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大原千晴

アンティークシルバー物語

主婦の友社

人物中心で語る銀器の歴史

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大修館書店
「英語教育」5月号

食卓の歴史ものがたり

連載第2回

創造の現場

両大戦間パリのカフェ

 

不定期連載『銀のつぶやき』
第106回「タマラの心の影」

 

2010/4/18 

 渋谷の東急文化村美術館で5月初旬まで、『タマラ・ド・レンピッカ展』開催中です。4月4日のグルメレクチャーは展覧会協賛企画の一環として、「タマラ・ド・レンピッカとパリ/モンパルナスのカフェ文化」がテーマでした。話の準備に、この半年、あれこれ様々な資料を読みました。その過程で特に印象に残ったことをご紹介してみたいと思います。

 

 タマラという女性は大変な「役者」です。自分の過去さえも上手に演じることができた。ただ、同じ出来事を演じる=語るにしても、話をする年代により、インタビューにより、中身が微妙に違っている。そのため特に、生い立ちや結婚、自分と子供の生年などについては、事実関係をいまひとつ確定しにくいところがある。そこに、タマラの人生航路の秘密を解く鍵が隠されています。

 アメリカの女性研究者ローラ・クラリッジが、タマラの人生の足跡を丹念に調べて、一冊の分厚い伝記を書き上げています。以下、基本的な事実関係については、彼女の記述を参考にし、それに他の資料から知った出来事を合わせて、タマラの華やかな外面の影に隠された意外な側面について、お話してみましょう。

 まずは、娘キゼットが誕生した年について。

 1939年タマラは、再婚相手のクフナー男爵と共に、パリからハバナ経由でアメリカに渡ります。入国に際して提出したビザ申請書類によれば、キゼット(愛称)は、「1916年9月16日生まれ」となっている。このときのアメリカ行きは、文字通り生死を賭けた逃避行です。それを思えば、ビザ申請に嘘を記入したとは考えにくい。キゼットの誕生は1916年9月16日、そうみてよさそうです。

 となると、タマラはそれ以前に結婚していなければならない。ペテルブルグ(ロシア)の上層市民の一人という、タマラと夫タデシュが置かれた社会的な立場を考えれば、「未婚の母」という事態はあり得ない。そうはいっても、「できちゃった婚」だったことは間違いないようです。というよりも、そうなる方向にタマラ自身が導いたフシが見え隠れしている。

 というのも、相手となるタデシュは、映画スターとみまごうほどの二枚目です。しかも家柄はポーランド貴族の分家の末裔。モテモテのイケメンだったわけで、なまじのことでは結婚に踏み切らなかったはずだと思われるからです。ちなみに今回の展覧会場に、彼をモデルにした有名な絵も展示されています。

 

 女性の妊娠期間は十月十日。となると、世間的な体面上、1916年5月くらいまでには「結婚式」を挙げておかないといけない。なので、二人の結婚は、1916年前半だったのではないかと推定されます。そして9月16日に娘キゼットが誕生する。このときタマラは21歳と推定されます。

 1916年9月ロシアのペテルブルグ。これはもう大変な状態です。半年を経ずして二月革命が勃発し、ロシア革命という天地を揺るがす地殻の大変動が始まる、まさにその直前です。国内の政治情勢は非常な緊迫状態です。

 それなのに、タマラとタデシュの行動からは、革命直前なんてどこの話か、というくらい危機感が感じられない。この前の年あたりまでは、シックなクラブを巡り歩き、バレエに芝居に音楽会。パリの最新流行を追いかけたりしている。貴族の館では連日のように舞踏会が開かれていたといいますから、呆れてしまいます。

 まるでフランス革命の時、ヴェルサイユの中にいた貴族や婦人たちのようです。「パリの市内では、なんだか町民たちが騒いでいるらしいわね。食べるものが足りないなんて、そんなこと言っているみたいなんだけど...」

