雰囲気。ニッポン企業戦士、くたびれつつも戦闘中なり、だと思った。

最初は特に言葉を交わすこともなかったが、食事時間をきっかけとして、私の方から話しかけてみた。「ロンドン駐在でいらっしゃいますか?」彼は一瞬、けげんな表情を浮かべてから、英語で答えてきた。「I'm Korean.」

韓国人なんだ。それにしても、我が同朋とそっくりだなあ。四十歳前後だろうか。夜、新橋駅裏の居酒屋から、この人が出てきても、彼が韓国のサラリーマンだなんて誰も思わないだろう。それくらい、日本の疲れた中年おじさんの雰囲気だった。韓国の男は一般に、我が同朋よりも、くやしいながら、見かけが宜しいのが多い。しかし、この方の場合は、そうではなかった。

この人はロンドン駐在で、東京に立ち寄ってからソウルに戻る途上の、サムスンの社員だった。コンピューターの部品をあれこれ扱っていて、日本の大企業にも大きな取引先がいくつもあると、ちょっと自慢げに言っていた。これが2005年の今なら、むしろ日本の電脳企業の課長が「サムスンさんとも、お取引を頂いております」と自慢げに語るのではないだろうか。

サムソン社のことは、それ以前から知っていた。当時は、日本でよりもむしろアメリカや欧州各地で、その名前を目にすることが多かった。経済紙誌の広告頁はもちろん、主要空港の荷物カートで、その名を目にしたとき、「ああ、韓国も伸びてきたなあ」という感じで眺めていたものだ。

2005年12月の今「サムスン」と聞いて、「ああ、韓国も伸びてきたなあ」などという悠長な感想を抱く日本のビジネスマンは、皆無だろう。まして、ロンドン駐在で半導体を扱うサムソンの社員と聞けば、「こりゃ、なかなか大変な男だな」と内心思うに決まっている。

ここ五〜六年の間にサムスンは、それだけ大きな変化を遂げた。それはそれとして、私が乗り合わせた当時はまだ、「ああ、韓国も伸びてきたなあ」という「時代」だった。

食後もワインを飲みながら、あれこれ話し始めて、すぐに感じたことがある。ロンドン駐在というのに、どうも英語がお上手ではない。私の質問内容を聞き返してくることが何度もあったし、また、彼が話すときは、考え考え、単語羅列風な表現が多かったのだ。

正直言って、この英語力でよく、ロンドン駐在で仕事ができるものだ、と感じた。英語の下手なロンドン駐在社員。韓国を代表する企業サムスンの、恐らく課長さんクラスでこれでは、「韓国も、まだまだだなあ」と、その時は、そう思ってしまった。

多くの日本企業も、サムスンをその程度の存在として、甘く見ていたんじゃないだろうか、その頃までは。そういう態度を戒める古典を、みんな中学高校で習ったはずなのに。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし…」

古文の授業なら、先生はきっと、こんな感じでお話になるところか。言葉の響きの美しさに酔っていてはダメですよ。ここで「盛者」すなわち「おごれる者」とは誰を指しているのか。ちゃんと押さえておいて下さい。来年出そうな所ですよ。注意点は、平成十五年頃を境に、大きな転換があったということ。時代の転換点を、受験生が理解しているかどうか、その点が試される問題ですね。その前と後とでは、同じ言葉が、別のものを指していますから。

よく考えてみれば、ロンドン駐在ニッポン中年男企業戦士にして「英会話」が苦手というタイプは、いくらでもいる。そのことと彼らのビジネス力は、必ずしも関係しない。「英会話」が下手だって、MBAじゃなくたって、優れたビジネス力を持つ男は、いくらでも、いるのだ。このサムスンの課長氏もまた、そういう一人であったに違いない。

やがて隣の席の彼氏、ワインの力も手伝ってか、だんだん会話が打ち解けてきた。そして、そのつたない英語では自分自身をちゃんと表現できないことが、もどかしくて仕方がない、そういう感じになってきていた。それが私にも、よく伝わってきた。

そんな感じになってきた時、おもむろに「ところで、歴史に興味はあるか」と聞いてきた。まさか、日韓併合以来の「恨の歴史問題」を持ち出すつもりかと一瞬警戒したが、ほろ酔いの企業戦士が、そんなこと言いそうにないと思ったので、正直にこう答えた「歴史探求は趣味です。」

