
2003/02/22
銀器の歴史はそのまま、食卓の歴史でもあります。たとえば中世英国の貴族たちの食卓。これがなかなか、面白い。マナーのことや銀器のこと、今の我々の目から眺めてみると、びっくりするようなことが、あれこれ出て来ます。今回は、そんなお話を少し致しましょう。
フォークが出現する以前の欧州の食卓で、例えばローストした肉を食べるのに、一体全体どうやって食べていたのでしょうか。銀のスプーンは古代ローマには既に珍しくありません。しかし、フォークを食卓で使うという習慣が生まれるのは、もっとずっと後の時代のことです。北の外れの、いつも最後に大陸の文化が伝わって来るブリテン島を例にとれば、おおむね十七世紀中頃からようやく、その習慣が少しずつ広まり始めたようです。それも、決して急速に広まったということではなさそうです。
スープやプディングには銀のスプーンを使いました。これはしごく当然のことです。しかしながら、欧州大陸の貴族たちでさえ驚くほどに肉料理中心であった中世ブリテン島の貴族たち。その食卓にはフォークがなかった。では、どうしたのか。各自持参のナイフの先端に刺して口に持っていくか、さもなければ、指先できれいにつまんで食べました。当然です。フォークがないんですから。他にどうしようもありません。
当時の食卓で肉は、食卓もしくはサイドテーブルで切り分けてから、一人一人に供されました。食卓で大きな塊のロースト肉を、カーヴァー(肉を切る人)と呼ばれる係が、人数分に切り分ける。この係は召使の仕事?とんでもない。王宮の正餐では、カーヴァーは重要な役職で、選ばれた家臣の仕事でした。
これは、カーヴァーに限ったことではありません。酒類担当係や、後で説明するユワーラーなど、テーブルを準備する主要な役職は、家臣の重要な役職とされていました。それだけ欧州では、宴席が重要視されていたということで、日本の伝統文化からは、なかなか想像しにくい部分です。
ところで、カーヴァーが肉を切る場合、単に切り分ければいい、というものではありません。美しく無駄のない動作で、エレガントに肉を切ることができなければいけない。調理場で料理の準備をするのとは、ワケが違います。宮廷の中でも最も大切な舞台である宴席に登場する、華の役回りです。本人の姿形と服装はもちろんのこと、動作の美が厳しく要求されていました。肉を美しく切る技術。ここでの「技術」は、アート(art)という言葉が使われていて、そのための手引書まで出回っていたほどです。
こうした歴史的な背景があるために、今だって英国では、肉のローストを切り分けるのは、大切な役回りです。当然、そのために使われる大きなカーヴィング・ナイフも、重要な道具の一つということになり、これは台所用品ではなく、食卓で使われる道具として、銀器と同列に扱われます。本当ですか?本当です。骨董銀器商である私の言葉を信じないで、一体誰の言葉を信じようというのですか、まったく!
話を戻します。
食卓に出される様々な料理を手で食べる。でも、そうすると、手がベタベタになってしまいます。そのベタベタの手を一体どうするのか。ナプキンで拭きながら食べたのでしょうか。テーブルクロスの端で、こっそりと拭ったのでしょうか。今の日本なら、熱いおしぼりが出されるところですね。
当時の宴席では、ここで銀器が登場します。そのべたつく手をきれいにするために、食卓で手を洗うための豪華な銀器、ユワー(ewer)とベイスン(basin)です。敢えて日本語に訳せば、水差しと手洗い用浅鉢というところです。その大きさから言っても、中世の食卓銀器の中で、ひときは目立つ存在です。ユワーは高さ40センチ前後、ベイスンは直径50〜60センチ。写真をご覧下さい。たいていは、ギリシア神話などからモチーフを取った、華やかな装飾がほどこされているのがふつうです。
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