 こんなエピソードを知るたびに、これなら革命も当然、という気になってきます。

 やがて二月革命勃発(1917年)、ペテルブルグ(ペトログラード)は、まさに弱肉強食の無秩序状態へと突入していく。偽捜索令状、偽警察官、偽治安警察、偽逮捕状が飛び交い、何かもかもが信用できない。刑務所が襲われ、多数の凶悪犯を含む囚人が街に放たれる。これが徒党を組んで偽の何かになりすまし、「本物の武器」を手に強盗団となって次々と住宅を襲う。これが日常化していきます。

 こうして事態が混迷を深めながら進行していく1917年、秋も深まりゆくある日の夜半のことです。ついに秘密警察チェカの一団がタマラの家の捜索にやってきます。本物です。

 ドアをガンガンたたく音に、「ちょっと待って下さい」という懇願虚しく、一団は家に押し入ってくる。タマラとタデシュはそのとき、夜の営みの最中だったといいます。大慌てで裸身にシーツをまとうタマラ。それを舌舐めずりして見つめる秘密警察の一団。

 夫のタデシュは反革命運動に深く関わっていたようで、ねらわれて当然だったようです。秘密警察チェカは、部屋中を引っ掻き回し、証拠をやさがししつつ、貴重品を次々と奪ってゆく。ようよう服を身にまとうタデシュ。幸い秘密の書類が入れられた引き出しは開けられずに済みましたが、ぜいたくな毛皮のコートをまとい帽子を被ったタデシュは、彼らに殴り倒され、そのまま連行されていく。

 恐怖に引き裂かれそうになりながらタマラは、やっとの思いで夫のガウンに身を通し、彼らを追って通りに出る。小さな黒い車に押し込まれるタデシュ。まだ扉が開いたままの車に近づくタマラ。中の男たちから押し返されたタマラはよろけて、道端の雪の吹きだまりに倒れ込む。脇を見れば、放置されたままの凍った馬の死骸。当時ペテルブルグでは、これを食用にするため、通行人が馬の死骸から肉を削り取っていったといいます。それどころか、凍死した行き倒れの人間の死体が放置されているのが珍しくない日常です。

 この後彼女は、あらゆるつてをたよって、夫の釈放を求めます。しかし、進行していた事態は「革命」です。彼女がつきあっていた「階級」そのものが打倒されつつあったわけで、頼りになる人を探すこと自体、困難を極めます。

 この間にタマラ自身の生活状況は急速に悪化。生まれて初めて「飢え」を知ります。本物の飢餓体験。その有無は人間の人生観を変える、多くの人がそう語っています()。それだけに、タマラのその後の人生の足跡とその絵画には、この飢餓体験が微妙な形で影を落としていると感じます。

 そして、もうひとつのトラウマが、父親のことです。タマラは晩年に至るまで、インタビューで父親のことをあいまいにし続けます。「ものごころついたときには、父は既に家にいなかった」「早く死んだと聞いている」等々、きちんと答えることはなかったといいます。

 これについて、ローラ・クラリッジはショッキングなことを語っています。タマラが幼少の頃、両親は仲が悪く喧嘩の絶えることがなかった。その果てに、タマラ5歳のとき、父親は自殺したと推定される。微妙な言い回しでローラは、そう綴っています。父親の自殺。これは一生、タマラの心に影を落とすことになる。

 しかも、この父親をめぐっては、もうひとつ隠された秘密がある。もう、止めておきましょう。長くなりすぎました。その秘密を知りたい方は、ローラの労作を注意深くお読みになってみて下さい。


Laura Claridge "Tamara De Lempicka---A Life of Deco and Decadaence" 

(出版社:Clarkson Potter, 1999)
このサブタイトルは、なかなかに意味深長です。

 アメリカに渡るまでのタマラは、激しい闘争心の塊です。その闘争心を生み出した原点は、父親の不在、没落の果ての飢餓という「どん底」体験、そして、父親の隠された秘密にある。これを胸の奥底にしまいこんだタマラは、1918年の初夏、零落した亡命者の一人としてパリにやってきます。ここで生きるためにもがく中、「絵を描く」という途に人生を賭けてみる。そのもがきの中から「タマラ・ド・レンピッカ」は誕生する。