彼はにっこり笑って、じゃあ、この国を知っているかと、○○という、私が聞いたこともない「国名」を口にした。○○。いくら考えても、思い浮かばない。サムスン氏は、仕方ないなあ、あんた歴史が趣味だなんてウソでしょ。ほんとうは何も知らないんじゃないの、だいたい日本人は過去の歴史をちゃんと認識できないんだから、とでも言いたそうな表情で、メモ用紙を取り出した。そしてそこにボールペンで大きく、立派な文字で、「渤海」という二文字を書きしるした。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渤海(ボッカイ)。国名くらいは知っている。当時はまだ「謎の国、渤海」などと言われていて、一般の日本人で渤海の歴史を知っている人は少数だったと思う。私もまた、そのくちで、平安時代に渤海から使節がやってきた、ということと、確か竜泉府東京とかいうのが首府の名前だったと、東京という言葉の面白さから、こればかりの知識をかろうじて知っている程度だった。あとは、受験の時に、この渤海という字を何度も書いて練習したことを思い出した。それ以外、何も知らない。

韓国語では、ボッカイとは発音しない。もう忘れてしまったが、まるで違う音だったと思う。だから最初わからなかったのだ。しかし、文字すなわち漢字で書かれれば、一発でわかる。そのことがわかってからは、彼は、英会話のもどかしさを補う意味で、どんどん漢字を書き連ね、それを英語で補って、コミニュケーションをはかり始めた。こうして初めて、このサムスン氏の知的深みのなかなかなるものであることが見え始めてきた。これはとても、面白い体験だった。

韓国人と日本人が、英会話と漢文もどきで、意思の疎通を図る。やってみればそれが、十分に可能なのだ。日韓いや韓日共に、同じ文明圏の周縁国だなあと、つくづく、そう思った。両国共に、中国から取り入れた偉大な漢字文化の基礎の上に、現在がある。イヤでも、そう、思わざるを得なかった。

中国や香港の人と、漢字を書いて、漢文もどきで、コミュニケートしたことは何度もある。そのときには、こんな風には感じなかった。むしろこの時のように、中国人と関係ないところで、中国の生み出した文明文化の恩恵を感じたとき、あらためて、中央の文化、文明の源、ということに思いが飛んでいった。シャクに障るが「中華」なのだ。

さて、問題の「渤海」である。彼の話によれば、渤海こそ、歴史的に見て彼ら朝鮮民族の心の祖国であるらしい。朝鮮半島の一部の人々にとって、渤海という国が特別な歴史的意味をもっている、ということについては、その後、渤海の歴史を少し探ってみて、はじめて知ったことだ。

また、彼によれば、渤海は当時、非常に進んだ国で、周辺国に大きな影響を与えていて、日本もまた、いろいろな先進知識を、渤海から取り入れているはずだ、というのだ。何も知らない私は、ただ、ふーん、そんなこともあったのだろうかと、興奮気味に語る彼の「お国自慢」を聞くばかりだった。

いい加減話したところで、彼も自慢の潮時と思ったのか、「楽しかった」の一言と共に、やがて、すやすやではなくグーグーと、イビキをたてながら、お休みなさいになってしまった。

その時の話が、とても印象的だったので、しばらくしてから、「謎の国、渤海」について、探ってみた。そしたら、ちゃんと、いい入門書が出ていた。上田雄(うえだたけし)著「渤海国の謎」という講談社現代新書の一冊だ。これを読んでみると、非常に面白い話が幾つか出ていて、謎の国「渤海」が、一気に私にとって身近な存在となっていった。

この本は、その後、講談社学術文庫の一冊として姿を変え、そのタイトルも「渤海国」と変更されている。歴史好きにはオススメの一冊で、決して固い内容ではない。なお、この著者の他にも、石川県埋蔵文化センターの小嶋芳孝さんなどの研究者からも近年、充実した研究成果が発表されつつあって、渤海は、歴史学の世界では、ちょっと脚光を浴びている。

なぜ最近、渤海が注目されるのか。キーワードだけを挙げると、こんな感じになるだろうか。「海から見た歴史、交易を中心として」「環日本海時代」「南北朝鮮問題」「中露国境問題」そして「満州」。ご存じない方のために、一言だけ説明を。渤海というのは、地図の上で大雑把に言うと、かつて「満州」と呼ばれた地域に重なり合う部分が少なくない。

もっとも、私が「渤海国の謎」を読んで一番興味を抱いたのは、上に挙げた硬い地政学的背景とは関係ない、毛皮の話だ。ほとんど笑い話ではないかと思われるほど珍妙な事態が、当時の日本と渤海をめぐる「毛皮外交」の舞台で展開されていて、著者は、そのあたりを、大まじめなフリをしながら実は、ユーモアたっぷりに描き出している。

というわけで、お疲れ気味のサムスンの課長さんから、思いもかけないきっかけを頂いたおかげで、古代末期の面白い歴史の一コマを知ることになった。

人間、通じ合いたいという思いがあれば、筆談を通してでも、意思の疎通はできる。少なくとも、同じ文明圏に属しているとは、そういうことなのだ。改めて、古代から大きな顔をしている隣の超大国の偉大さを認めざるを得ない、一幕だった。

きょうのお話は、ここまで。

面白いお話、出てこい。
もっと早く、もっとたくさん。

2005/12/09

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