 並外れた華やかさと激しさの裏側に、深い闇が隠されている。タマラの絵は「生きるための闘争」です。「アール・デコのファショナブルな女性画家」というイメージは、彼女が演じきった見事な仮面劇。タマラは大した「役者」だったのです。

 

  きょうのお話は、ここまで。

 面白いお話、出てこい。
 もっと早く、もっとたくさん。

2010/4/18

 

 ():その具体例として、作家の小松左京さんの「最近のインタビュー」から一部引用させて頂きます。小松さんは1931年大阪生まれ。長編SFで知られていますが、優れた短編が山ほどあります。「銀のつぶやき」は、小松さんの本、そのむかし沢山読みました。

 「今の日本の若い人には、もっと生々しい歴史を学んでほしいと思っています。僕は小・中学生のときに戦争を経験しました。一番怖かったのは、食べるものがないという飢餓体験です。終戦になった中学3年生の食べ盛りのころは、1日わずか5勺(90ミリリットル)の外米と、虫食い大豆や虫食いトウモロコシ、ドングリの粉ぐらいしか食べられませんでした。消化の悪い炒り豆を食べては水を飲んだので、しょっちゅう腹を下し、毎日フラフラでした。

 そんな飢餓体験が、僕の処女長編小説『日本アパッチ族』の基になっています。「アパッチ族」と呼ばれるくず鉄泥棒が、鉄を食う「食鉄族」となって、鉄でできている物を片端から食いまくり、日本人の生活を脅かしていくという荒唐無稽なストーリーです。執筆当時、極貧生活で、唯一の娯楽だっったラジオさえも質に入れなければならなかった妻を喜ばせるために、夢中で書いたものです。

 日本は幸か不幸か地震の多い国です。1995年1月には、阪神大震災で6000人を超える人が亡くなりました。若い人はこうしたつらくとも生々しい歴史から学ぶという訓練を、自ら進んでやってみてほしい。...」

(「週刊東洋経済」2010年4月24日号-p.150-「老慧長智」より抜粋引用)

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『アンティークシルバー物語』大原千晴
  主婦の友社、定価 \2,100-、10月23日発売

  イラスト:宇野亞喜良、写真:澤崎信孝

  

  

ここには、18人の実在の人物たちの、様々な人生の断面が描かれています。この18人を通して、銀器と食卓の歴史を語る。とてもユニークな一冊です。

本書の大きな魅力は、宇野亞喜良さんの素晴らしいイラストレーションにあります。18枚の肖像画と表紙の帯そしてカトリーヌ・ド・メディシスの1564年の宴席をイメージとして描いて頂いたものが1枚で、計20枚。

私の書いた人物の物語を読んで、宇野亞喜良さんの絵を目にすると、そこに人物の息遣いが聞こえてくるほどです。
銀器をとおして過ぎ去った世界に遊んでみる。ひとときの夢をお楽しみ下さい。

2009/11/23

■講座のご案内

 2010年も、様々な場所で少しずつ異なるテーマでお話させて頂く機会があります。また、この4月号から新たに

大修館書店発行の月刊『英語教育』での連載が2年目に入ります。欧州の食世界をさまざまな視点から読み解きます。ぜひ、ご一読を。

 というわけで、エッセイもカルチャーでのお話も、

「ヨーロッパの食卓の歴史的な変遷を、これまでにない視点から、探訪する。」が基本です。

 歴史の不思議な糸で結ばれた、様々な出来事の連なりをたぐり寄せてみる。そんな連なりの中から、食卓という世界を通して見えてくる、人々の社会と暮らしの面白さ。これについてお話してみたい。常にそう考えています。

詳しくは→こちらへ。